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進学先の小学校を探して

僕は聖教新聞に勤めて16年目の記者です。妻、小学1年の息子、幼稚園年少の娘と4人で暮らしています。2019年に第2子が誕生し、翌年にはコロナ禍のステイホームを経験して、子育てにもっと関わりたいと思うようになりました。そうした中、長男が「幼稚園に行きたくない」と宣言。小学校に入学してからも、学校に行ったり行かなかったりという今に至ります。家族と歩む中で、僕自身もメンタルヘルスを崩したり、部署を異動したり、いろいろなことを経験しました。それは、今も現在進行形で、僕という人間を大きく育ててくれています。そんなわけで、「育自」日記として、思い出を含めて書いていきたいと思います。

「横でも後ろでも、そばに居てあげてください」

2023年の年明けから、僕は新たな部署に異動しました。異動先は、若者世代に関する企画や、デジタル記事を担当する部署です。

誤解がないように書くと、部署によって仕事の価値に大小はありません。皆、魂を削るような思いで制作に取り組んでいます。その上で、異動後は、自分が取材して記事を書くことから離れ、デスク(記事の監修)をやらせてもらうことになりました。

それによって、出張をストップすることが可能となりました。息子の情緒はだいぶ落ち着いたものの、親のそばを離れたがらない〝分離不安〟は続いていました。異動前、宿泊を伴う出張の時は、寂しくて眠れないという息子と、LINE電話で話し続けているうちに、僕が先に寝落ちしたこともあります。(いわゆる〝寝落ち電話〟というやつですね。まさか息子とすることになるとは、思ってもみませんでした)

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異動を挟んだこの時期、親としての最優先事項は、「息子の進学先を決めること」でした。僕の住む地域では、居住地ごとに「指定校」が第1候補として定められていて、変更を希望しなければ、その学校に進学する流れになります。とともに、個別に希望すれば、市内にある別の小学校にも進学できる仕組みとなっていました。
 
ここから、さらにローカルな事情が関係してきます。僕の住む地域は、東京都内でありつつも、少子化の影響もあってか、学校によって児童数にばらつきがあります。全校で数百人の児童がいる小学校が存在する一方、全校児童が100人前後、つまり1学年1クラス(数人~20人前後)という学校も散見されるのです。
「しゅうだん(集団)がいやだ」と言っている息子ですから、マンモス校で全校集会などに出ている姿が、全く想像できませんでした。そんな時、公立小学校の人数のばらつきを知り、僕はこう考えました。
 
〝児童数が少ないということは、ST比(教員一人当たりの学生数を表したもので、学生数/教員数のことです)が低いわけだから、息子にとっては集団を回避できて、こまやかに学べる・・・一石二鳥じゃん!〟
 
まあ1クラス20人だとして、息子が学校になじめる保証はないのですが、当時は少しでも希望を見いだせたら、盛大に自分を励ましていました。そうしたわけで、車で送迎可能な距離にある3校を進学候補先と決め、妻と息子と3人で、見学して回りました。

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1校目は〝こんな隠れ家みたいな学校があったのか~〟という印象。学校全体が景色に溶け込みそうなほど、静かな感じがしました。校舎内を見て回り、息子にも教室に入ることを勧めてみたけれど、入りませんでした。
歩きながら、立ち会ってくださった副校長に、見学に至った背景と息子の近況を話すと、こういう答えが返ってきました。
 
「公立校なので、一人だけ特別扱いはできません。ですが、在校児童の中には、保護者の方がいろいろと力を尽くされているお子さんもいます」

う~ん。〝ちょっと、冷たくないですかね?〟と心の中で苦笑い。でも、自分が学校関係者の立場でも、同じことを言うかもなと思いました。安易な発言をして、あとで〝過度な要求〟をされても対処できないという事情もあるのだろうという気がしました。
 
続いて2校目。副校長に加え、特別支援教育に携わる教員の方も同席してくれました。
副校長からは「うちは公立校なので(以下同文)」
ただ、同席した教員の方は「お父さんがここまで関わって見学されるというのは、すごいですね」と言ってくれ、個人的に癒やされました。
 
3校目。副校長からの「うちは公立校なので」との発言がありませんでした。しかも、「途中から転校してきてくださっても構いませんから、ぜひ来てくださいね」と。〝おお、先進的だなあ〟と思いました。

3校を見学し終わって、どうしようかと夫婦で話し合いました。3校目の印象が良いものの、妻から〝本人がどうしたいか、まずはその思いを聞きたい〟ということで、息子に尋ねました。

「どの小学校がいいかなあ?」
「2ばんめかな! しぜんがおおいのがいいんだよ」
「そ、そうか。3番目はどう? 先生も優しそうだけど」
「3ばんめはねー、たてものがね、でっかいの! おしよせてきそうだから、いやなんだよ」
 
やり取りを経て、やっぱり、息子本人の話を聞くって大切だなと、改めて思いました。確かに息子の言う通り、3校目の校舎は大きいです。かつてマンモス校であったために、校庭も広いし、全体的に整っている。それが、息子にとっては〝威圧〟に感じられたということでしょう。進学希望先は、2校目と決まりました。

余談ですが、3校目を諦めきれず、後日、僕だけ後述する「学校説明会」というものに行きました。そこでは、あの好印象の副校長は登場せず、他の教員の方がメインで登壇しました。話の内容は、子どもに「スタンダード(標準)を身に付けさせる」というもので、教育方針としては間違っていないと思いますが、うちの子には向かないと考え、僕も妻も納得して3校目を進学希望先から外しました。少し疲れましたが、複数回、足を運ぶことにも意味があるのだと学びました。

さて、ここからが親としてのチャレンジです。〝分離不安〟のある息子が、最初から一人で学校に通えるとは考えにくい(そうであったらいいなとは思いつつも)。療育の教室のように〝保護者の同伴〟を許可してもらう必要があります。※幼稚園の不登園を機に始まった、療育の歩みはこちらから ↓

2023年の2月上旬から中旬にかけて、小学校ごとに、親が最終の進学希望先を決めるための「学校説明会」が開かれました。進学希望先である2校目の説明会終了後、僕は、関係者の方々と改めて面談の機会をもっていただけるよう、お願いしました。この時、自治体が発行している「就学支援シート」というものを提出しました。

「就学支援シート」は、成長・発達の様子や必要な支援について、幼稚園(保育園)や親が記入し、子どもの小学校生活や学習内容を検討する際に活用する書類です。僕の住む地域では、幼稚園の担任が記入する欄と家庭で記入する欄の両方があります。
そこで、家庭欄は、本人に聞き取りを行って、記入することにしました。以前お話を伺った大学教授の方から、取材時に、こんなアドバイスをいただいたことがあったからです。
 
〝(シートを書く際に)大切なのは、親御さんの見た子どもの姿に加えて、「子どもの言葉で書く」ということ。「これとこれは食べるのが嫌いだから、残し方を教えてください」とか、「大きな音が嫌いです」とか。それこそ、記者さんは聞くのが仕事だから、お子さんを取材するつもりで聞いてあげて、どうしたら楽しいかを見つけてみたらいいと思います〟と。

※この取材の舞台裏を、聖教公式noteアカウントで公開しています。具体的な子育てQ&Aも載っていますのでぜひ、ご覧ください ↓

また、面談当日までに、療育の教室や子ども家庭支援センターといった、これまで息子に関わってくれた人たちも、小学校と連携を取ってくれました。
得意・不得意、幼稚園の登園頻度や生活の様子、人との関わり・・・情報は多岐にわたるので、関係者の力を借りて(もっと言えば人を巻き込んで)、小学校に、息子の人間像を知ってもらいたいと思いました。僕一人で情報を抱えるのも限界があるし、バイアスというか〝親のひいき目〟を避けた方が希望も通りやすいと考えました。

2023年2月、進学希望先の学校説明会の日の雪景色

2月下旬、校長、副校長、養護教諭、特別支援教育に携わる教員、当時の1年生(2022年度)の担任と僕、計6人で面談が行われました。僕からは簡潔に経過を説明し、教室へ同伴したい旨、希望をお伝えしました。
 
面談に参加してみて、「学校の先生」と一口に言っても、それぞれに視点が違うことを肌で感じました。〝児童のために〟という思いは同じですが、例えば、特別支援教育やそれに近い立ち位置の教員は〝本人の特性の理解と学びやすさ〟に力点を置き、担任であれば〝学級運営の過程で生じる本人の生きづらさ〟が気になる。管理職であれば、さらに大きな視点での学校運営も視野に入ってくる。(入学後に知ることになりますが、学年を超えた交流というのも、結構多いです)

関係各位からの、息子に関する質問に答えていただけのつもりが、気付けば40分が過ぎていました。〝質疑応答〟がひと段落した頃、校長が話し始めました。
 
「まあ、1年生というのは、いろいろな状況でご入学されてきますから。多様なお子さんがいて、お父さまもお母さまも驚かれることもあるかもしれませんが、息子さんの横でも後ろでも、そばに居ていただいて、様子を見ていくということで、いかがでしょうか」
 
それは、僕にとって満額回答でした。ガチガチに入っていた肩の力が、フッと抜けていくのが自分でも分かりました。努めて冷静に、それこそ、他人の子どもについて説明するくらいのトーンで話していたつもりでしたが、周りから見れば、そんなふうには全くなっていなかったと思います。

校長先生の言葉を聞いて、僕は「大変にありがとうございます」と、頭を下げました。
 
面談を終えて校門を出る際、2週間前の学校説明会の時のことを思い出しました。その日は都内で珍しく雪が降りました。私の地元では車も出せないほどの積雪で、片道1時間40分程かけ、歩いて家と学校を往復しました。説明会が終わり、校門を出たところで、校長先生は事務の方と一緒に雪かきをしていました。

その姿を見て〝同僚と一緒に汗を流す人なんだな〟と思いました。
もちろん、そのことだけで教育理念が分かるわけでもないし、この先息子が入学した後も、いろいろな〝課題〟があって、感謝したり、逆に落胆したりすることもあるかもしれない。でも今はあれこれ考えるよりも、シンプルに〝良かった、ありがとうございます〟と思いました。
 
そして〝別れの季節〟3月を迎えました。息子は、幼稚園の卒園に向かって、彼なりの行動を起こしていました。

(つづく)

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