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今日テレビで女性の「引きこもり」問題を放映していました。

若い人とか、男性だけでなく「女性」のひきこもりについての、着眼ば少なかったので、印象深い内容でした。

実は、私の義弟も50代ですが「ひきこもり」と分類されるでしょう。
それで、なんだい!って感じです。

私も、小さなころに長期入院したり体調崩したりして、いやおうなく家にいた時もあります↓↓

https://note.com/lifeworklabo/n/nb37a1f521743

彼はとてもやさしい人。そして、穏やかで、つつましい人。
そういう人が、堂々と生きづらい日本の社会なんじゃないかと思います。

かくいう私も、夫の父が亡くなって弟の「ひきこもり」が表面化した瞬間。私や夫の「責任」として、あたふたしました。

「正社員でなくていい、アルバイトでいいから働かないと」
とか、
「いや、アルバイトでなくていいから、社会ボランティア活動でも」
なんて、思いました。

でも、それって違うじゃん!

と気づいたのは、数か月後です。

義弟は、とても誠実な人。だけど、会社勤務している時に、いやがらせにあい、それがきっかけで人前にでると手足が震えるようになりました。

それでもできる仕事を、父も義弟も探して、あれこれしても、やっぱりすぐにやめることになった。そして、彼は、今はなんとかつつましく食べていけるだけの、生活費も住むところもあるのです。

それを「働かなきゃ」と思ったのは、私や夫の
「働かざる者食うべからず」的な、潜在的な職業観や価値観。

「あ~~、私、それ底辺にあるわ」

と、いやおうなく思った瞬間でした。

そして、「社会に出る方が人は幸せ」
という、勝手な憶測でした。

そうでない人もいる。

家で、ゆっくりと本を読んだり、料理したりすることが好きな人もいる。

もちろん、家から少しでも出て社会参加したい方は、そうなさっていただきたいし、それを応援したいです。

でも、義弟がそうでないならば、何を無理してさせなければならないのか。

人は、この世に存在しているだけで、奇跡です。

彼を生んだ、今は亡き母も、天国でそう思っていることでしょう。

一番大切なのは、人が安心できる場で、生き延びていくこと。
生命が、続くときまで。

人間って考えることができます。そして、いろいろな価値観や経験値で自分を創っていけるのは、かけがえのないことです。
しかし、ある上に、複雑な思考になって自分で自分を、自分の思考を相手に適用して苦しみ合うこともあります。

根幹は、ただ、「生きていくことで御の字」。
草花のように、猫ちゃんのように。

辛くて、すり減って、情けない思いをする場に、わざわざ身を置くことはない。

そう思った瞬間、やっと義弟も、そして昔の私も受け容れることができた気がします。

結局自分か、自分を縛っていたんかい!

って感じですが。。。


働けなくても、五体満足でなくても、いいんだよ。

「のまま」で、生命ある限り、生きていこう。


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