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「 パラグアイの熱い夕陽 」 第3話



母の実家がある南米パラグアイの田舎町を幼い頃ぶりに一人で訪ねる
リアルストーリーです。
ブラジル、カナダ、コロンビアと海外で暮らした経験などをふまえ
自然と命、心の中に刻まれた想いについて綴った文章です。
この話しには多くの犬が登場します。
今まで何年も閉ざしていた心をパラグアイに強く生きる犬達や
ワイルドな叔父さん達と触れ合う事により解放してゆきます。

S.Bobo.S

  もくじ

黄金の魚 ドラド

牧場の熱い日々

狩が始まる

コロンビアの赤い夕陽

命を奪う

牧場の犬

愛犬ムク

牧場の風景



 
「 牧場の犬 」

眩しい夕陽に照らされながら地平線に向かって真っ直ぐにひたすら車を走らせる。
横一面に果てしなく、黄金色に輝く小麦畑が広がっていた。

ハンドルを握る陽に焼けた太い腕に
広叔父さんの歩んできた壮絶な人生のたくましさが見える。
真っ黒に日焼けした叔父さんの穏やかな横顔に、
古いカセットテープから流れるこの詩の一字一句が重なった。

知らず知らず 歩いて来た
細く長いこの道
振り返れば 遥か遠く
故郷が見える
でこぼこ道や 曲がりくねった道
地図さえない それもまた人生
ああ川の流れのように ゆるやかに
いくつも 時代は過ぎて
ああ川の流れのように とめどなく
空が黄昏に 染まるだけ
生きることは 旅すること
終わりのない この道
愛する人 そばに連れて
夢探しながら
雨に降られて ぬかるんだ道でも
いつかはまた 晴れる日が来るから
ああ川の流れのように 穏やかに
この身をまかせていたい
ああ川の流れのように 移りゆく
季節 雪解けを待ちながら
ああ川の流れのように おだやかに
この身をまかせていたい
ああ川の流れのように いつまでも
青いせせらぎを 聞きながら

小さい頃から母もこの詩をよく口ずさんでいたのを想い出す。
ぬかるんだ道の話しをよくしていた。

「 パラグアイは赤土でねぇ、雨が降ると道がぐちゃぐちゃにぬかるんで、
家に帰れなくなるんだよ 」

母が昔パラグアイで歩んできた日々にも悲しい事や楽しい事
故郷への想いが川の流れのように、とめどなく流れていったことだろう。

叔父さんは今もこのぬかるんだ本当に地図にも載っていなかったパラグアイの道を
陽に照らされながら一直線に突き進んでいる。

「 昔は日本にも憧れとったけど、今はもうそんなに帰りたいって云う気持ちは~
ん~・・・ 無くなったなぁ。」

叔父さんも、まだ思春期の頃パラグアイに来た。
この詩を聴きながら、叔父さんや母、そして父も皆
当時の深いジャングルだけが果てしなく広がるパラグアイで
陽に焼け汗を流しながら生活を切り開いて来た苦労を想像すると
胸の奥から急に感情が涌き上がってきた。

詩の雪解けとは、心の許し、そして和解の事だろうか。
いきなり涙が溢れ出し胸のあたりがヒクヒクとした。
もう涙が止まらなくなり、ずっと横を向いて地平線に広がる小麦畑を見ていた。
さりげなくTシャツの袖で涙を拭き、呼吸を落ち着かせ正面を向いた。

「 お前、いつでもパラグアイに来て住んでもいいんだからな。
 仕事なんかやる事いくらでもあるし。 寝る所と食う事は心配せんでいいぞっ 」

うわっ、急にまた涙が溢れ出し、叔父さんに見られてしまった。
急いで涙をTシャツの袖で拭き取った。

「 お前、急に泣いたり笑ったりして、感情が高まっとるようだが、
日本で何かあったんか? 」

わなわなと溢れる涙を一生懸命に堪えた。

「 男っちゅうもんは、いつもメソメソしてたらいかんが、
時にはおもいっきり泣いて発散させるのも許されるんだぞっ 」

涙が噴き出した。
中2のあの日以来、俺はいつ死んでもいいと思っていた。
気が狂う程めちゃくちゃな精神状態が続き
深い虚無感に襲われて死のうとした事もある。

鼻水までもがだらだらに流れ、久しぶりに人前で泣いてしまった。
呼吸が落ち着き、一言一言今までの自分の中の葛藤を少しだけ話した。
誰にも言わず何年も仕舞いこんで、鍵を何重にも掛けておいた、俺の心の中の話しを。

「 悲しい事って云うのはなぁ、どんな人生歩んどっても
いつかは付いてくるもんだ。でも乗り越えなければいかん。
いつまでもくよくよしとったら、先へ進めんぞっ!!」

濡れた目に斜に射し込む夕陽が滲んでいた。
彼方まで流れる黄金色の麦畑を横を向いてずっと眺めていた。

牧場のゲートを開き、車を通してまた閉める。

しばらくすると白が車を追ってきた。
家の前に車を停め、ドアを開けると白が尻尾を大きく振りながら飛び付いてきた。

「 よしよし、待ってたのかよ、お前っ 」

頭から首辺りをガシガシと揉んでやると、気持ち良さそうにゴロンと腹を見せた。
腹をくすぐるとウネウネしながらハフハフ言った。
車から荷物を降ろし、早速獲物の調理に取りかかった。

「 どんな味がするか、全種類食べてみろっ 」

フライパンに多めの油を入れ、大きめにぶつ切りにした
水鳥とカモを入れた。
ただそれだけ。
料理なんかじゃない。
ジュア~ッと油が跳ね上がる。
絶対に生だと嫌なので、じっくりと揚げた。
油を切り、皿に乗せると旨そうなフライド・バードが出来上がった。

まだ明るいので外で食べた。
過去最長、水鳥のロングレッグに塩を振り、かぶりつく。
か、固い! 筋繊維がスジばっていて、とっても固い。
味は強いワイルド鳥臭味。
全然旨くは無い。

カモに期待し、胸肉にかぶりついた。
ガリッ! 
あっ、歯でも欠けたか?

「 えっ? プッ 」

皿に落とすと、カツンと少し重さのある音がした。

「 パラグアイの鳥肉は種が入っとるから、気を付けて喰わんとな ハハハ~ 」

散弾銃で撃った方のカモからは仁丹程の大きさの鉛の弾が幾つも出て来た。
カツン、カツン、まただ。
カツン。
まるで骨に気を付けながら魚を食べるようにカモを喰う。
カツン。
カモの肉も固く、匂いの強いレバー味がした。
やはり鳥も魚も死ぬ前に血抜きをしないと血の味が残って全然旨く無い。

他のワンちゃんらがハアハアと集まって来た。

「 骨とか喰わん所は犬に投げてやれっ 」

「 えっ、犬って鳥の骨、胃に刺さるからダメなんじゃないの? 」

「 ハッハッハ そんなヤワな犬、パラグアイには一匹もおらんぞっ、
その辺の生き物捕まえて、骨ごとバリバリ喰っとるぞ 」

そ、そうなの?
白ちゃんに水鳥のロングレッグを投げてやった。
他の犬も一瞬近付くが白の方が力が上らしく、あっさりと白に譲った。

白は草の上に伏せて前足で抱え込むようにバリバリと横を向き
夢中でロングレッグに齧り付いていた。

他の犬にも骨を投げてやると、また奪い合いが始まった。
コイツらは野生が強い。
骨を取られまいとして牙をむき出し、近付く犬を威嚇する。
喧嘩が見たい訳では無いのですぐに犬数分骨を投げてやった。

家に入りネズミのぶつ切りを油で揚げた。
ジュア~っといい色にネズミが揚がる。
塩を振り、ネズミ肉にかぶり付く。

おえっ! なんじゃこりゃ~、へんてこな匂いがする。
肉は鳥より全然柔らかいが、変わった強い匂いがとっても嫌な感じだ。
どうやら動物特有のフェロモンを分泌する匂い線が破れ
肉全体に強い変な匂いが染み付いてしまったようだ。
臭くて喰えたもんじゃない。

犬達は大喜びで本日の獲物に夢中になっていた。
残りの鳥は世話係のオバハンの所に麻袋ごと渡した。
どうぞ、つまらない物ですが~。

お湯を沸かし、日本から持ってきた札幌一番塩味の
インスタント・ラーメンを作り、叔父さんと食べた。
ああ、旨い!!
日本のインスタント・ラーメンって、なんでこんなに旨いの? って感じだ。
叔父さんも久々の日本の味に夢中になっている。

「 やっぱり旨いなぁ、日本のラーメンは!! ハッハ~ 」

コロンビア時代、楽しみに取っておいたインスタント・ラーメンを
誕生日に食べていたのを思い出す。
スープも最後まで飲み干した。
あぁ~、旨かった~。

今日は体も顎も疲れたからシャワーでも浴びて早めに寝よう。
お湯は屋根の太陽熱でチョロチョロとしか出ないけど気持ちいい。

「 蚊がおって寝れんようだから、薬撒いといてやるわ 」

まるで農薬を散布するような手動式噴霧器で家中にスパスパと殺虫剤を撒いた。

「 うわ~っ ヤバイ!! 目が染みる!!」

「 ゲホゲホッ、 こりゃたまらんな~!!」

急いで二人、外に出た。
家の中はもうバルサン状態だ。

空はもう紫色に覆われていた。
ウンモ~~ウ モ~~ウと牛達が近くに集まってきている。
人間や犬達に守られている事を理解しているようだ。
暗闇に包まれる前には必ず建物の近くに大量の牛達が集まりモウモウと騒がしい。
しばらくすると牛達は寝るようで、あまりモウモウ鳴かなくなる。

ミャ~ ミャ~ ミャ~ ミャ~ミャ~ ミャ~
あぁまたミャ~ミャ~ 猫カエルの合唱が始まった。
か細く聞こえる猫カエルの合唱はかなり怖い。

闇に包まれ無数のホタルが飛び交い、天と地が一体となった。
蚊も集って来たので白の頭を軽く撫で家に入った。

殺虫剤の匂いがかなり残っていたので蛾の毛布をかぶり、スッと眠りに落ちた。

コケッ コケッ コケコッコ~~ッ!!
ウンモ~~ウ モ~~ウ!!

朝から盛り上がってる動物達の鳴き声で徐々に目が覚めてくる。
殺虫剤で喉が少し痛いが、一度も蚊に起こされずに熟睡した。
熟睡とはなんて素晴らしい事だろうか。

ジーパンを履いて外に出ると地平線の先から光が射し始めていた。
鳥小屋の脇で立ちションをしていると白が大きく尻尾を振りながら駆け寄ってきた。

「 おいおいおい~っ、来るな、来るな~っ!! 」

後ろを向きながら出し切り、せわしない白にとりあえず手を舐めさせる。

「 おはよ 」

顔をツンと上に上げると白もツーンと鼻を上に上げ、同時に両前足を少し上げた。

「 お前、何笑ってるんだよ~ 」

首をガシガシ揉みながらプロレスのようにひっくり返す。
胸や腹をガシガシとくすぐると舌を出したままハフハフ言い
ウネウネしながらフガフガ言いだした。
少し興奮し甘噛みが痛くなってきたので止めにした。
白はくるっと起き上がりブルブルッと体を振ってゴミを払った。

家の脇のレモンを一つ取り、中に入ってお湯を沸かした。
紅茶に蜂蜜をたっぷり入れレモンを絞る。
驚く程固くパサ付いたパンに蜂蜜を付けて食べた。
叔父さんも起きてきた。

「 お前、卵でも食べるか? 鳥小屋行って、取ってこいっ 」

鳥小屋に鳥を脅かさないようにそっと入った。
よく見ると巣の中に幾つかの卵があった。
母鳥のいない巣から4つばかり卵を頂いた。

フライパンに油を入れ、卵を4つジュア~っと目玉焼きを作った。
醤油をかけ、2つずつ叔父さんと食べた。
生みたての卵は格別な旨さだ。

今日もまた、もの凄く暑くなりそうだ。

「 今日は色々と仕事があるから、好きな事してろっ。
 車使っていいから、ウズラでも撃ってろっ。」

まあ一日長いから、とりあえずぼけ~っとしてようかな。
軒下の日陰のイスにだらんと座り、朝一のビールを開けた。
白はイスの横に伏せて涼んでいる。
プシュッ!
ぐびぐびぐび~~っ
うゔぉぉ~~っ!!
朝一のルービーは胃に浸みるぜ~

「 お前、ビールばっかでよう飽きんなぁ、ワインとかもあるぞっ 」

「 ビール党なので。ところでこの犬って何犬なの? 他のヤツより懐いてるよね 」

「 何が交じったか分からんが、日本の犬の血が入ってるって言ってたな。
 日本人の友達から貰ったんだっ 」

「 へ~っ、秋田犬っぽいね 」

「 ああ、そうかもしれんな 」

「 名前何て云うの? 」

「 ハ? 名前なんぞ一回も付けた事ないぞっ。その辺でのたれ死にするようなのに
いちいち名前なんぞ付けとったら切りがないわ、ハッハッハ 」

「 じゃあ、犬洗った事ある?」

「 ハ? 暑かったら勝手に池の中入って水浴びしとるぞ、アイツら 」

ははは~、そんなもんなんだね、パラグアイの犬って。
自由なもんだな。

「 池には何か魚いるの?」

「 川の水を引いたから、何かしらおるんじゃないか 」

とりあえず暇だから後で行ってみるか。
イスと一体になり、ビールを飲みながら彼方を眺め、何も考えないようにした。
牧場に来てから腕時計を外した。
時の鎖を外し、自由になった。
もう今何時かなど、俺には関係ない。
日本の事や世界の事、煩わしい嫌な事はとりあえず今は考えたくない。

いつまでもぼけ~っとしてるのにも限界がくる。
池で釣りでもしようかな。
牧場で地平線を眺めていると本当に時間が止まったかのようにボケそうになる。
ボケたまま日本に戻れるのか俺は?

日本から持ってきた収縮式の竿を伸ばし、小さいカエル型のルアーを付けた。
白が付いてきた。
池までしばらく歩き、池の少し高くなっている縁に立つ。
水面にはちょこちょことメダカのような小さな魚が集まっていた。

池の奥、アシの茂る手前にカエルのルアーをキャストした。
ポチャッ、  パチャ、パチャ、パチャ
カエルルアーが水面を跳ねる。
ツツツーー。

もう一回キャスト。
ポチャッ、  パチャ、パチャ、パチャ、ググーーッ!!
おお、いきなり来た!!
バチャバチャと、まあまあの引きで暴れてる。
竿が細いので結構面白い。
足元からすっぽ抜くとスネーク・ヘッドが鋭い歯でルアーに噛み付いていた。
体長30㎝。ギザギザの歯が並ぶ地味なアロワナのような魚だ。
針から外し池に投げ返す。

しかし池の近くは蚊が多い。
数回キャストしたが蚊に負けて退散した。
日差しも焼けるように強く汗ダラダラだ。

フラフラと家の冷蔵庫までたどり着きプシュッとビールを開けた。

グビグビグビ~~ッ
く~~っ!! キンキンだ。
喉越しで飲むとはこの事か。
ふ~~っ、旨い。
暑くて外になんかいられない。
もう軒下の日陰でぼけ~っとしてるしかないようだ。

白も足元でくつろいでいる。
お前も子犬の時はみんなに可愛がれてたんだろうな。
叔父さんもあまり犬をさわる方じゃないし、久しぶりに人に甘えてるんだな。
俺も犬に触れるのは久しぶりだ。
いつもアイツと遊んでたゲームでもしてみるか。

「 白っ! おいでっ!」

パン、パンと手を叩くと白は少し首を傾げながら近寄ってきた。
しゃがんだまま白の胸を何回か押すと、白も押し返して来る。
ぐ~っと押して、パッと放した時に逃げると、白が飛び付いてきた。
白を交わしながら、白の尻尾の付け根辺りを噛むように手で掴む。
白はビクッと腰を落としながら駆け抜け、また俺のギリギリを攻めてきた。

ゲームが始まった。
俺のギリギリをダッシュで走り抜ける白。
体を掴もうとする俺。
白もギリギリでサッと避けて抜けてゆく。
これを永遠と繰り返すのだ、このゲームは。
懐かしいなぁ、アイツと多摩の公園で日が沈むまでこうやって遊んでたな。

ハアハアと白も俺も暑さでバテてきた。
軒先に避難し深めの皿に水を入れてやった。
余程喉が乾いていたのか、ビッチャビチャと水を撒き散らせながら飲み切った。

地べたにダラリと座り、横に寝そべる白を撫でながらのんびりと過ごした。
白は目を細め気持ちよさそうに甘えてきた。
お前ともそのうちお別れが来るんだよな。
あんまり仲良くすると辛くなりそうだけど、
ここにいる間は俺の犬だと想って、おもいっきり可愛がってやるか。

お前の気持ち良さそうに細めた目を見ていると
やっぱり想い出しちゃうよな、アイツの事。
白の顔にポタリと涙がこぼれ、俺を見上げた。
少し心配されたが、いいから、いいからと、白を寝かし付ける。
何年ぶりだろうか、アイツの想い出を解放させるのは。
俺一人だし、今日はおもいっきりアイツの想い出に浸ろうか。

こうやって、もっといっぱい、ずっと撫でててあげたかったな、ムク。

いつの間にか涙が止まらなくなっていた。
ポタポタと手に落ちた涙を白が舐めた。
起き上がって、涙でぐちゃぐちゃな俺の顔を舐めてきた。
アイツもこうやって、いつも俺を慰めてくれてたな。
優しい目をしたアイツの顔が空に浮かんだ。

 
      「 愛犬ムク 」

アイツに初めて会ったのは多摩市に越して来て間も無い小5の下校途中だった。
通学路に米軍のゴルフ場沿いの道を通るのだが、
この道は狭いのにダンプカーなどが勢いよく走る。
道の脇はコンクリートの塀がゴルフ場のフェンス沿いに崖のように続いている。
塀の下はその時間、車が猛スピードでバンバン通っていた。

アイツは狭くなった塀の上で身動きが取れなくてオロオロしていた。
このまま車道に落ちたら危ない。
すぐに友達と道を渡り、塀に昇ってブルブルと震えるアイツを抱き抱えた。
逃げようともせず素直に俺に抱かれ、低い位置から崖を降りた。
地面に下ろすとアイツはホッとしたのか尻尾を振りながら俺を見上げた。
体は結構大きくなっているが顔のあどけなさから云うと生後4ヶ月くらいだろうか。
迷い犬なのか捨て犬なのか、首輪もしていないので分からない。
そのままアイツを抱いて友達と近所の家を片っ端から訪ねた。

「 ピンポ~ン すいません、この犬どこの犬か知りませんか?
 しばらく飼って貰えませんか?」

誰に聞いても知らないと言い、大きくなった雑種犬の貰い手は見つからない。
とりあえず今日は俺ん家連れていくか。
友達の家にはすでに柴犬が一匹いることだし。

「 お母さ~ん、犬飼っていい?」

「 馬鹿何言ってるの、ダメに決まってるでしょう! 」

「 迷子でかわいそうでさぁ、また明日から飼い主探すから
見つかるまでいいでしょ~ 」

「 絶対お父さんだって、ダメって言うよ。 お母さん知らないよ 」

「 すぐに飼い主見つけるから!」

庭に放し、皿に牛乳を入れてやるとパチャパチャと夢中になって飲み切り
尻尾を大きく振って俺を見上げた。

よしよし、結構汚れてるけど可愛いヤツだな、腹減ってるんだろ。
残り飯に味噌汁をかけてやるとガツガツと一気に平らげた。
お前、よっぽど腹減ってたんだな。
もっと喰うか。
少しお腹も出ていて栄養失調気味だったのでチーズや卵、肉など、冷蔵庫にあった
栄養価の高そうなものを混ぜ合わせ、温めたりしてご飯を作ってやった。
アイツは何でもガツガツと夢中になって食べてたな。
今まで何を食べて生き延びて来たんだろうか。
食べ終わると腰を低くしながら尻尾を大きく振って俺の顔を舐めにくる。
ごちそうさまとでも言ってるかのように。

次の日、学校で犬を飼ってくれる人がいるか呼びかけたが、ダメだった。
親父は犬を飼う事に反対したが、ズルズルと飼い主が見つからないまま何日も過ぎた。
そして、俺の犬になっていった。

まさか俺の犬になるとは思わなかった。
毛並みがムクムクしてたので適当にムクと呼んでいたら
そのまま名前になってしまった。
メスの雑種でポインターやシェルティ、
柴犬など数種類の血が交ざっていると詳しい人に言われた。
ポインター特有の斑点模様が足に有り、めちゃくちゃ足が速い。
毛並みはシェルティのように首もとがふさっとしていて白と茶が交じっている。

学校が終わると急いで家に帰り、近くの公園で放した。
日が暮れるまでアイツは俺のギリギリを走り抜け、またギリギリで俺を交わす。
このゲームをいつまでもやってたな。

走って家に帰ると新しい水を汲んでやった。
アイツはいつもザバザバと凄い勢いで飲んでいた。
それから飯を作る。
母に貰ったムク用の小さい鍋に卵を落とし、火を入れて残り飯をかき混ぜる。
ソーセージやらハムなど冷蔵庫にあるものを混ぜてやった。
飯が冷めるのが待ちきれなくて、ハンハンと跳ねまくるから皿を下ろすと
ハフハフと、ちょっと熱そうにして食べてたな。

毎朝、学校に行く前にアイツの朝食を作り、散歩の後夕食を作った。
牛乳を入れてみたり、芋や野菜、
栄養バランスをいろいろと工夫して、アイツの好みも分かってきた。
俺が料理好きになったのはアイツの飯作りが始まりだろう。
ムク用小鍋は未だに俺が使っている想い出の鍋だ。

日曜日にアイツを初めて風呂場で洗った。
怖がらせないよう、ぬるめのシャワーをそっと足からかけた。
温かいシャワーが全身にかかると
何回も体をブルブルッと振るわせ、水を撒き散らす。
シャンプーをかけ全身をゴシゴシと泡立てると泡が真っ黒になった。
強引に嫌がる顔も濡らし、耳や口元まで洗うと全体が濡れて小さな犬と化した。

ブルブルッと黒い泡が風呂場の天井まで撒き散らされる。
俺の目や口にもめちゃくちゃ入ってきた。
最後に背中をぬるま湯で流してやった。
口を開いたまま顔を少し上に上げ
気持ち良さそうな目で俺を見たので頭を撫でてやった。
初めてのお風呂、よくできました〜

タオルでもみくちゃにすると、アイツはめちゃくちゃ喜んでたな。
洗った後はいつだって、めちゃくちゃ走り回ったりして
やっぱり犬も風呂気持ちいいんだろうな。

そう云えば、前に放し飼いしてたフェレットも風呂好きだったな。
俺がシャワーを浴びてるとドアをカチャカチャするから開けてやる。
そのままシャワーに入ってきて目を細めながら顔を上げ
口を少し開いたまま気持ち良さそうにシャワーを浴びていた。
洗面器にお湯を張ってやると、いつまでも気持ち良さそうに浸かっていた。
アイツも可愛いヤツだったな。
やたらとエサの鳥肉を俺の靴の中に隠してたけど。

ムクは洗った後ブラッシングしてやると見違える程綺麗になった。
毛並みも日に日に艶やかになり、俺の恋人になった。
首に抱きつくとツルツルでふさふさした毛が気持ちいい。
気持ち良さそうな目をするので毎日ブラッシングしてあげた。
夕陽の射した公園で芝生に寝転がり、二人きりの時間を毎日楽しんでいた。

休みの日に親父が犬小屋を作ってくれた。
冬には犬小屋を二重にして中にヒーターを付けてくれた。
そう云えば厚木で飼ってた兄貴の犬タロウも犬小屋にヒーター付けて貰ってたな。
ヨークシャーテリアなのに外飼いだったから毛がボサボサでワイルドな犬だった。
よく一緒に厚木の野山を走り回っていた元気な犬だ。

ムクがへんな犬に追いかけられ車道に飛び出して車に跳ねられた時は
血だらけのアイツを抱えて動物病院に駆け込んだ。
しばらく入院して結構お金がかかったけど、あの時は復活して本当に良かった。
動物病院って、なんであんなに高いんだろうか。
気軽には行けない値段だ。

ムクは俺にとってすべてだった。
一番大切なヤツなのに、俺は守る事も出来ずに見殺しにした。
3年目の春、アイツは2匹の子犬を生んだ。
俺が中2に上がった頃だ。
朝、犬小屋の中を覗くとハムスターくらいの赤ちゃんがムクの乳を吸っていた。
アイツは優しい目をして2匹の赤ちゃんをペロペロと舐めていた。
2匹の子犬はみるみる成長してとっても可愛いかった。
缶詰のドッグフードを牛乳と温めたりして、栄養価の高い子犬のエサを作った。
ムクのエサも必ず温めてからやる。

そんな時、親父のコロンビア転勤が決まった。
母はいつも親父について行く。
兄貴は大学があるので日本に残る。
お婆ちゃんも日本に残ると言った。
妹はコロンビアに行くそうだ。

俺はこの時、日本から早々と離れたいと思っていた。
カナダから帰り3年が経ち、そろそろ日本にも飽きがきていた。
不良ブームの日本の学校が嫌になっていたのもある。
クラスにはいじめ問題が常に小学校の時からあった。
俺は特にいじめる側でもいじめられる側でも無かったが
そんな光景を見るのは嫌なものだ。
小学校の同級生も不良グループとそうで無い者に別れていった。
中2の俺はまだ子供だと自分でも分かっていた。
全然ツッパル感じじゃない。
爆竹や空気銃、クワガタを捕まえて喜んでいる盛りだ。

彼女なんていた事が無い。
また引っ越すのが分かっているので好きな女の子がいても
どうする事も出来なかった。
小さい頃の厚木での別れがトラウマにでもなっていたのだろうか。
自分の感情をコントロールするのに、小さい頃から考え方を変えてみたりと
いろいろと試してみた。

とりあえず新しい世界をまた取り入れたいと思った。

あと1ヶ月で日本を発つ。
兄貴は大学のサーフィン部で海外旅行が多いが
お婆ちゃんも実家に残るし大丈夫だろう。
しばらくムクともお別れだな。
2年なんてすぐだ。悪いけど待っててね。
学校にも転校の手続きを済ませ、コロンビア行きの準備を整えた。
しかし出発の直前にお婆ちゃんが親父に怒鳴っているのを聞いた。

「 あたしゃ犬の世話なんか出来ないからねっ!!」

「 え~っ、散歩はともかく、エサぐらい兄貴がいない時に
あげてくれてもいいじゃん!!」

婆ちゃんは性格もきつく、母も昔からずっと苦労してきた。
決していい人とは言えない性格で、すこし捻くれていた。
一日中タバコを吸いながらテレビを見ている。

急いで学校中しばらく犬を預かってくれる人がいないか訊きまくった。
大きくなった成犬を2年も預かってくれる人は全然いなかった。

子犬の貰い手がようやく見つかった。
親父もあちこち親戚に電話して、親父の双子の弟が貰ってくれる事になった。
ブラジルから4歳で帰国し、初めて親父の双子の叔父さんに会った時は
顔も体付きもそっくりで、かなりパニクったのを覚えている。
今、家の中にいたはずの親父に外で出くわし、二人が同時に現れた時は
もう何が何だか訳が分からなくなり、走り出していた。

双子の叔父さんはもの凄く静な人で、あまり話しもせず、おとなしい。
同時に長男として生まれたのに、叔父さんは他の家に貰われていった。
昔は双子が生まれると引き離される事が多かったと云う。
7人もいる兄弟から自分だけ引き離され、血の繋がりもない家族と暮らし
とてつもなく寂しい想いをしてきた人だ。
ムクの子犬を貰ってくれて、歳を取って死ぬまで面倒を看てくれた。
叔父さんには一生感謝している。

出発の3日前、学校から戻るとムクともう一匹の子犬がいなくなっていた。
一瞬、サーっと血の気が引いた。
狂ったように親に問いただすが何も言わない。
あの時は大暴れした。
あまりにも俺が暴れるので親父が電話したみたいだ。

しばらくするとムクと子犬は保健所の車の狭い檻に入れられて戻ってきた。
もう涙で顔がぐちゃぐちゃになりながらムクと子犬を抱きしめた。
ムクもかなり不安だったらしく、腰を低くして俺の顔をいつまでも舐めていた。

まさか親父がこんな事をする人間だったとは、同時に凄いショックだった。
信じていた親父がこんな事を俺にするなんて酷すぎる。

次の日も学校で必死にお願いをした。
子犬だけでもいい、誰か飼ってくれ、2年分のエサ代も払うしお礼もする。
団地やマンションに住んでるヤツが多いせいか、
なかなか犬を預かってくれる人は見つからない。
今日が最後の日だが、大丈夫だろ庭があるんだから
犬のエサくらい面倒みてくれるだろう普通は。

いよいよ明日コロンビアに発つ。
いつものように、クラスのみんなにお別れの挨拶を前に立ってやる。

「 みんな元気で また~ 」

転入の挨拶もお別れの挨拶も、俺にはもう慣れっこだ。
涙などはもう流さないようにコントロールしてある。
いつものようにお別れの日はクールに決める。
しかし一人になった瞬間に涙が溢れ出す事もある。
家に着くまでは絶対に泣かないのが男だ。

みんなとの最後の会話がダラダラと続いていたが、
ずっとムクの事が気になっていて急いで家に帰った。
愕然とした。
またムクも子犬もいない。
親は黙ったまま、何も言わなかった。
すぐに保健所に問い合わせたが、そんな犬は預かっていないと言われた。
何度も狂ったように親に訊くが、頑に口を閉ざしずっとうつむいている。

もう探すしかない。
家を飛び出し、バスに乗って聖蹟桜ヶ丘まで行った。
そこから多摩川沿いの道を上流に向かって、ひたすら全速力で走った。
横っ腹がもの凄く痛くなったけど、間に合わないといけないから、ひたすら走った。
俺にはもう時間がない。

ココには前に一度だけ友達と子犬を見に来た事がある。
ギャンギャンと犬達の叫び声が聞こえるドアの窓から中を覗くと
檻の中に、何匹もの犬が詰め込まれていた。
それぞれが悲しそうに、また狂ったように鳴き叫んでいた。
クレゾール消毒液の臭いが一面を漂う。
ココはなんて地獄なんだ。
飼ってる犬を捨てるなんて、なんて酷い人達だろうか。
その時は許せないと思った。
まさか今、俺の親父がそんな事をするなんて。

処分場に着くと入口はもうとっくに閉まっていた。
ああ、遅かったか。
中に人がいるのが見えて、必死にドアをバンバン叩いた。
叔父さんがドアを開けてくれた。

「 すいません、うちの犬がいるかもしれないんです、お願いします!!」

必死に頼みこんだ。

「 いいよ 全部見せてあげるから、探してごらん 」

重いドアを開けて中に入ると、強烈なクレゾール臭が鼻を突いた。
鼻が人間の何千倍も敏感な犬にとって、この臭いだけでも気が狂いそうだ。
端から、一つ一つ檻の中の犬を入念に探した。
一つの檻には10匹程の犬が入れられていた。
人間に怒りをぶつけるかのように、狂ったように吠える白い目のヨークシャーテリア。
まだ尻尾を振ってくる、白い目のラブラドール。
ぐったりと元気のないセントバーナード。
歳を取った犬が多かった。

入所5日目の最後の檻まで見せて貰ったが、ムクも子犬も何処にもいなかった。
とりあえずムクの特徴を記録してもらい、自分の連絡先を残した。
もしココに来た場合、絶対に殺さないでくれと頼みこんだ。

ぐったりとして、クレゾール臭い処分場を後にした。
多摩川の土手に出て河原まで下り、川で顔を洗った。
真っ赤な夕陽が沈もうとしていた。
体も心も疲れ果てボロボロだった。
ブルブル震えながらヒクヒクと涙が止まらなくなっていた。
ああ、俺はどうすればいいんだ。
諦めるな、まだ少し時間が残っている。
気を取り直し、陽の落ちた河原をそのまままっすぐに駅まで歩いた。
バスに揺られ、暗くなって家に着いた。
またも親に問い詰めるが一切口を開かない。

「 ムク、どこにやったんだよ!!」

アイツらが今どんな想いで俺が助けに来るのを待っているかと思うと
心臓がぐちゃぐちゃに引き裂かれたように痛かった。
絶望し、心配で飯など喉を通らない。
そのままベットで泣き崩れたまま朝が来た。

「 早く用意しなさいっ! もうすぐタクシーが来るからっ! 」

「 俺、行かない 」

「 何バカな事言ってるの、今更!!」

もう、めちゃくちゃパニクっていたが、強引に車に押し込められた。
ムク。処分場にも保健所にもいないって、お前は一体どこにいるんだよ!!

「 一体、ムクをどこにやったんだよ!!」

泣きながらわめき散らした。
カナダで飼っていた、ハンターに親を殺された2匹のアライグマの子供のように
田舎とかで放してくれてたらまだいい。
あんな地獄で子犬ごと殺されるのなら、俺が死んだ方がましだ。

成田空港までの車の中、最後の瞬間まで日本に残ってムクを助け出そうとも思った。
そう思ったなんて云うのは只の言い訳だ。
本当にそう想っていたのなら、あの時飛行機に乗らなかっただろう。

もう心のどこかで諦めていたのだろうか。
コロンビアなんて犬の命を犠牲にしてまで行くような所じゃない。
こんな事になるのが分かっていれば絶対に日本に残っていた。
また俺の言い訳が始まった。
結局俺はアイツらを守ってあげるどころか見殺しにして日本を去ったのだ。
こんな事になるんだったら俺なんかに拾われなければ良かったのに。
野良犬でも子犬と一緒に殺されるよりはましだ。
アイツらは俺が殺したようなもんだ。

飛行機が離陸し窓の下に遠ざかる日本の地が見えた。
心の中が空っぽになったまま涙だけが頬を伝い首元を流れていった。
アイツは今どんな想いで俺が来るのを待っているのだろうか。
機内でもらったワインをガブ飲みし目を瞑った。
コロンビアに着いてからもしばらく何も食べれなかった。
アイツが殺されそうになっている時に
俺だけのうのうと飯を喰うなんて事は出来ない。

2週間程ホテル暮らしをして前任者の住んでいたアパートに移った。
なかなか広いアパートの4階だ。


毎日ムクの事が心配で眠れなかった。
ああ、俺はなんて嫌なヤツだろうか。
お前なんか死んでしまえと、何度も鏡を割ろうと思ったが割らなかった。
結局俺は意気地なしの卑怯者で最低のクソ野郎だ。
アイツら母子を裏切り、殺した。
罪悪感と自己嫌悪が雪だるまのように大きくなり、気分も体もすべてが重くなった。
最悪の日々が続いていた。

アメリカン・スクールの編入試験の日にちも近付いていた。

カナダから帰国してから全然英語を勉強していなかったので、かなり忘れていた。
勉強に集中できるような精神状態ではないが
一応毎日机に向かい外の景色を眺めていた。
アンデス山脈の小高い崖がそびえ立ちコンドルが上空に円を描いている。

自分を責め続けていたある日、大量の涙を流した後、もう止めようと思った。
もうこれ以上続けると俺の心が持たないと思った。
俺は悪いヤツだと開き直ればなんとか復活するんじゃないか。
俺は悪くて嫌なヤツだと開き直った。
もう強く生きて行くしかない。
俺は冷酷な人間に生まれ変わった。
そう思い込むしかない。
俺みたいなバカはいつ死んでもいいが、やるなら最後まで戦う。
プールの袋に米を入れ、クローゼットに吊るした。
明日のジョーとなり、ビシバシと一日中ライスバッグを打ち続けた。

アイツらには悪いが考え方を変えると少し楽になった。
飯も喰えるようになってきた。
もしかしたら、どこかで生きているかもしれないと云う1%の望みを残した。
これだけでも、かなり気持ちが楽になった。
そして夜は涙が枯れるまで泣いた。

家族と生活する上でいつまでもいじけてる別けにもいかないが
この時心に決めたのは、一生親父の誕生日と父の日は祝わないと云う事だった。
そして小さい頃から親父と遊んだ記憶を消し去った。
もう一生、二度と親父を信頼する事は無いだろう。
尊敬などするはずも無い。
それがムクと子犬の命の代償だ。

アメリカン・スクールには編入出来たが、
沈んだ心に追い打ちをかけるような日々が訪れた。
スクール・バスが停まる場所まで家から数ブロック歩く。
コロンビアでは東洋人は珍しく、いろんなヤツが道端から冷やかしてくる。
小さい子供はもちろんの事、いい歳のオッサンやオバサン、若い姉ちゃんまでもが
何かしら通りすがりに言うのだ。

「 チーノ!!」
「 チーノ オ、ハポネス? 」
「 チーノ コメ アロス? 」

チーノとは中国人の事で、ハポンは日本。
コメール アロス とは、米を食べると云う意味だ。
後はいろいろ言われてたけど、スペイン語も全然分からなかったので、
もっとエグイ事も言われていたのだろう。きっと。

からかわれる度に腹が立った。
日本から援助を受けていると云うのに礼儀知らずも甚だしい。
俺が日本人であろうが中国人であろうが、あんたらには関係ない。

学校でも東洋人は最初俺を入れて2人だけだった。
学年では俺一人だ。
いろんなヤツが声をかけてきた。
明らかに冷やかしてるっぽい上の学年のヤツとか、何処に行っても冷やかされる。
しかし手を出される事は一度もなかった。

スクール・バスから下りると用心しながら歩いた。
暗くなると危なくて外には出られない。
ムクの事やそんな環境の中、俺はもの凄く暗い生徒だった。
昼飯は一人で外の静な場所で喰う。

妹は日本人学校に入学した。
日本人学校に一人だけ俺の同級がいて、すぐに友達になった。
南君の親父さんは日本人学校の先生で、弟、妹と兄弟3人、空手道場に通っていた。
俺も空手に打ち込み、強くなる事に全力を注いだ。
ムクの事を忘れようとでもしていたのだろうか。

そんな時、俺の気持ちを逆撫でするかのように親父が子犬を買ってきた。
親父は一体どんな神経をしているのだろうか。
理解不能だ。
何処か欠如している。
頭にきた。

ムクの事も解決してないのに、こんな犬可愛がる訳にはいかない。
この犬も日本に帰る前に処分するのだろうか。
俺があまり構わなかったので新しい犬はエサをやる母に一番懐き、母の犬になった。
母に可愛がられた為、その後この犬は
日本、ブラジル、ザンビアと5回も飛行機に乗った。
我が家初の室内犬だ。
アメリカン・コッカスパニエルのタマちゃんメス。

    「 牧場の風景 」

「 お~ 腹減っただろ~ 昼飯にするかっ!」

叔父さんが戻ってきた。 

服や帽子が粉だらけになっている。
ずっと米の脱穀をしていたそうだ。

「 オバサンが何か作ってるから、取ってこい 」

奥に行くと、オバハンがスープをよそってくれた。
トマトベースのスープで長い鳥の足が入っている。
これはもしかして?

「 Si Si ~ 」

オバハンは頷きながらそうだと言っている。
足の長さからすると昨日撃った白い水鳥だろう。

アチチチッ!!
熱々のスープが入った皿を2つ持ち、ダラダラとこぼしながら家に入った。
長時間煮込んであるせいか肉がほろほろになっている。
ズルズルズル~ッ う、旨い。
鳥の臭みもチリなどの香辛料で消されていて、昨日食べた鳥の素揚げとは大違いだ。
やっぱりちゃんと料理しないと何だってダメだな。
このスープ結構旨いな、おかわり貰ってこよ。
マンジョカもどかっと入れて貰った。
やっぱりマンジョカは旨いな~。
いくらでも喰える芋だ。ズルズルズル~ッ。
外に出て鳥の骨を白にあげた。
バリバリバリッ。

「 お前、鳥撃ちに行かなかったのか、カギ車に付いてただろ 」

「 じゃあ、後で行ってみようかな 」

「 まあ、昼寝でもして、のんびりしとけっ 」

叔父さんも俺も部屋に入りしばらく昼寝をした。
暑い国の人間はよく昼寝をする。
途中で一度寝ないと体が持たないのだろう。
確かに昼寝をした後は頭も体も酒の酔いもスッキリと復活している。

スッキリとして起きると外はまだカンカン照りだった。
ビール2缶と22口径のライフルを車に入れ、ゲートを開いた。
一人だとまた車を移動させ、降りてまたゲートを閉めたりと
嫌になるくらいゲートがある。

ガタガタと進んだり止まったり、しばらく車内はロボット・ダンス状態だ。
慣れて来ると四駆パジェロのオフロード走行は結構面白い。
でこぼこな斜面をしっかりと登って行く。

地平線の広がる草原をのんびりと進んだ。
なだらかな斜面を下ると林が広がっていた。
薮の中から何か動物が出て来た。
黒っぽい中型の犬だ。
またサッと林の奥に隠れてしまった。
犬など撃つ気は毛頭ない。

またしばらく牧場の風景を楽しみながらのんびりとガタゴトと進んだ。
斜から射し込む陽射しが眩しい。
ああ、なんかカセットテープ持ってくれば良かったなぁ。
レゲエなんかかけたら最高にこの景色にマッチするんだろうな。
叔父さんの車CD付いて無いしなぁ。
今日はあえて無音で行ってみるか。

先の薮の陰でまた何か動いた。
車から降りライフルを構えた。
スコープに薮を映し出すとろくろ首のような長い首がにょきっと出て来た。
い、E.T !?
だ、ダチョウ!?
何でこんな所に。
こんなでかいの撃ったら羽を毟るのも大仕事だ。
ライフルを仕舞い車を走らせる。
ダチョウはのんびりと地面をついばんでいた。

池の手前で車を降り低木の陰からそっと池を覗く。
白いサギが2匹離れた場所に立ち静止した状態で魚を狙っている。
つがいのカモが奥で水浴びをしていた。
草原に座りプシュッとビールを開け、しばらく下の池を眺めていた。

飽きてきたので車を進める。
ウズラ出て来ないかなぁ。
あんまりぐるぐると奥まで行くと迷いそうだしなぁ。
とか言いながら、わざと激しい斜面にトライしたりとPajeroでひたすら遊ぶ。
おお~ッ!! 
サンダーバード状態!!
やるね~っ!! 
ワイルドな車とはこの事だ!!

池を一つ素通りした。
夕陽の射した草原を一人で運転するのは最高に調子いい。

なだらかな丘の上にリンゴの木が一本立ってる場所に出た。
でかいタカが旋回し、木のてっぺんに止まった。
アイツだ。
じっとこちらを睨んでいる。
太いオレンジ色のくちばしがカッコいい。

そろそろ最後のゲートだな。
ゲートを閉め、今日の狩り終了。
一発も撃たなかった。
逆に何か清々しい。
いい散歩だったな。

白が駆け寄って来た。
尻尾を大きく振りながら飛び付いてきた。

「 はいはい、獲物は無いですから~、すいませ~ん 」

汗ダクだったのでチョロチョロのシャワーを浴びる。
ああ、気持ちいい。
頭をタオルでゴシゴシ拭きながらプシュッと冷えたビールを開けた。
ぐびぐびぐび~~っ!!
うゔぉぉ~~っ!!
キンキンだ〜
ふ~~っ、 ビールって何でこんなに旨いんだろう。

「 何か獲れたんかっ?」

「 ウズラいなかったよ、ダチョウは出て来たけど。あれって、撃った方がいいの?」

「 ああ、あれか、アイツは撃たんな。
ヘビとか獲って食べるから、いい鳥なんだぞ 」

ああ、良かった~、撃たなくて。

「 遠くに中型の犬もいたけど、牧場の犬かなあ 」

「 それは多分、薮犬だぞ。 野生の犬だ 」

そんな犬までいるんかい。
薮犬、飼い犬、野良犬とパラグアイの犬ってなんか自由だな。
繋がれてる犬を一匹も見ない。
この中で一番幸せな犬はきっと薮犬だろう。
人間に飼われている犬が幸せだと思っているのは人間だけであろう。

「 今夜は村で祭りをやってるから、後で行ってみるかっ 」

おお~ 祭りかぁ~ 盛り上がる~っ!!
行くに決まってんじゃん!!

紺色の空が闇と交じり始めた。
エンジンをかけ、叔父さんがカセットテープを入れる。
今日はさぶちゃんだ。

暗闇に包まれ、二本の光だけが前方に延びて行く。
窓に無数の蛾がぶつかり、あっという間に鱗粉だらけになった。
水を出しワイパーを回すと余計窓がぐちゃぐちゃになる。

祭りだ!祭りだ! へ~いお祭りだ~~!!
さぶちゃんの歌がピークを迎えてる。
やっぱり叔父さん、狩りの時と云い何気に選曲してるよね。
DJ広だな、盛り上がる~っ!!

村の広場に着くとテントが張られ、所々で肉を焼いていた。
割れたスピーカーから大音量でラテン系ディスコ・ミュージックが流れる。

村の若者らがキャッキャ言いながら走り回っている。
田舎の金髪姉ちゃんらの笑顔はスッキリとしていて腹の底から楽しんでいるようだ。
田舎の美人は心の中から輝いている。

テントの中の席に座ると叔父さんの友達がビールと肉を持って来てくれた。

ビール瓶の栓をスポッと歯で開けてくれる。

「 おお、グラシアス! セニョール 」

歯で開けるの流行ってるなぁ、だからみんな歯がボロボロなんじゃないの。

ぐびぐびぐび~~っ、ぷは~~っ。
皿に乗ったソーセージにかぶりつく。
ジュアッ、アチチチッ! 
うんま~い!!
南米のソーセージはスパイスも他とは全然違い、粗挽きであっさりとしている。
塩分が少し強いがかなりの旨さだ。
ソーセージ自体特に好きでもないがこれは別物である。

手押しのメリーゴーランドが回り子供達がはしゃいでる。
ベンチが4つの小さい観覧車のような乗り物も、
兄ちゃん達がバーに掴まり、足で回していた。
アトラクションはこの2つのみ。
何かノスタルジックでいい祭りだなぁ
特にする事無いし音楽もかなり割れてるが、まあまあいい感じだ。
こんな星空の下いい音でトランスでもかけたらビックリして
初の音源にみんな盛り上がるんだろうなぁ。
周りは一面のホタルだし、ココでパーティーしたらかなりヤバイでしょ。

「 お前、あれ乗ってみるか? 」

げっ! ガキじゃあるまいし。でも暇だから乗ってみるか。
ベンチに腰掛けた。
おいおい、安全バーとか無いのかい。
俺一人かよ。
兄ちゃん達が観覧車を回し始めた。
おいおいおい~~っ は、早いよ!!
早すぎて、ベンチからずり落ちそうになっている。
必死に横のポールに掴まった。
勢いが付き、凄いスピードになってゆく。

「 危ない、危ない!!ストップ、ストップ~ッ!! パレ、パレセ~~ッ!!」

、、、

「 ポルファボ〜〜ル〜ッ !! 」

やっと止まった、ハアハア
兄ちゃんらが笑ってる。
君達サービスしすぎだよ!!
ジェットコースターより怖かったじゃんよ~っ!!
まじヤバかったわ。 おえっ! 

暗闇の一本道をまた帰る。
地平線まで無数の星々が輝き、ピカピカとホタルが大地を埋め尽くす。
牧場に着くまでに3台の車とすれ違った。

今宵は好い加減酔っぱらったので早々と寝るかぁ。
ミャ~ ミャ~ ミャ~ ミャ~~

コケッ コケッ コケコッコ~~ッ!!
ウンモ~~ウ、モ~~ウ
いつも通りの朝が来た。
ジーパンを履いて外に出るとドアの前で白が待っていた。

「 おお、早いなお前 」

顔をツーンと同時に上に上げた。
鳥小屋の脇に立ち、その後卵を取ってレモンを捥ぎ、家に入る。
ジュア~と目玉焼きを作り、叔父さんと食べた。

「 後で村まで買い物でもしに行くか 」

そりゃ~行くよ。
ココは時間さえも止まっているくらい暇なんだから。

白がゲートまで車を追いかけて来た。
胸を張り、高い丘から車を見届ける。

がらんとしたまたあの店に来た。
オバハンがニコニコしながら出て来た。

「 オラ、コモエスタ?」

「 ビエン、ビエン ムイビエン 」

「 そうだ、今日はカレーでも作ろうかな、材料買っとこ 」

玉ねぎ、ニンニク、ジャガイモ、人参。これだけあれば大丈夫だな。

「 オバハン、グラシアス!! あしたのエゴ!!」

近くの叔父さんの友達の家に寄った。
のんびりと外の日陰に腰掛け、もうかなりの時間マテ茶を回している。
特に会話に入る訳では無いのですぐに飽きてくる。
パラグアイはこれがやたらと長いのだ。
そろそろかと回ってきたマテ茶を断る。
演歌を聞きながら牧場に戻り早速カレーの用意を始めた。

「 肉ある?」

「 奥の冷凍庫にいくらでも入ってるぞ~ 」

冷凍庫を開くとでかい肉の塊がぎっしりと詰まっていた。
おお~、こんなでかいの切るの大変だなぁ。
どうせ恐ろしいほど固いんだろ。
とりあえず一塊出して解凍しとこう。

ジャガイモの皮を剥いたり、玉ねぎを切ったりしてる間に肉が解凍された。
パラグアイの灼熱太陽解凍はかなり早い。
肉を切り、油を引いてジュア~ッと炒める。
鍋にお湯を沸かし、肉を入れしばらくアクを取る。
ニンニクを炒め、玉ねぎを加え、飴色になるまで炒めて鍋に入れた。
人参、ジャガイモを加えしばらく煮込む。
日本から持って来たジャワカレー中辛ルウを入れた。
あっ!!
米を炊くの忘れてたっ!!
適当に米を研ぎ、即炊飯。
まあ、いいか。
パラグアイで急いでもしょうがない。

米が炊け、奥のオバハンやガウチョのオッチャンらにもカレーを振る舞った。

「 おお~っ、やっぱり旨いなぁ、日本のライスカレーは!! ハッハ~ 」

叔父さんはガツガツと旨そうに食べている。
オバハンもガウチョらも旨い旨い言いながら、ニコニコと食べている。

ジャワカレーはやっぱり旨いなぁ。
えっ!? みんなカレー初体験!?
そりゃ~、旨かろう。
大人の辛さとはこの事です。
俺は昔からこのカレーが好きだった。
肉は相変わらず固いけど、結構小さめに切ったからいつもより喉に詰まらない。
昼間からガッツリとカレーを喰った。

ビールを手にしばらく軒下でダラ~ッとくつろぐ。
白も足下で寝転んでいる。
ぼけ~~っと、のんびりとした時間がやたらに多い国だ。
叔父さんは昼寝に入ったようだ。
暇すぎる。
池で釣りでもするかっ。

「 白っ! 行くか?」

ビクッと起き、白が付いて来た。

池の縁に立ち、カエルのルアーをキャストした。
ピチャピチャピチャ、ググーッ!!
おお、いきなりだ!!
誰も釣りなんかした事無いからすぐにヒットする。
すっぽ抜くとまたスネーク・ヘッドだった。
針から外し草の上に投げると白ちゃんがバリバリと喰らい付いた。

「 おいおいおい~っ! お前、何勝手に喰ってるんだよ~!!旨いのか、それ? 」

しょうがないなぁと、もう一度キャスト。
ピチャピチャピチャ、ググーッ!!
おいおい、この池入れ喰い状態じゃんよ~。
またスネーク・ヘッドか、他のはいないのかい。

「 白っ、ほれっ 」

魚を投げてやると、またバリバリと平らげた。

「 お前、骨とか大丈夫なのか? 獣医とか連れてってくれないぞ、絶対に 」

暑さと蚊の限界が来て家に戻り、白に水をやった。
俺も昼寝でもするか。
カクッ

ウンモ~~ウ モ~~ウ
牛が集まる鳴き声に目を覚ますと窓の外が赤くなっていた。
外に出て夕陽をのんびりと眺める。
一人ぼけ~っとしていると赤い夕陽を背にⅠm位の人が近付いてきた。
えっ!! う、宇宙人?
こ、小人?

何だ、子供じゃん!!
牧場に子供なんていたっけか?
小さい男の子が話しかけてきた。

「 オラ~ 」

「 オラ悟空、名前なんて云うの?」

「 アルフレド 」

「 どこから来たの? 」

「 お婆ちゃんの所に遊びに来てるんだぁ 」

奥のオバハンの孫かぁ、週末だから親に預けられたに違いない。
俺は大人とあまり話しをする方じゃなかったけど
お前もココじゃ友達もいないし、暇なんだろう。
スペイン語もかなり忘れてるから子供相手に練習でもするか、俺も暇だし。

「 学校行ってるの?」

「 学校は入ったばかりだよ 」

おお、ピカピカの一年生かぁ、俺もこんな頃があったなぁ。

「 これ食べてみる? 」

甘辛ショウガ味のかりんとうを二人でボリボリと食べる。

「 うわ~っ これ美味しいね! 初めて食べた! 」

「 だろ~っ ハポンのお菓子だよ、サンパウロで買ったんだけど 」

日本にはもっと旨い菓子がいくらでもあるんだけど、今はこれしか無いんだよなぁ。
こんなにキラキラした目で喜ばれると、もっと旨い菓子を食べさせてあげたくなる。

素直な笑顔で笑うのはやはり田舎の子だからだろうか。
着ている服はボロだけど、ボゴタの貧しい子供達のような暗い陰は微塵も無い。
自分だけボロい服を着ていれば気分も落ちるかもしれないが
周りもみんな同じ様な服装なら、これが普通だと思うだろう。
気が付くのは街に出た時。

空が紫色に移りホタルが飛び交い始めた。

「 この光ってるのはスペイン語で何て言うの? 」

「 タカタカって言うんだよ 」

「 お~ ムーチョ、タカタカ~!! タカタッカ~~ッ!! ハハハ~ 」

「 ハハ~ タカタッカ~~ッ!! タカタッカ~~ッ!! キャッキャッ 」

「 アルフレド~、ご飯だよ~っ!!」

「 あっ、お婆ちゃんが呼んでるっ 」

「 かりんとう持って行きな、お婆ちゃんにも食べさせてあげれば 」

「 お兄ちゃん グラシアス!! チャオ!!」

素直ないい子だな。
ずっとキラキラした目でニコニコしていた。
俺も歳の離れた弟がいれば良かったなぁ。
虫取りとか連れて行ってあげたりしたんだろうな。

ミャ~ ミャ~ ミャ~ ミャ~ ミャ~

コケッ! コケッ! コケコッコ~~ッ!!
何も無い平原の真ん中でいつものように朝が来る。
飯を喰い、夜が来る。
鳥が鳴き、朝が来た。

単純なリズムでいつの間にか2週間が経っていた。
今までこんなにゆっくりとした日々を過ごした事は無かった。
白とめちゃくちゃ一杯遊んだ。
仕事も勉強も何もしなくていい。
何も考えなくていい。
かなりボケそうにもなるが牧場での日々はかなり意味のあるものだった。
ゆっくりと今までの自分と向き合う事が出来た。
ずっと仕舞い込んでいた想いも初めて解放した。
ココに来て身も心もスッキリと復活したようだ。
あの時ぶりに心のモヤが晴れたようだ。
まるで心のリハビリ施設である。

今日からエンカルナシオンと云う街に移動する。
ココには母の実家が有り、お婆ちゃんと叔父さんの弟の輝叔父さん一家が暮らしている。

「 用意は出来たか? そろそろ行くぞ~っ 」

「 白、お別れだ。 元気で生きてろよ。 またな!!」

白をギュッと抱きしめた。
いつもと違うのが分かるんだな。
白がそわそわとしている。

車を出すとすぐに白が追ってきた。
ああ、見ていられない。
ゲートを開けてると白が追いついた。
ハアハア言う白の頭を撫で、顔を掴み鼻と鼻を合わせた。
しばらくお別れだ。

「 じゃあな、白 」

お別れの時、俺は涙を見せない。

ゲートを閉め、車を走らせる。
白が高い丘まで駆け上がり、胸を張っていつまでもこっちを見ていた。
白、お前はずっと生きろよな。

いきなり涙が溢れてきた。
窓から顔を出し、小さくなってゆく白を見ていた。
金色に輝く小麦畑の彼方に消えてゆく。

小麦畑が延々と続き、トウモロコシ畑に風景が微妙に変わる。
地平線の終わりを目指し、先に見える水溜りを幾つも越してゆく。

道の下にトラックが突っ込み、横転していた。
この光景は意外とよく見る。

前方にでかい鳥が集まっている。
コンドルだ。
上空にも無数のコンドルが舞っている。
死んだロバの腹に頭を突っ込み、ぐねぐねの内蔵を引っぱり出して奪い合っている。

「 ハゲタカもいい鳥だから、撃たんのだぞ。 掃除屋だ 」

ハゲタカの集っている光景にマッチする演歌ってあるんだろうか。
ぼけ~っと外を眺めながらあれこれ空想するのは子供の頃からだ。
しかし長い時間演歌を聞いていると本当に日本にいるような錯覚を起こす。

空が赤紫色に染まり始めた頃、徐々にオンボロな建物が増えてきた。

「 そろそろエンカルに着いたぞっ、ちょっと一軒寄っていくかっ 」

街中の道はガタガタで土埃が凄い。
店の前に車を停めた。

看板には日本語で、スナックあじさい、と書いてある。

中に入ると年配の日本人のおじさんがカラオケで演歌を歌っていた。
ニコニコと叔父さんと握手している。
従業員はパラグアイの姉ちゃんだ。
ビールを貰い、3人で乾杯した。

「 よく来たね~ 遠いところ。 何もないけど、ゆっくりしていきなね~ 」

叔父さんとも久しぶりに会うらしく、話しが盛り上がっている。

「 お前、何か歌ってみろ 」

え~っ、俺音痴らしいんだよな~

俺が歌うといつもみんな笑い出す。
バイトで水商売やってた時はよく歌わされてたな。
年配客が盛り上がりそうなデュエット曲やらなんやら。
ちょっと上げ気味な北の演歌でも歌うか。

「 じゃあ、北酒場で 」

チャラ、チャラチャラン、チャラランララ、ララリララ~ン・・・

「 北んの~~ 酒場通りには~~ 長~い~髪の女が似合う~~っ 」

ケラケラ、ケラケラ、ケセラセラ
やっぱりみんな笑ってる。
俺って音痴なんだなぁ、きっと。
まあいいか、少し盛り上がったようだし。

次に叔父さんの友達がしみじみと昴を歌った。

「 さらば~~ すばるよ~~っ 」

なかなか良い曲だ。
パチパチ,パチパチ
叔父さんも盛り上がってきた。

「 じゃあ、一曲いってみるかぁ 」

「 よっ!! 広叔父さん!! 」

森進一の襟裳岬だ。

北の街ではもう 悲しみを暖炉で
燃やしはじめてるらしい
理由のわからないことで悩んでいるうち
老いぼれてしまうから
黙りとおした歳月を
ひろい集めて 暖めあおう
襟裳の春は 何もない春です
君は二杯めだよね コーヒーカップに
角砂糖をひとつだったね
捨てて来てしまった わずらわしさだけを
くるくるかきまわして
通りすぎた 夏の匂い
想い出して 懐かしいね
襟裳の春は 何もない春です
日々の暮らしはいやでも やってくるけど
静かに笑ってしまおう
いじけることだけが 生きることだと
飼い馴らしすぎたので
身構えながら 話すなんて
ああ おくびょうなんだよね
襟裳の春は 何もない春です
寒い友達が 訪ねてきたよ
遠慮はいらないから 暖まってゆきなよ

な、何だよこの歌、最初から俺の事を歌っているようだ。
黙りとおした歳月って、何なんだよ。
ああ、もうダメだ。
急に涙が溢れてきた。

身構えながら 話すなんて
ああ おくびょうなんだよね~
俺の事だ。
涙が噴き出し、曲が終わる前に店を飛び出した。
地面に崩れ、訳が分からない程に涙が止まらなくなった。
長年黙りとおしていたものが、一気に噴き出したようだった。

「 お前、大丈夫かっ!?」

叔父さんが出て来た。
おえ~っと、吐いてる振りをした。
背中を摩ってくれた。

「 ちょっと飲み過ぎた、もう大丈夫だから 」

この短期間で何でこんなに涙が出たんだろう。
確かに俺は今まで感情を押し殺してきた。
一体、何年分溜めて来たのだろうか。

通りすぎた 夏の匂い・・・
一つ出ると感情が次々と涌き上がる。
ここですべてを捨てて行こう。
このパラグアイの地に。
悩んでいるうちに老いぼれてしまうから。

ああ、なんて星空が綺麗なんだろう。
真っ暗な夜空に無数の星々が鮮やかに光輝いている。
俺は今、この地球に生きている。
俺の旅はこれからだ

  続く


牧場でくつろぐ

                         

                     

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