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【前編】海洋環境を身近に、持続可能なプラスチック製品を届けたい

【林 光邦(はやし てるくに)】株式会社テクノラボ代表取締役。大学卒業後、父親のプラスチック製造工場に勤務。その後、2004年にプラスチック製品の開発を行う株式会社テクノラボを創業。海洋ゴミとして廃棄されたプラスチックを材料として、それを美しい伝統工芸品に生まれ変わらせることをコンセプトした製品ブランド「buoy」を立ち上げる。

今回わたしたちのnoteに登場してくれたのは、海ゼロアワードを受賞した「buoy」の開発者の一人であり、プラスチックで「思い」をカタチにすることをビジョンに株式会社テクノラボの代表取締役をされている林光邦さんです。

生まれた時からプラスチックに囲まれた環境で育ち、「buoy」という製品ブランドを通して、プラスチックと海の課題に取り組む林さんの原点や、「buoy」誕生のきっかけについてお話いただきました!

世界各国のプラスチックが転がっている家

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林さんの祖父はプラスチックの研究者、父親はプラスチックの成形工場を経営されていたそう。おじいちゃん子だった林さんは海外のプラスチックにまつわる話を聴いて育ち、家には世界中のあらゆるプラスチックが転がっているような環境でした。

「自分にとって、プラスチックは八百屋で育った子にとっての野菜みたいな感じなんです。」

林さんはプラスチックの歴史についても教えてくださいました。実はプラスチックは非常に歴史の浅い産業分野で、日米の太平洋戦争がきっかけで作られたんだとか。戦時中、シルクで作られたストッキングの代替品として発明されたのがプラスチックを原料とするナイロンストッキングでした。戦後、プラスチック産業は日本の高度成長に合わせて急速に発展していきます。

技術は心の拠り所だった

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大学に進学する際に、技術者になることに抵抗があった林さんは、数学の使える文系である経済学部へと進学しました。しかし、いよいよ就職活動という時期になり、工場の経営が芳しくないことから実家の工場に就職することに。

「学生時代は技術者なんかになるもんかと思っていたけれど、結局技術は裏切らないから心の拠り所としては楽しくて、そっちに戻っていきました。」

就職した数年後、実家の工場は倒産してしまいます。林さんは、産業系のネットベンチャー企業に就職をして営業でたくさんの工場を訪問します。残業代がきちんと毎月支払われ、会社の接待費で飲みにも行ける、そんな会社員生活を謳歌していたそう。それでも、営業を続けるうちに、自分も独立してやってみたいという気持ちが強くなっていきました。

製作現場の遊びから生まれた「buoy」

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林さんが独立して10年程経つ頃には、仕事仲間がデザインに強かったこともあり、だんだんデザインや製品そのものに関わる比率が増えていきます。そのなかで、プラスチックで今までにないデザインを考えてみようというコンセプトの「Plas+tec project」を社内で立ち上げました。

「最初はいろいろなプラスチックを混ぜてつくると面白いよねと盛り上がっていて。そこからゴミでもいけるよねという話になったんです。」

海洋ゴミや粉砕されたプラスチックを潰して使えるかと試みていた時期があり、1億5千万トンといわれている海洋ゴミの大半を占めるのは海洋プラスチックゴミだと知ったんだとか。プラスチックを製造する一企業として、ただゴミを回収するだけでは限界がある。

「世の中の役にたっていると思い仕事をしてきましたが、わが子同然のプラスチックが海に悪さをしている。それって自分たちの存在否定じゃないですか。」

根本的に何かできないのか。林さんたちがこの事実を知ったときの衝撃や悔しさが「buoy」を始めたきっかけでした。

遠い存在だった環境問題が、一気に身近なものになる体験はとてもインパクトがあったのではないでしょうか。「buoy」は林さんたちがプラスチック産業の根本的な価値の見直しと海との共生を願って生み出した、再生プラスチック製品ブランドです。

後編は、海洋プラスチックと出会った林さんが仲間と「buoy」を育てている目標や、林さんのプラスチックにかける想いについてお届けします。お楽しみに!

buoy関連情報
HP:http://www.techno-labo.com/rebirth/
ECサイト:https://buoy.stores.jp/
Instagram:https://www.instagram.com/techno.labo/
Facebook:https://www.facebook.com/plastech.project

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