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【閑話休題#21】女の「嘘」から考える 阿部公彦『小説的思考のススメ』

こんにちは、三太です。

先日久しぶりに吉田修一『悪人』を再読しました。
そして、そもそも『悪人』を読もうと思うキッカケとなったこちらの本も再読してみました。

阿部公彦さんは東京大学で英米詩を教えておられる大学の先生です。
著作もたくさん刊行されています。
詳しい紹介は以下の公式HPから。

『小説的思考のススメ』は大きく11章で構成されています。
巻末には「読書案内」も付けられ、これから何か文学を読みたいなと思っている人にはうってつけの本です。
私もこの本を読んだのは、ここから文学の世界により入っていければいいなという動機がありました。(実際にこの本のおかげでこれまで以上に文学に浸っています・・・)

この本の第6章「吉田修一『悪人』―女の人はみな嘘をつくのですか?」について紹介していきます。

要約

第6章にはざっくり言えば(そして、当然と言えば当然なのですが)阿部先生が「『悪人』をどのように読んだのか」ということが書かれています。
阿部先生は3つの点に注目します。

着眼点①映画と小説の比較
『悪人』は妻夫木聡さん主演で映画化もされています。
その映画と小説を比較して考えます。
映画は量(時間)や精密さの表現、小説は言葉のレトリックがポイントだと述べられます。
そして、もう一つの特徴が次の着眼点です。

着眼点②新聞連載という特徴
『悪人』は単行本化される前、朝日新聞で連載されていました。
日々読者の興味を喚起するため、ミステリー仕立てになっています。
けれども、ただの本格ミステリーでは終わりません。
もう一つ、新聞連載がもつ意味は登場人物の造形です。

『悪人』には、ときに“純文学”の作品に見られるような、その作品の外では絶対に存在しえないような独特な人物は出てきません。(中略)そのおかげで新聞という舞台のふつうさや日常性と、フィクションの世界とが地続きになることが可能になっているように思います。

『小説的思考のススメ』(pp.103-104)

新聞連載だからこそ日常と地続きだということです。
しかし、吉田修一が見事なのは、いわば「スター不在」のキャストを用い、ミステリーという通俗的な物語の枠を使ってなお、それだけではおさまらないものを描ききっているということです。
その鍵が人物の濃淡です。
これが着眼点③につながります。

着眼点③祐一と女性との関係の濃度の変化
「嘘」の問題を軸に、祐一と佳乃、祐一と光代の関係性に焦点を当てます。
ちなみに『悪人』のあらすじは前回のnoteなどを参考にしてください。

佳乃は「嘘」を次のように捉えます。

ついた嘘がどんな恐ろしい現実を引き起こすかも想像せずに、嘘は嘘だから、と切り離して考える。言葉は言葉、物は物、とわりきっているのです。佳乃はどうやら物の世界の安定感を信じ切っているようなのです。だから、言葉とか心といった部分に、おそろしく鈍感でいられる。だから、言葉や心に復讐される。

『小説的思考のススメ』(pp.109-110)

このような佳乃の「嘘」の捉え方が小説の決定的な場面で重要な意味を持ちます。

しかし、光代は少し違います。

「(祐一のことを ― 三太注)憎らしくて、愛おしかった」という言い方には、やはり嘘と似たような構造があるようにも見えます。「憎らしさ」と「愛おしさ」とは本来相対立するものであり、それが同時にあることはありえない。どちらかがニセであるはずなのです。しかし、そうではない。「憎らしくて、愛おしかった」という言い方が表しているのは、「憎らしさ」と「愛おしさ」とのどちらもが同時にありうる世界が確かにあるということなのです。

『小説的思考のススメ』(p.115)

このことが祐一との関係で次のような関係性を生み出します。

(光代との関係では ― 三太注)逆方向の力が一度に発生している。でも、光代は祐一との出会いを通して、このような嘘と真実とがともにありうるような世界を獲得していくのです。その結果、嘘と真実との交錯に怯えていた祐一も、両者の併存を生きるための居場所を提供されることになる。安心してそこにいることができる。光代とともにいれば、祐一は言葉と物との、心と現実との衝突に脅かされずに済むのです。両者の間がつながれていることが示されているからです。

『小説的思考のススメ』(p.116)

この祐一と女性との関係性の変化を捉えることによって、ラストシーンの意味がよりはっきり見えてきます。

感想

「嘘」を軸に女性との関係を追うという阿部先生の手法が、自分の考えていたラストシーンの解釈とつながってとても面白かったです。
深く解釈できる作品はやはり名作だと思います。
そして、女性との関係性をラストまでのオチを見据えながら組み立てていたとしたら、(いや結果的にそう読み取れるので、組み立てていると言えると思うのですが)吉田修一さんはとんでもないなと思います。
もしかしてこういった点が作家のこだわる部分なのかもしれません。
ただ、今回色々と感じ取ることできたのは、自分でも感想を書いていたからこそだとも思うので、それは今後も続けていきたいと思います。

その他

本書で『悪人』以外に取り上げられている作品を紹介します。

太宰治『斜陽』
夏目漱石『明暗』
辻原登「家族写真」
よしもとばなな「キッチン」
絲山秋子「袋小路の男」
志賀直哉「流行感冒」
佐伯一麦「行人塚」
大江健三郎『美しいアナベル・リイ』
古井由吉「妻隠」
小島信夫『抱擁家族』

よしもとばななさんの「キッチン」などいくつかは元の作品も読んだのですが、読めていないのもたくさんあるので、(積読になっているのも)今後読めたら本書で振り返ってみたいと思います。

素晴らしい読み手がいることによって、(そういう本を読むことによって)普段の読書がより豊かになると思えました。

それでは、読んでいただき、ありがとうございました。

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