見出し画像

鹿児島県南九州市に移住した福島花咲里さんのLOCAL MATCH STORY 〜自分の強みと地域をかけ合わせることで新しい可能性を探りたい〜

移住を経験し、地域で活躍されている人を紹介する「LOCAL MATCH STORY」。
今回は、鹿児島県南九州市頴娃(えい)町に移住された現役地域おこし協力隊の福島花咲里(かざり)さんをご紹介します。
そして、この記事は福島さんご本人に執筆いただきました。

自己紹介

福島 花咲里(かざり)
鹿児島県鹿屋市出身
鹿児島県南九州市 ふるさと振興室 (地域おこし協力隊)

1993年生まれ。大学卒業後、個人ブログONESELF Lab(ワンセルフラボ)の運営を開始。暮らしの中で感じたことや読んだ本について自分目線で発信を行う。運営開始半年後から企業やNPOから依頼を受け、ライター業を開始。2019年1月に個人事業主として、屋号「かざぐるま」を開業。2020年に鹿児島県南九州市頴娃(えい)町に移住し、現在は地域おこし協力隊として活動している。

ブログ:ONESELF Lab|わたしと町の研究所

南九州市を代表する、青々としたお茶畑

鹿児島県 南九州市は2007年に知覧(ちらん)、頴娃(えい)、川辺(かわなべ)の3町が合併して生まれた、人口3万人ほどの町です。県の中心部までは、車で1時間。JRの在来線も通っています。

農業をはじめとした一次産業が盛んで、主にお茶、サツマイモ、大根が多く生産されています。中でもお茶は市町村別の生産量日本一で、全国的には「知覧茶」として親しまれています。

遮るものが何もない青空と、どこまでも広がる青々としたお茶畑は南九州市を代表する風景です。

お茶の葉1

写真:お茶の葉

番所鼻自然公園の風景

写真:番所鼻自然公園の風景

【PR】移住を検討されている方にお知らせ

「手触り感のある暮らし」への憧れ

幼い頃から母と祖父母と暮らしていて、畑で採れた野菜を調理したり、季節の食べ物を楽しんだりという田舎暮らしが日常の風景でした。そのおかげか身長が女性にしては高い170cmまで伸びました。その頃から「自分にはこの生活が合っているな」「大人になってもこんな生活を続けるんだろうな」と思い描いていました。

そのイメージは大学時代に見た映画「リトル・フォレスト」で確信に変わります。東北の小さな集落を舞台に、主人公の女性が自給自足を中心とした暮らしを紡いでいく内容なのですが、登場する旬の食べ物や風景が本当に美しくて。特に自分が口にする食べ物を自分で用意する「手触り感のある暮らし」に憧れを抱きました。

するとある日、同棲している彼から「南九州市に行きたい」と提案が。南九州市は大学時代からイベントなどで何度か足を運んでいた地域だったので、地元の人の顔がなんとなく見えていました。また、同年代の方々が数名、Iターンをしていることも知っていたので、移住に対する心理的なハードルはそこまで高くなかったです。

「移住後の暮らしはこんな感じになるだろうな」というイメージがある程度頭に浮かんでいたので、不安や心配よりは新しい生活へのワクワク感のほうが強かったです。

移住する前と比べてみて

仕事の面では、特に大きな変化はありません。
南九州市の中には光回線が通っていない地域もありますが、私が暮らしているエリアは自宅に回線を通せば問題なくインターネットが使えます。仕事柄パソコンを使うことが多いので、インターネットの設備がない地域で暮らすのは難しいと思います。

大きく変わったのは休日の遊び方。
元々インドアで、休日は家でゲームをしたり本を読んだりする事が多かったのですが、少しずつ外遊びに出かけるようになりました。SUPで海の上に浮かんだり、パックラフト(カヌーの形に似たゴムボート)で川を下ったりしていると、ゲームや読書では解消されない種類のストレスが溶けていくような感覚があります。

食の面では移住してから野菜をもらう機会が増えたのでぬか漬けに挑戦しましたが、管理をサボってしまい途中で手放しました。移住前から使っている1人暮らし用の冷蔵庫ではスペース的にも無理があったので、買い替えのタイミングで再開する予定です…。

買い物の仕方が変わった

南九州市は、農業と合わせて畜産も盛んです。
自宅から車で10分ほどのところにJAの食肉加工センターがあり、自炊用のお肉はそこで買っています。移住する前はスーパーで買う事がほとんどだったのですが、移住してからは専門店で買う機会が増えました。

肉は肉屋という昔の日本では当たり前だった風景に、平成生まれの自分が自然と溶け込んでいるのはおもしろいな、と感じています。

(不動産)会社がない町での家探し

私たちが移住を決めた頴娃町は南九州市の中でも特に人口が少なく、町に(不動産)会社がない状態でした。そこで移住者の受け入れを積極的に行っている地元の「NPO法人頴娃おこそ会」に相談し、空き家をいくつか紹介してもらいました。

NPO法人頴娃おこそ会のキービジュアル

写真:NPO法人頴娃おこそ会

幸いなことにすぐに住める状態の空き家が見つかりスムーズに引っ越すことができました。頴娃おこそ会の方によると「こんなに良いタイミングで、こんなに状態が良い物件が見つかることはほとんどない」とのことで、とてもホッとしたことを覚えています。

家賃については町の相場に比べるとやや高めですが、物件を紹介してくれた頴娃おこそ会による改修費や地域情報の共有、長期的な定住サポートなども含まれているので、以下の価格になっています。

物件種別:戸建
家賃:3万5000円
築年数:築60〜70年
広さ:約300坪(庭を含む)
駐車場:あり

自宅の古民家の床を畳からフローリングに変更

写真:自宅の古民家の床を畳からフローリングに変更

庭の草刈りの様子

写真:庭の草刈りの様子

移住後の収入と支出

収入については、協力隊の報酬が月に約16万円。令和2年度から協力隊制度が変わり、年に2回のボーナスがもらえるようになったので、年収だと200〜240万程度です。その他に協力隊の活動資金から、月に3万円(車両手当、通信料手当など)いただいています。

その他にも副業として行っているライティングやデザイン、駅の切符販売の仕事も合わせると月の収入は20万前後になります。

一緒に暮らしている彼は、動画クリエイターです。個人事業主として働いているので月の収入には波がありますが、平均すると会社員時代の収入よりは稼げているようです。

2人暮らし(20代男女)
食費:4万円(自炊をベースに、週1程度で外食)
家賃:3,5万円(任期中につき、全額補助)
水道光熱費:2万円
交通費:2万円(車1台分のガソリン・高速代など)
貯金:3万円(協力隊の報酬から)

移住先の暮らしで困ったこと

はじめに困ったのは、ゴミ捨てです。
住所を移す際に役場でゴミ出しカレンダーと、ゴミの分別ガイドブックという冊子をもらったのですが、それ通りに捨てても回収されないことが何度かありました。

そんな時に私たちより数年前に移住した方々とお話しする機会があって、会話の中で「ゴミ捨ては大丈夫?」と尋ねてくれたことがありました。相談すると解決策を教えてくれて、その通りにすると回収されるようになりました。

南九州市は都市部からのU・Iターン者が多く、色んな人が色んな視点で、「大丈夫?」と声をかけてくれます。移住当初はその優しさに感謝しつつも、頭の片隅では「なんでこんなに親切にしてくれるんだろう?」と不思議でした。

しかしある時から、移住経験者の方々は移住したばかりの私のことを、過去の自分を見ているようだから気にかけてくれているのでは? と考えるようになりました。

それからは、困りごとが発生したらすぐ相談するように。元々誰かを頼ったり、相談したりするのは得意ではないのですが、地域のことは住んでいる人に尋ねたほうが解決が早いし、知恵の幅も広いので、遠慮なくヘルプが出せるようになりました。

協力隊として自分の能力を活かせるのでは?

地方は都会と比べて情報発信力が弱いような気がしています。そこを解決するために、まずは自分からということで、学生時代にブログを立ち上げて鹿児島県の情報を発信する活動をはじめました。

南九州市もさまざまな観光スポットがあり面白い人がたくさんいますが、その情報が外に発信されていない現状にもったいなさを感じていました。

では、なぜ地方は情報発信力が弱いかというと、1つの原因として「言語化する時間がない」ことが挙げられます。

田舎暮らしというとスローでのんびりとした生活を思い浮かべる人が少なくないと思いますが、田舎暮らしは意外と忙しい。お金を稼ぐための仕事だけでなく、地域の行事や家の手入れ、子育て中であれば子どもの世話など、いくら時間があっても足りないという人が結構います。

精力的に活動している人は多いけれど、それを言葉やコンテンツにする時間がない。それならば、自分自身が、学生時代から積み重ねてきた、情報をインターネットを使って発信する能力を活かして、地域の人に代わって情報を伝えたらいいのでは? と考えるようになり、地域おこし協力隊としての自分を想像するようになりました。

地域おこし協力隊になるまでにやったこと

具体的には履歴書、職務経歴書、エントリーシートの作成です。

南九州市では応募時に履歴書、職務経歴書に加えて「地域おこし協力隊に応募した理由」や「着任した地でどのようなことに取り組みたいのか」などを400文字ほどでまとめたエントリーシートの提出が求められます。

漠然とした協力隊としての自分の姿が、エントリーシートを書く中で徐々に明確になっていきました。

地域おこし協力隊の活動内容

活動の軸として、大きくは3つです。
①言語化を用いた情報発信
②所属するNPO法人頴娃おこそ会による地域との繋がりづくりの支援
③創業に関わる業務

特に力を入れているのは、情報発信です。

先輩隊員(令和元年10月卒業)が立ち上げた「EIGO|エイゴー(EIGOエイゴー|頴娃町観光サイト | 頴娃町を中心に南薩エリアをあつくゆるく紹介するサイト)」というローカルメディアで南九州市を中心に南薩地方の情報を発信しています。令和2年2月に着任してから、市内のゲストハウスで開催されたイベントのレポートや、お茶農家さんへのインタビューなど、4本の記事を作成しました。

お茶農家さんへのインタビュー記事では公開のお知らせのために、個人のFacebookアカウントに投稿したところ、真っ先に反応してくれたのは意外にも町のおじちゃんでした。

自分としては市外の人に情報を届けるつもりで記事を作ったのですが、地元に住んでいる人から「おもしろかった」「さすがの文章力」「これからも町の情報を発信してください」と肯定的な感想をもらえて自信につながりました。

地域おこし協力隊の受け入れ体制や関係する人々

南九州市では「市役所職員と同じ職場に身を置き関係を築くことの意義はあるものの、任期満了後の生業づくりを目指す上では、いつまでも同じ環境のもとで働き続けることは、望ましいことではない」という考えを元に、
隊員の意向を尊重し活動の自由度を高めるために外部団体と連携したり、市役所外勤務の体制を提供したりすることが基本方針になりつつあります。

私の場合は、南九州市の頴娃町エリアの協力隊ということで、地元のNPOの頴娃おこそ会に市役所から派遣される形で活動がはじまりました。頴娃おこそ会では、私を含めこれまでに3名の隊員が所属し、活動を行ってきました。

出勤や日々の活動については、月末にエクセルで作成した活動報告書を行政側の担当者にメールで提出することで、市役所と情報共有をしています。市役所への出勤は求められていないので、柔軟なスケジューリングが可能です。いい意味で行政側のルールに縛られることなく、積極的な活動ができていると思います。

市内で活動する他の隊員とは、2ヶ月に1度の活動報告会で顔を合わせます。それぞれの活動をふりかえり、担当の方からフィードバックをもらう貴重な時間です。

地域の人との関係構築

協力隊の活動の1つとして地域のコミュニティスペースを活用して、月に2回ほど「しおかぜごはん」と題した朝ごはん会を開催していた時期があります。企画から運営まで担当する中で特に難しさを感じたのは、参加者を集めること。

運営メンバーと相談して「地域に情報を届けるには直接伝えた方が効果的」という事で、小さなチラシを作って近所の家を1軒ずつ回ることになりました。しかし移住する前から足を運んでいた地域とはいえ、地元に住んでいる人とは初対面です。「いきなりのお宅訪問はハードルが高すぎる……」と、先輩の協力隊に同行してもらうことに。

知らない人には誰しもが警戒心を持ってしまいますが、すでに面識のある先輩隊員の後輩という形で紹介してもらえたおかげで、地域の人も安心してお話ししてくれたように思います。

一般的に地域に移住者が増えるのは良いこと、望ましいことというイメージが強いですが、地元に住んでいる人の中には、自分が慣れ親しんだ地域に知らない人が増えるのを好ましく思わない方もいます。

だからこそ一足飛びに距離を縮めるのではなく、時間をかけた段階的なコミュニケーションを意識しています。

地域おこし協力隊の3年計画

日々の活動の中で意識していることは、任期満了後の3年1ヶ月目に「自分の力でご飯を食べていけるか」「自分の力で稼ぎを生み出していけるか」です。

1年目の現在は、情報発信のための取材を重ねながら、地域のことを知り、記事にまとめて発信する業務がメインです。時節柄、町内で過ごすことが多く、記事を作るためにパソコンに向かう時間も多いです。

2年目は、もう少し町の外に出る必要があると思っています。南九州市という軸を持った上で他の地域を見ることで比較し、新しい視点が生まれるような気がしています。

3年目は、町内と町外をゆるやかに行き来しながら、生業づくりに奔走していきます。具体的には今まで積み重ねてきたライティング能力の更なる向上と、実績作り。協力隊としての報酬がなくなっても、生活していけるような仕組み作りが必要です。

地域おこし協力隊卒業後の理想の姿

移住する前は都会への憧れが全くありませんでしが、移住したことで反対に都会への興味が強くなっています。合わせて海外への興味も強くなっています。移住者の先輩の中には海外経験が豊富な方も多く、そういった話を耳にするうちに憧れが強くなってきています。

外に目が向きはじめた理由は移住先での生活が少しずつ安定してきて「いつでも帰れる場所」になりつつあるから。

移住先での生活が気に入っているとはいえ、現在27歳。80歳まで生きるとして残りの50年をずっと今の地域で過ごすのは不自然に感じます。

末長く今の地域で暮らしていくために、ある程度外で過ごす時間の必要性も感じています。今のところの理想の姿は内と外、両方で自分の仕事を作ることです。

地域おこし協力隊の魅力

「自分の強み×地域」で、さまざまな可能性を模索できるところです。

私自身、ライティングが得意という自分の強みと、地域をかけ合わせることで新しい可能性を探っている最中です。個人事業主時代は正直、目の前の仕事に精一杯で新しい可能性を考える余裕がほとんどありませんでした。しかし協力隊として着任し、固定給がもらえるようになったおかげで経済的に安定し、気持ちの面でも余裕が生まれてきました。

気持ちに余裕が生まれると、少しずつ視野が広くなり、それまで見えていなかった自分の可能性を感じられるようになってきました。

また、個人事業主時代はライティングが中心でしたが、少しずつデザインの仕事もできるようになり、稼ぎの柱が増えつつあります。

やりたいことがある人や、自分が何が得意なのかを理解している人。
積極的に行動できる人にとっては、驚くべき成長の可能性を秘めた3年間だと思います。

地域おこし協力隊の大変なところ

地域=人なので、とにかく人と関わる事が多いです。現在は誰かと過ごす時間が極端に減りましたが、それでも地域で何かしたいと思った時には、誰かの協力が必要です。

私自身マイペースな性格で、個人事業主として働いていた頃は、自分のペースで仕事ができることに魅力を感じていました。しかし、地域で何かするとなると自分のペースで進められることはほとんどありません。誰かのスピードに合わせて全力疾走したり、こちらのテンションと釣り合わなくて置いてけぼりをくらったりと、いろいろあります。

移住当初はそれらの自分の支配下にない出来事に一喜一憂して、必要以上に消耗していましたが、誰かに話を聞いてもらったり、自分自身でノートを使って頭の中を整理したりして、少しずつ慣れていきました。

そして「地域おこし協力隊としての活動がうまくいかない」ということは「暮らしがうまくいっていない」ということでもあるので、心がモヤモヤした時はひとまず家の中を掃除して暮らしの基盤を整えることも多いです。

その他には、時々県の中心部に出て映画館に遊びに行ったり、学生時代の友人とご飯を食べたりして内と外のバランスを保っています。移住した地域と全く関係のない友人と話すと、自分の現状を客観的に捉え直す事ができるのでおすすめです。

移住を検討している方へメッセージ

移住をするとついつい「この地域に染まらねば」「早く暮らしを安定させねば」と大なり小なり「〜せねば」という焦りに似た感情が湧いてきます。そして地域で暮らす中で、見えない力関係に恐れを感じたり、真偽が定かではない噂話に翻弄されたりする場面も出てきます。

地域というミクロの視点で考えると一気に視野が狭まってしまい、息苦しさを覚える時間が増えていきますが、日本というマクロの視点で捉えると、地域のいざこざが途端に大したことのないように思えてきます。

移住したからといって、必ずしもその町の人間になる必要はありません。
町と移住者は1本の線で繋がるのではなく、グラデーションのようにゆるく温かい繋がりを元に、それぞれが幸せな暮らしを営んでいくのが理想の形だと思います。

日本は小さな地域が集まってできた国。
「移住した先の地域の生活が合わないと思ったら、また次の地域に移ればいい」「田舎での生活がイマイチだったら、また都会に戻ればいい」
それぐらいの軽やかさとしなやかさを持つことが、幸せな移住生活のコツかもしれません。

(終わり) 執筆時期:2020年9月

LIFULL 地方創生からお知らせ

地方移住マッチングサービス「LOCAL MATCH」のティザーページ公開

【未来が描ける移住はじめませんか】
地方移住マッチングサービス「LOCAL MATCH」2021年5月サービス開始

LOCAL MATCH は、未来の「仕事」「暮らし」「将来設計」を事前に描ける移住プラットフォームです。
Facebookグループに参加すれば、LOCAL MATCHの最新情報が受け取れます。詳しくはティザーページをご覧ください。

移住経験記事「LOCAL MATCH STORY」を書いてくださる方募集中

他のLOCAL MATCH STORY も是非、御覧ください


この記事が参加している募集

この街がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?