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女性発達当事者が、女らしさに苦労してきた話。

 近年では、性的役割分担がなくなりつつあると思う。
 だが日本では、未だに男らしさや女らしさを求める風潮がが根強くあるように感じる。
また、『女なのに、どうして掃除や料理ができないの…?空気が読めないの…?』『男なのに、どうしてこんなに疲れやすく体調崩しやすいの…?逞しくなれないの…?』などと悩む人も少なくはないと思う。

『男は強く逞しく、仕事が出来、それなりに稼げる、弱音を吐かない。女は愛嬌あり細やかな気配り出来、家事育児がひと通りこなせるものだ。』
↑日本では、これが当たり前のようになっている。それは、一種の洗脳のようなものだ。
しかし、発達当事者にとって、これらの事は無理がある。健常者でも大変なのに、発達障害者が性的な役割分担をしたら、脳と身体のキャパがオーバーしてしまうのではないかと、思う。仕事をバリバリこなし、残業もこなせる、心身ともにタフ、マルチタスクこなしその都度子供を細かく見て突然の体調不良に付き合う、家事もひと通りこなす…これらの事は、発達障害の特性と明らかに真逆である。

    私も、自分の性別についてずっと悩んできた。需要のある女性像に近づきたかった。
   だが、どんなに頑張っても手先は不器用、愛想良く出来ない、細やかさがなく雑、気配り出来ない、すぐ散らかり片付け苦手、興味関心や共感の幅が狭く雑談苦手、口下手…それが、私なのだ。その他、身だしなみ諸々が抜けている。あまりにも不器用で『女の子でしょ!』と怒られたり女性的な役割を押し付けられた事もあった。他にも、ジェンダーハラスメント的な事を言われた時もあった。
   男なら少し許される事でも、女でこうなら厳しい目で見られ人格そのものを否定される事があった。

 私は、他の同性達と合わせようとする度に、脳が強いストレスを感じてしまっていた。悲鳴を上げていたのだ。そして、鬱のような状態にもなった。そして、女性的な役割を求められる度にストレスだった。そして、私は自分の性別がどうしても受け入れられず嫌になってしまった事もあった。何で女に生まれてきてしまったのだろうかと、苦悩した事もあった。

 私は元の脳の造りが周りと違うから、頑張った所で相当な苦労を感じてしたのだと思う。猫が犬になる努力をするみたいに。

 令和になった今でも、男らしさ女らしさの洗脳が何処となく漂っていると思う。
    だが、先天的な脳の造りからどうしてもそれに馴染めない人も居て、その性的な役割が苦痛に感じている人も居るのだと言うことを知ってほしい。




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