ソースが不在の場合、何がそのプロジェクトを推進しているのか?
はじめに
今日の記事はソースプリンシプルにまつわる以下の記事を読んだことがある人向けの内容となっています。
上記の記事では、ソース自身がプロジェクト(イニシアチブ)の障害となるソースの振る舞いのケース(3つの病理:①ソース否定派②暴君③怠け者)について紹介しています。今回は、過去にボトムアップ型・参加型の組織で感じたことについて書きます。
ソースが不在の場合、何がそのプロジェクトを推進していくのか?
「ソースが不在」というのは私の言葉であり、意味合いとしては上記の3つの病理のうち①と②の両方を含んだものを表しています。
推進力その1「売上」
こちらは言い換えれば、正しさ(すべき)ドリブンと言えそうです。売上につながるから、違う表現でいうと(今までもこうしてきて売り上げをつくってきたから)、といった要因で物事を進めていくことを指しています。
この推進力で進めていくとプロセスの中で、何のために?が分からなくなり、迷子になったり、何となく重たくなって動きが鈍くなったりという現象が現れます。
推進力その2「起案者とのエネルギー的結びつきが薄まった私たちのアイデア」
こちらは、アイデアの起案者はいるものの、その出されたアイデアにある種、乗っかる形で他の人が自身の主張を重ねていき、その妥協点はみんなのためにはなりそうだから、という理由で進んでいくことを指します。
こちらは書籍『すべては1人から始まる――ビッグアイデアに向かって人と組織が動き出す「ソース原理」の力』の原著者であるトムニクソンが書籍に書いている『水増しビジョン』が近いように思えます。
こちらの推進力で進めていくと、その1と同じく目的を見失う、重たくなるという現象が起こります。
それでもなぜプロジェクトが進むのか?
そもそも、組織のプロジェクトの大部分は、仕組み(システム)化されており、仕組み(システム)を適切に運用できているという意味での「正しさ(すべき)」で動いているため、その仕組みの維持及び、その仕組みをベースとした拡大という方向に慣性の法則が働いているから。(その行動を促進するような評価制度になっているから)
もちろん、そのある種の「正しさ(すべき)」が推進力となることが悪いと言いたいわけではありません。
この力学だけでは、過去の延長線上にない革新は起こりにくい、起こっても推進力が働きにくかったり、推進する人のエネルギーが途中で枯渇してしまい、頓挫するといったことに繋がりやすいでしょう。
さいごに
上記のようなプロジェクトを進めていく上での気の乗らなさ・重たさを感じたことがある人は、ソースプリンシプルというレンズを学ばれることで、打開策が浮かぶかもしれません。
ご興味ある方はぜひ学んでみてくださいね。
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