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【ナポリ⑦】街歩きから見えてくる過去、そして現在

今日は、第2回ナポリの街歩きフィールドワーク!!

前回が、第一次世界大戦後のファシズム建築とかについて学んだのに対して、今回は主に17〜18世紀のナポリを読み解いていく🔑

また、今日はアメリカからの留学生たちと合同で!!
アメリカ全土の大学からイタリアに集まって開講されるサマースクールがあるらしい🇺🇸
それぞれがイタリアにおける何か一つテーマを絞って研究してて、話聞いて面白かった!

前回の記事は👇

1.ナポリの伝説魚商人🐟

まず訪れたのは、17世紀半ばにナポリで市民反乱を起こした魚商人Masanielloのお墓がある教会。

当時、ナポリはスペインハプスブルク家の占領下。🇪🇸
貧しい市民から、多額の税金を徴収しようとしたスペインに対して、ナポリ市民の不満が爆発。彼を筆頭に、大規模な下層市民反乱が起こったという。

マサニエッロは「ナポリ人民」の総司令官に選出されたが、わずか5日後にこの教会Santuario di Maria Santissima del Carmine Maggioreで暗殺されたという。

この塔、遠くから見てずっと気になってた。

この教会の中にマッサニエロのお墓があるんやけど、20世紀まで隠されていたらしい。🪦🤫

骨自体はもうどこかに捨てられたとか。


マッサニエロ暗殺後、時代はフランス革命。🇫🇷🗡️

市民がこのお墓の存在を知り、下層市民の魚商人だったマッサニエロにでも反乱を起こせたのなら自分もー!!って風になることを恐れたらしい。

戦後になってやっと、今のナポリがあるのは彼らの反乱あってこそだ!って風にその時の市長が主張し、このお墓が一般公開されるようになったらしい。

2.赤ちゃんが集まる教会

次に訪れたのは、スパッカナポリにあるBasilica della Santissima Annunziata Maggioreってとこ。

黄色

自分たちは一般公開されてはない「捨て子の病院」へ。

ここは、15世紀から16世紀にかけて子どもを授かったけど、経済的にやったり、立場的に育てることができないお母さんが、匿名で赤ちゃんを預けられる修道院。

外から、ここに赤ちゃんを置くことができるようになってる。
赤子の洗い場

ここで聞いた興味深い話を一つ。

ナポリでは“Esposto“って名字が一番多いらしい。
この本来の意味は、ESPOSITO(捨て子)

こうやって、修道院に置き去られた孤児はもちろん名字を持たない。
だから、ここに預けられた子どもはみんな、Espostoって名字をつけられたらしい。

今もなお、そのルーツを持つ人々はEspostoって名乗りつづける。
これまでに、どれだけ多くの赤ちゃんが運び込まれてきたのか、って思うと心が痛む。

赤ちゃんの腕に結ばれた証

でもお母さんの中には「経済的に養育可能になったら」とか「結婚できたら」とか、様々な理由で「また引き取りに来たい」と考えている人たちもいる。

そんな時は、赤ちゃんの腕に自分のストラップの片割れをつけて自分の子だという印をつけたり(⬆️)、ピアスを開けたり、タトゥーを入れてから置いていく人もいたんだって。

このパネルでは、川に捨てられた赤ちゃんが奇跡的に生きていた話が書いてある。

ここの教会が見学場所となった今でも、貧困や予期せぬ婚外子の出産などにより、子どもを手放すことを余儀なくされる女性がまだ大勢いる。

昨今のナポリ移民増加により、その数は増えているらしい。
そんな女性を支援する制度がある、そのことを知ってほしい、とここでは訴えている。

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