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鹿児島県枕崎市に移住した篠塚立夏さんのLOCAL MATCH STORY 〜時間だけはたっぷりある協力隊、チャンスを活かさない手はない!〜

移住を経験し、地域で活躍されている人を紹介する「LOCAL MATCH STORY」。
今回は、鹿児島県枕崎市に移住された現役地域おこし協力隊の篠塚立夏さんをご紹介します。
そして、この記事は篠塚さんご本人に執筆いただきました。

私の自己紹介

篠塚 立夏(しのづか りっか)
茨城県生まれ、神奈川県横浜市育ち。高校3年間はスイス、大学進学・就職時は東京で過ごしたが、転勤となり福岡へ。その後、鹿児島県枕崎市へ移住。鹿児島県枕崎市 水産商工課観光交流係(地域おこし協力隊)

大学卒業後、広告代理店で4年間ディレクターを務める。その後、憧れの田舎暮らしを叶えるため縁もゆかりもない鹿児島県枕崎市へ。2019年4月より地域おこし協力隊としてSNSやイベント、時にはメディア出演などさまざまな角度から枕崎の魅力を発信。移住初日から続けているInstagram(https://www.instagram.com/licca.898/)のフォロワーは3500人を超える。2020年6月には、地域に根づく事業者を支援するため、「“ふるさと孝行”しよう。」をコンセプトとした通販サイト『REHOME DELI.』を立ち上げ、運営に邁進中。

私が移住した地域はこんなところ

鹿児島県枕崎市は九州の南端に位置する人口2万人ほどの小さな町。海と山に囲まれた地形と温暖な気候に恵まれ、漁業・農業ともに盛んに行われています。特に、かつお節の生産量は日本一。50軒ほどの工場がそこかしこに点在しているため、カツオを燻す香ばしい薫りが街中に漂っています。
例年8月には枕崎随一のイベント「さつま黒潮『きばらん海』枕崎港まつり」が開催され、市民の寄付によって打ち上げられる九州最大級の三尺玉花火は一見の価値あり。県内外から訪れる10万人以上もの人々を魅了しています。

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写真:鹿児島県枕崎市は日本有数の港町。かつお節の原料となるカツオをはじめとした多種多様な魚が日々水揚げされています。

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写真:漁業だけでなく農業も盛んで、お茶や芋、柑橘類、電照菊など幅広く生産されています。

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なぜ移住しようと考えたのか

元々田舎暮らしに憧れがあり、叶えるならいろいろと身軽な20代のうちだ!と考え、社会人5年目になる年に思い切ってアクションを起こしました。
物心のついた頃から一番長く住んでいたのは神奈川県横浜市のため、出身地を聞かれると迷わず「横浜です」と答えていますが、実は生まれは父の出生地・茨城県。ほとんど記憶はありませんが、田んぼに囲まれたいわゆる“ど田舎”にある保育園に通っていました。
母の実家は佐賀県で、夏休みに帰省した際に祖母宅から畑や山々を眺めるのが好きでした。今も変わらぬ素朴な風景に帰るたび癒されています。
さらに、高校3年間を過ごしたスイスにある日本人学校も山の上の小さな村にあり、まさにハイジの世界。まるで天然プラネタリウムのような満点の星空が目の奥に焼きついて離れません。
大学進学・就職時には大都会で生活をしていましたが、便利さとは裏腹に人の多さや自然とふれあう機会の少なさに違和感を抱くようになり、田舎暮らしに対する憧れを次第に強めていきました。

移住するまでこんなことありました

田舎に住みたい!と思っても、行く当ても仕事の当てもなく、ずるずるだらだらと都会で消耗する日々が続いていました。自分の意思の弱さに悶々としていた頃、当時たまたま仲良くなった友人が房総半島に突然移住をしたのです。地方出身の彼女もいつかは田舎暮らしを、と考えていたそうで、移住フェアで地域の人と意気投合をし移住を決断。私がうだうだしているうちにあっという間に夢を叶え、生き生きと過ごしている姿に強く感銘を受けました。数ヶ月に一度のペースで彼女の町へ通い、話を聞くなかで“地域おこし協力隊”という職種があることを知ったのは、今思えば大きな転機だったのかもしれません。地方移住を検討するにあたって一番の心配事、「仕事はあるのか?」が少しだけクリアになった瞬間でした。
彼女からのアドバイスを踏まえながら、自分のなかで理想の移住先のイメージ「海と山があって暖かいところ」「できれば南の方(祖母の住む九州がいいかも)」「人口は1万人以上」など、少しずつ固まっていきました。そんな矢先に飛び込んできたのが、当時勤めていた会社の福岡支社立ち上げの話。上司に「立ち上げメンバーとして行きたい人いる?」と投げ掛けられ、すぐさま手を挙げました。もちろん立ち上げ自体も面白そうだったのですが、内心は「会社のお金で九州に引っ越せる!」という喜びでいっぱい。20代のうちに移住すると決めていたので、立ち上げメンバーとしてある程度の責務を果たしたのち、満を辞して鹿児島へ移住したのでした。

移住後のライフスタイル

都会で暮らしていたときと180度変わった、と捉えることもできますし、一方であまり変わっていないともいえます。
仕事に関しては、変化しかありません。前職は出張が多く、その分溜まった仕事を会社に戻って一気にこなすというサイクル。日々締め切りに追われ、心身ともにいっぱいいっぱいでした。夜遅くまで会社に残ることが当たり前の日常だったので、残業はなく17時には帰宅できてしまう地域おこし協力隊の仕事に、はじめは拍子抜けしたものです。
プライベートは、変わったように見えて案外変わっていないのではないか…?と最近気がつきました。元々趣味もほとんどなく、休日は(平日の反動もあり)家に篭ることが多かったので、田舎に住み始めた途端にアクティブになって多趣味になるといった変異は残念ながら起きませんでした。とはいえ、時間にも心にも余裕ができたのは明らか。地域を知るためにもあちこち巡ったり、散歩をしながら四季の移り変わりを感じたり、銭湯の常連になってみたり。移住前に憧れていた“豊かな暮らし”に、少しは近づいているのかもしれません。

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写真:枕崎のシンボル・立神岩。全長42mもの高さを誇ります。東シナ海にそびえ立つその凛々しい姿は市民の誇りです。

移住してわかった地方暮らしの魅力

私が考える地方暮らしの魅力は大きく2つです。
1つ目は、自然の恵み。私の住む鹿児島県枕崎市はとてもコンパクトで、中心部から15分も車を走らせれば市内のどこへでも行けてしまうサイズ感です(町田市より少し大きいくらい。とはいえ生活圏は狭く、人口は1/20…)。そんな小さな町を取り囲むように迫り来る東シナ海と山々。景色は日々、少しずつ少しずつ表情を変え、生命の息吹を感じることができます。そしてなんといってもごはんが美味しい…!枕崎は全国有数の港町なので、その日の朝に水揚げされたばかりの新鮮な魚介をいただくことができます。その鮮度の高さには、移住して1年半経っても未だに驚かされます。都心に住んでいたときは自然と戯れるためにも、美味しい魚介を食べるためにも、お金や時間などさまざまな労力をかけていたと考えると、あまりにも贅沢な生活をしているなあ…としみじみ思うのです。

2つ目は、人の温もり。やはり狭いコミュニティですので、人と人の距離感が非常に近いです。もちろん良し悪しありますが、地縁のない移住者(しかも独身)にとってはありがたいことばかりでした。ことあるごとに「〇〇は大丈夫?」「△△は知ってる?」「今度××に行ってみて!」と気にかけてくださり、ときには野菜や果物、魚などの食材をいただくことも。都会では考えられないほどの親身さに最初はちょっぴり戸惑いましたが、周囲の人に気を配ることが当たり前の習慣になっているのだと気づき、素直に甘えさせていただくことができました。このように薄く低く引いた他者との境界、高く強く張り巡らされたアンテナが地域の結束を固くし、どんなに不便な環境だとしても互いに助け合って生き抜いてきたのだと身をもって知らされました。

移住先での住まいについて

実のところ、地域おこし協力隊として合格するまで枕崎には一度も行ったことがありませんでした。そのため、家探し(内見)が初来訪。当日までに市の地域おこし協力隊担当の方が不動産屋さんと話をつけ、一人暮らし向けの住宅をいくつかピックアップしてくださいました。家の条件を事前に提示しましたが、枕崎の田舎具合を想像できていなかった私は、「2階以上」「バストイレ別」といったいわゆる集合住宅をイメージして希望を伝えていました。今思えば完全に都会の感覚です。人口2万人の田舎にはそもそも一人暮らし用の家がほとんどなく選択肢は少なかったですが、特に不満もなく、ちょうどよい部屋を見つけることができました。
せっかく田舎暮らしをするのだから、一戸建てや古民家に住んで“田舎らしさ”を満喫すればよかったのかな…と思ったりもしましたが、前述したとおり、移住した途端にまったく新しい環境に適応できるわけではなさそうです。徐々に自分自身を慣らし、順応できそうであれば居住空間も変容させていけばいいのかな、と考えています。

移住先でのお金事情について

私は元々物欲がほとんどなく、これといった趣味もないので正直あまり困ることはありません。地域おこし協力隊になってから前職と比較するとお給料は大幅に減りましたが、ほんのわずかでも貯金があることが精神の安定につながっているような気がします。
都心に住んでいたときから比べて、食費・交際費が圧倒的に減りました。食料はありがたいことに地域の方にいただくことが多くあります。コンビニに行く機会も減り、思わずお菓子を買ってしまった、ということはほとんどなくなりました。一方で、田舎では車は必需品。なければ生きていけません。まず車の購入、それからじわりじわりとかかる保険やガソリン、駐車場、メンテナンス代は想像以上でした。ちょっと都心へ出かけるためにも1時間以上の移動時間を要するため、金銭面だけでなく時間や労力的にも負担がかかります。
総じてプラスマイナスゼロ、といったところでしょうか。都会と田舎、一括りにするのは容易ではありませんが、どちらも一長一短で、生きる上で何を大切にしたいかで選択すればよいのだと思います(その選択は一生ものである必要はないので、気軽に選ぶのもアリですよ)。

移住先の暮らしで困ったこと

人にも環境にも恵まれ、困りごとはほとんどないといっても過言ではないのですが…強いていうならば、同じ(似たような)価値観を共有できる友人がなかなかできないこと。聞こえは深刻ですが、当然の事象だと思って受け止めています。だって、生きてきた環境が違うのですから。地方に暮らす人たちのなかには、県外で生活したことのない方が多くいます。逆に私は、高校進学時にスイスへ渡ったことをきっかけに、一箇所にずっと住み続けることに閉塞感を抱くようになってしまいました。どちらがよいとか悪いとかではなく、生きるなかで培ってきた価値観が異なるのは当たり前。きっと地域の方からしたら、私のことも「変わった子が来たなあ」と思われているのでしょう。せっかくこれまでとはまるで別の世界へやってきたのだから、違った価値観を知り、互いを受け入れ交わり、新たな価値観を生み出すことが醍醐味なのだと思います。

地域おこし協力隊に応募した理由

「20代のうちに新しい挑戦をしてみたい」という思いのもと、縁もゆかりもない土地への移住が大前提。そのため仕事の当てがあるわけもなく、脱サラして己の力で稼いでいくスキルも覚悟もなかったため、地域おこし協力隊を募集している地域へ移住しようとはじめから考えていました。当時感じていた地域おこし協力隊の魅力は以下のとおり。
・ミッションの分野がさまざまで、未経験だとしても興味関心のあることを比較的ハードル低く始められそう
・仕事の型が決まっていないことが多く、自分の強みを活かしながらある程度の自由度を持って動くことができそう
・初めての田舎暮らしでも周囲からのサポートを得ながら居場所づくりができそう
最長3年間で卒業=無職となるのは不安もありましたが、3年間で何をどこまでできるのか、4年目以降につながる縁を創出できるのか、自分自身を試したいというワクワク感のほうが大きかったように思います。

地域おこし協力隊になるまでにやったこと

地域活動や地方移住に関するテーマを扱う雑誌を時折買い、ローカルで活躍されている方のエピソードを読んで勉強していました。ただ、どれもこれもキラキラとした成功体験や元々ものすごいバックグラウンドをお持ちの方の話ばかりで、「自分には無理だ…」と不安になったのを覚えています。
枕崎については正直ほとんど調べませんでした。どんなところでもやっていけるだろう、という根拠のない自信があったのと、先入観ゼロの状態で地域と向き合いたかったからです。平凡な私の強みは“よそ者力”だけ。そう考えて、地元の人は気づいていない町の魅力をよそ者目線で発信しようとInstagramアカウントの運用準備は着任前からしていました。
そのほか、「着任したらこんなことをやってみたい」という“打ち手”リストをつくったりもしていましたが、町の実情やその背景を知らないままに羅列した内容は非常に浅はかで、ほとんど役に立たず日の目を見ることはありませんでした。

地域おこし協力隊の活動内容

地域の魅力発信を基軸に、地域と地域外とのつながりをつくること。これが私のミッションだと考えています。(※観光振興担当ではありますが実質的にフリーミッションのため、初年度からの発信活動を通じてこのように自分自身に課しました)
枕崎に住まいを移してから、「この町には本当に“地域おこし”が必要なのだろうか?」と感じることが多々ありました。なぜなら、想像していたよりもずっと町は盛り上がっていたから。毎月のように何かしらのイベントが開かれ、市民は精力的に参加しみんな笑顔いっぱい。30〜40代の若手経営者たちは熱く町のことを考えている。産業もまだまだ元気。とはいえ町から人はだんだんと減っていき、もの寂しい印象も否めませんが、それでも状況を悲観的に捉えている人には未だ出会ったことがありません。コロナ禍にある現在も、むしろ苦境をバネにしてがんばろうとしている人が多く頼もしい限り。そんな様子を見て「なんだ、地域、おきてるじゃん」と思ったのです。
ただ、市外への広報PRには課題があるように感じました。県内で知り合った2人に1人は枕崎へ訪れたことがなく、どんな町なのかもよく知らないと話すのを聞き、なかなかにショックを受けたものです。そこで私にできることは何かと考えた結果、やはり“よそ者力”を駆使してとことん地域の魅力を発見し、伝えること。枕崎市外の方へ発信するのはもちろん、市民に対しても「枕崎って素敵な町だよ!」としつこく言い聞かせ、シビックプライドを掻き立てることを意識していました。ふるさとが如何に素晴らしいかを認識してもらえれば、日々の取り組みへの士気が上がり、市民自らが町の魅力をさらに発信するようになるのではないかと考えたためです。
一方的に発信するだけでなく、相手と相互的にコミュニケーションを取ることも大切にしています。SNS上のやりとりをはじめ、イベントで枕崎の伝統食を試食してもらったり、特産品であるかつお節の削り体験をしてもらったり。そうすることで、情報や体験を受け取った側からの発信をしていただくことが狙いです。また、人々からリアルな声を聞くことはとても勉強になりますし、これらを通してできたご縁が今後の活動につながることも。「発信することでどんな現象を起こしたいのか?」という目的意識は常に忘れないようにしたいと考えています。

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写真:鹿児島市内のカフェで行われたイベントで、枕崎の伝統食である「茶節」(ちゃぶし。かつお節と麦味噌をお湯やお茶でといた簡易味噌汁)を提供しました。かつお節を削る体験は多くの方に喜んでいただけました。

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写真:桜島で開催された九州最大級のロックフェス「THE GREAT SATSUMANIAN HESTIVAL」でも茶節を提供し、県内外から訪れたお客さんに枕崎の食文化を伝えることができました。

地域おこし協力隊の受け入れ体制や関係する人々

私は枕崎市の水産商工課から観光協会へ派遣されている形なので、観光協会の職員のみなさんには日頃から大変お世話になっています。市内の観光施設の案内所を拠点にしていますが、職員の方々は私の立場をよく理解してくださっていて、互いの取り組みに対して協力し合うことは往々にしてあるものの、協会事務局としての仕事を強いることなく基本的に自由に動き回らせてくれています。せっかく来たからには“よそ者”の自分だからできることをしたいという思いと、最長でも3年後に待ち構える協力隊卒業に向けて準備を進めたいという思いを汲んでださっているので本当にありがたい限りです。
地域の魅力発信活動にあたり、観光ボランティアガイドの方々にもよく面倒を見ていただいています。彼らは市民の誰よりも町の隅々まで知り尽くし、歴史的背景などについてもさまざまな文献から裏を取り、必ずしもよい面だけではない“事実”を知ることにこだわっています。枕崎に関する知識がほぼゼロの状態で地域に飛び込んでしまった私にとって、最高のパートナーといっても過言ではありません。深い知見を携えた彼らと、まっさらな状態の私が交わることで、町の新たな魅力を発掘できているのではないかと自負しています。

地域の人との関係構築

まずは、顔と名前を覚えてもらうこと。そのためには地域のイベントや誘われた飲み会にはできる限り参加し、地元の方に挨拶をしまくりました。個人的に、地域の人にどう呼ばれたいかは非常に大事だと考えています。私の本名は篠塚 立夏(しのづか りっか)。苗字はなかなか覚えてもらえず、名前は読み方が分からない人が多いものの発音は珍しく記憶に残りやすいため、SNSや市報などでは表記を「りっか」で統一しました。メディアに出演する機会もたまにありますが、そのなかでも基本的には「りっかさん」と呼んでいただいています。下の名前だとなんとなく親しみが生まれやすいというメリットも。そのおかげで、着任してから出会ったほぼすべての方が下の名前で呼んでくださり、とてもうれしく思っています。
次に、信頼を得ること。地域の人がよそ者に対して不信感を抱くのは当然起こりうる現象です。防衛本能のようなもので、悪気はありません。よそ者を受け入れていただくためには信頼を獲得することが必要不可欠。地域おこし協力隊としてきちんと実績をつくることが一番の近道だとは思いますが、移住後すぐにそのようなことを成し遂げるのは普通は無理です。なので、できることはGIVE&GIVE。見返り(=TAKE)は一切求めずに、自身にできることを手当たり次第しました。直接的に誰かに対して何かをしなくても、町を愛そうと行動をすれば、必ず伝わります。田舎のコミュニティは都会人の想像を絶するほど狭く、よくも悪くも瞬時に口コミが広がるためです。なので、「なんか知らんがよそから来た子ががんばっているらしい」と噂になれば、後々の活動も楽になってくることは実体験として断言できます。
そして、尊重すること。「協力隊になったからには何か変化を起こさないと」と少なからず焦りを感じることがあると思います。現に私もそうでした。誰しも分かりやすい変化を望むため、「よくないこと」→「よいこと」を模索しようとしますが、変化とは常にそうである必要がないことを忘れてしまいがち。「よいこと」→「さらによいこと」だって、十分よいのです。前者の場合、なぜ「よくない」状態にあるのかを深く知る必要があり、そこには地域の人ならではのこだわりや想いが詰まっていることも。果たしてそれは本当に「よくない」のか、誰にとってなぜ「よくない」のか、地域より実績をつくりたい自分を優先していないかを自問自答する必要があります。移住して数ヶ月・数年の協力隊には、何十年と暮らしてきた市民の価値観には到達できないという事実を受け入れて、物事の表面だけでなく背景を知ることが地域の人との距離を縮めるための大切なプロセスだと考えています。

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写真:鹿児島市内のカフェで一夜限りの「枕崎スナック」を開き、ママとして枕崎のプレミアム焼酎やカツオの腹皮(大トロの部分)を提供。協力してくださった方のおかげもあり大盛況に終わりました。

地域おこし協力隊の3年計画

地域おこし協力隊の3年間は、年次ごとに「①知る ②広げる ③深める」のステップを意識するとよい、と初期の研修で教わった記憶がうっすらとあります(表現は違うかもしれません)。複数の選択肢のなかから自分に合った道を徐々に狭めていって最終的にゴールを決める、という主旨だったと思いますが、私は自分が認識するよりもずっと臆病で、「それだと卒業後絶対に露頭に迷うぞ…」と怯えたことは鮮明に覚えています。卒業を迎える頃には31歳を目前に控えている計算。そんなタイミングで無職になり社会に放り出される(しかも独身)と思うと、3年の準備期間はあまりに短く不安で不安で仕方がなかったのです。
計画というほどの明確なステップは構築できていませんが、任期のちょうど折り返し地点に立たされている今、「①知る・広げる ②深めて挑戦する・失敗する ③向き合う・選び直す」という流れに沿ってこれまでやってきて、これからを見据えているような気がしています。
肝に当たるのは「失敗する」段階。地域おこし協力隊は、自分の将来に関して一度ゼロリセットして考えることができる稀有な職業だと考えています。感覚的には行政でも民間でもない、浮世離れした存在のような…(実際は行政側ですが)。そんなポジションにいるのだから、過去の自分、つまりいわゆる一般的なサラリーマンではできないことがいくらでもできる可能性に満ちているともいえます。それが私の場合、「挑戦と失敗」。臆病者の私は、失敗をする前に身を引いたり優劣のつけづらい当たり障りのないことをすることが慣習化してしまっていたため、「失敗」こそが価値ある体験なのではないかと考えたのでした。
そしていま、私はまさに挑戦と失敗の狭間にいます。もちろん失敗をするための挑戦ではないのですが、失敗を恐れてなんかないぞ、という念が挑戦する自分を奮い立たせてくれているのだと思います。

地域おこし協力隊卒業後にやりたいこと

任期終了まで残り1年半となりましたが、卒業後のことはまだ何も分からないのが正直なところです。地域おこし協力隊を退任しないとできないことといえば、おそらく就職と移住くらいではないでしょうか。やりたいことのほとんどは、基本的に任期中でもできる環境にあると思います(受け入れ側との関わりのなかで制約が生まれることもありますが)。
協力隊は卒業後のキャリアに“起業”という選択肢があることが大きな特徴です。もちろん一般のサラリーマンであっても起業することは可能ですが、働きながら準備をするのはなかなかハードルが高いはずです。協力隊には、時間だけはたっぷりあります。受け入れ側の理解さえ得られれば活動の一環として起業準備を進められるので、チャンスを活かさない手はありません。
私には「絶対に起業したい!」という強い意志はありませんが、選択肢は多いに越したことはないと考え、起業に向けた準備を少しずつ進めています。初年度に起業プログラムを半年間受け、当時の講師の方々や同期の仲間にサポートいただきながら2年目に入り『REHOME DELI.』を立ち上げました。「 “ふるさと孝行”しよう。」をコンセプトとし、商品を購入することで地域に根ざす事業者を支援できるECサイトです。売り上げの一部は地域で活動をするNPO法人へ寄付される仕組みもつくりました。まだまだ掲載商品も少なく認知度も低いですが、協力隊として残された期間でREHOME DELI. の運用に取り組み、“起業”という将来の選択肢のひとつとできればと考えています。

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写真:2年目に入って立ち上げたふるさと応援ECサイト「REHOME DELI. 」のロゴ。協力隊活動とはまったく別で進めている高校生向けプロジェクトの仲間のグラフィックデザイナーさんに制作していただきました。

地域おこし協力隊の魅力

地域おこし協力隊の魅力はさまざまですが、この仕事をしていてよかったと思える最大のポイントは「自分を試せること」。前述した「挑戦と失敗」についても同様ですが、協力隊は何をするもしないも自分次第。その結果が顕著に自分に返ってきます。
サラリーマン時代は、会社からの評価基準に合わせた成長が求められましたが、協力隊は実質評価されることはありません。どんなに素晴らしいことをしたとしても、お給料は上がらないしインセンティブももらえない。何をしてもしなくても変わらないのです。しかし、そこで得た信頼が副業や将来のキャリアにつながることはあります。限られた時間の中で、いかに自身を鼓舞してアップデートさせられるか。行動するのと同じくらい、信念をもって「〇〇なことはしない」と決めることも大切だと思います。自分と向き合い、3年後どうありたいかを模索していく。可能性に満ちた職業だと思います。

地域おこし協力隊の大変なところ

個人的に、というよりは協力隊の人たちと話してきたなかでみんな苦しんでいるなあ…と感じた点は「地域おこし協力隊制度についての地域や受け入れ側の理解不足」。協力隊が来たからにはなんでもしてくれるはずだ、とスーパーヒーローのように思われてしまっていたり。組織の人員補填的に採用されて職員として決まった仕事を日々させられたり。3年後には無職になることに対して寄り添ってもらえず、将来の準備に非協力的だったり…。協力隊の扱いに慣れている自治体もあれば、まったくそうでないところも多く、それぞれで差がありすぎてしまうのです。活動のスタート地点が人によって大きく異なることはつまり卒業後のキャリアにもハンデとなるので、とても厳しい現実だと感じてしまいます。
ただ、その課題を乗り越えずには自分にとっても地域にとっても納得のいく活動をすることはできません。まずは対話。それでも難しい場合は、無理せずに相談をすることが大切です。地域で起きていることは地域で解決せねば、という強迫観念を持つ人もいますが、それでは視野が狭くなりすぎてしまいますし、どうしても移住者の方が立場が弱くなってしまいます。自治体の枠を越えて知見のある方に間に入ってもらいましょう。話を聞いてもらうだけでも気持ちは楽になります。たまに地域や受け入れ側とのけんかに発展してしまうケースもありますが、「地域をよりよく、そこに住む人たちもより幸せに」という思いはみんな同じ。まずは諦めずに向き合い、それでもしんどければ、最終手段として地域から離れてしまってもよいと思います。それがお互いにとってハッピーな解決策となることも往々にしてあるはずです。

移住検討している方へメッセージ

地方移住を検討されている方は不安をいろいろ感じているかもしれませんが、思い切って行動に移してみればよいと思います。都会と同等の処遇とはいきませんが地方にも仕事はいくらでもありますし、インターネットさえ通じていればリモートで仕事が可能です。地域の人たちとのコミュニケーションも、所詮は同じ人間なので対話をさぼらなければなんとかなります。住んでみて結局、地方暮らしは無理!となれば、また都会に戻ればよいこと。それは失敗でもなんでもなく、地方のリアルを直に知ることができたひとつの大きな経験になるのではないでしょうか。一生定住しなければならないレベルの事情がない限り、行動を起こす前に不安を列挙しても、それは単なる“やらない理由”探し。移住相談フェアやお試し移住など入り口は星の数ほど開き、あなたの来訪を今か今かと待ちわびています。

(終わり) 執筆時期:2020年9月

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