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エンデのインタビュー

実はケストナーヤンソンも、僕は少年時代に読んだことはありませんでした。
僕にとって児童文学というときに一番に思い出されるのは、『はてしない物語』であり、エンデでした。

あまり本を読み返す習慣のない僕ですが、大人になり、教師になってから、ふとエンデを手に取ったことがありました。昔も今も、彼は僕にアイディアを与え続けてくれる人のひとりです。

いつか自分も、創作をしたい。そのときには、自分にとってのエンデのエッセンスが、作品に反映されていて欲しい。ちょっと大胆なそんな願いもこめて、これから何度かエンデをとりあげてみたいと思います。

第1回の今日は、エンデのインタビューでグッときたものを紹介します。
歴史をテーマに創作したいと思っている僕ですが、とても参考になるものでした。

エンデがインタビュアーに、「神話」をテーマに語っています。
僕は、これを「歴史」に置き換えて読んだとき、とても共感をおぼえました。

以下、引用はすべて『エンデ全集1巻』の、田村都志夫氏によるインタビュー記事からです。

わたしたちは、この惑星でみんな一緒に生きてゆくことを学ばなければならず、それに、わたしたち自身を理解することを学ばなければなりません。ということは、つまり、神話を見つけなければならないということです。
そして、この神話は、次の二つのことを含んでいるのですが、この二つは今まで一緒にならないとされており、いまだ、どのようにして一つにすればよいのか、わたしたちはまだ知らないのです。
一つは、絶対的価値として、人間の個人の有効性であり、他方は、人類全体です。つまり、民族や族ではなくって、人類全体がもう一つの理想なんです。これら(二つ)が一緒にならなければならない。そして、それがどのようにできるか、わたしたちにはまだまったくわかりません。

それは(=神話は)ビジョンでなければならない。わたしたちはみんな、実はこのビジョンを探しているのです(煙草を一服吸う)。
これは、今までまだなかった、まったく新しいものでしょう。わたしはいつもそう見ようとして、こう言うのです。昔は民族の神話だったものが、いわばギリシャの神話、ヘブライの神話、ローマ神話、ゲルマン神話、日本神話だったものが、将来は個人の神話となるんだと。
つまり、個々の人間が完全に成長すれば、各自自分の神話をもつわけです。神話に表現される、隠れたものの自分の側面を持つのですね。
そうすると、二人の人間が出会えば、ちょうど二つの神話が出会うかのようになる。

インタビュアー田村氏の質問が入ります。

「しかし、個人の神話というのがありうるでしょうか?「神話」とは、つねにある全体のものではないのですか?」

エンデの答えは僕には衝撃的。

そのようなものの構想を描こうとした、わたしの試みの一つが、たとえば『はてしない物語』といえるでしょう。

聞き流せません。エンデは、エンデの言うところの神話、個人の神話の理想像として、『はてしない物語』を執筆したというのです。なんともワクワクするではないですか。

なぜなら、これは(=『はてしない物語』は)ひとつの神話で……バスチアンは、あの一夜に、あの謎めいた本を読むことにより、彼の神話を体験するのですから。それはバスチアンが体験する彼の「神話」なのです。そして、バスチアンは、あの夜、かれの神話を体験するからこそ、翌日には、外の世界にも向かうことができる力を、かれ自身の中にみつけることになるのです。

バスチアンは、なにもが意味を持たない、外の世界から、すべてに意味があるファンタージエンへやって来る。(そこでは)どのような些細なことも、全部が意味以外のなにものでもありません。これらの意味をすべて持ってバスチアンは外の世界へもどることができ、そして、かれの人生の外的な事実に意味を与えることができたのです。これが神話の機能です。

インタビュアーの田村氏は、「神話(ミュトス)」の基本意味は「語り」だと付記します。

「『語り』は根源的なものであり、そこですべてのものは、その時間の中の意味を帯びる」とのこと。

もちろん、少し理解が難しいところもあり、僕にすべて理解できているわけではありません。

エンデも田村氏も、感覚的に話しているようなところもあり、僕のように時代もちがい、言語もできない人間には、少し意味が取りづらい部分もあります。


でも、ここでエンデのいう「神話」は、僕にとっての「歴史」にあまりにもぴったりだ。

僕は、それぞれの人が、自分の歴史を持たなければならないのだと思います。そして、それが、自分の外的な世界に意味をあたえる力をくれると思うのです。

それに、僕も二人の人間が出会うということは、二つ歴史が交差するということだとも思います。

うん、エンデを読んでみよう。それは、12歳の頃の僕との対話にもなるのでしょう。僕も「神話」を持つことができるとして、それができあがっていくためには、エンデの作品を読み返すという行為がどうも必要なようです。

*記事の写真はエンデの若い頃(芸術学校時代)。

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