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理系女性はどこに行ってもマイノリティ。だからこそ大切な自分軸〜リケジョな子育て Vol.10〜

noteマガジン『東工大飛び級ママの「リケジョな子育て」』/第10号です。
このnoteマガジンは、発行人・福所しのぶが日経xwoman Terraceブログに投稿したオピニオンのうち、「子育て・教育」テーマのものをピックアップし、一部再編集してお届けしています。

今回は2022年9月27日の投稿から。元の投稿は、日経xwomanに掲載された記事『女子大初の工学部を奈良女子大が創設した深いワケ』(下記リンク)を受けて、感じたことや気づきをシェアさせていただいたものです。
では、どうぞ!

※以下の本文中、「参照記事」とあるのは上記リンクの記事を指します。


え?工学部って、今まで女子大にはなかったんだ…(驚)

というのが、上記の参照記事を読んだときにまず思ったことです。奈良女子大に工学部が創設されたのが2022年4月のこと。女性の大学進学率が50%を超えている現代にあっても、女子学生の進路選択には偏りがあったことを物語っているように思いました。

工学部創設の経緯で興味深かったのは、工学の中心技術の変化により、求められる人材が変わってきているということ。

20世紀までの工学は、より大きな力を出す、より速く、といったように、人間の肉体的な能力を拡張するために発展してきたもの。腕力が必要というか、方向性として男性性が強そうです。

一方、20世紀の終わりごろから発達してきたのは、コンピュータやAIといった知能が関係してくる工学。知性に関しては男女が平等に関わらないと人間の判断基準を網羅できないといいます。つまり、男性ばかりで判断していると女性の側の視点が欠落し、結果として作り出されるプロダクトも的外れのものに。社会のニーズに応えるプロダクトをつくっていくためにもダイバーシティーが不可欠と認識されてきている、と。

とすると、女性は理系に向かない、活躍の場がない、というのはもはや過去のイメージかもしれません。

さて、参照記事では、女性エンジニアを育てるための興味深い取り組みの数々が紹介されていたのですが、中でも「おおっ」と思ったのは、逆境でも揺るがない自分を見つけるためのカリキュラムとして、「自己プロデュース」という取り組みをされているという点。

『男性ばかりの中でマイノリティとして苦労すると、将来に希望が持てなくなってしまうから』『それに負けない核になるものをつかんでいないと乗り越えられない』とは、参照記事からの言葉。

私自身も、理系を選択したことをはじめ、少数派の進路・職業選択をしてきました。よくいえばパイオニア的ともいえるのですが、その裏ではマイノリティな私がどう立ち回っていくかということに苦心してきた道だったとも思います。

理系というと、男性社会の中でのマイノリティとなることにフォーカスされることが多いですが、女性の中でもマイノリティであったりします。

つまり、「女性がこの世界でやっていけるのか?」という男性目線の圧のみならず、女性からも「普通とは違う」と異質な目で見られたり、出たら出たで「リーダーシップとれるほどの実績なの?」という厳しい目が注がれたりもする、というわけです。いずれもそれぞれの認識に思い込みがあってのことですが、この場ではちょっと書けないような暴言に振り回されたこともあります。

パイオニア的にマイノリティの道を選んでいる人というのは、基本的に自分の道を切り開く力があるのですが、その反面、弱音も吐けずに孤独や屈辱と向き合っている人であったりもします。そもそも似たような経験をしている人が少なく、年代によっても課題感が違ったりするので、自分の選んだ道を否定されることはないという安心感のもとで相談できる場が非常に少なかったりします。

少数派の進路・職業選択をしてきた経験を通して思うのは、マイノリティの道だからこそ大切なのは、自分はこうありたいという軸をもつことであったり、視座を上げることで様々な意見を受け止めるのかスルーするのかを判断していけるメンタル面の強さだと思っています。

今までは、一人でもそういったことに対処できた人だけが、女性比率の少ない道を進み続けることができたのかもしれません。でも、ダイバーシティが重視されはじめた社会では、そんな苦行のようなことは少なくしていきたいものです。

その意味で、学生時代から自分の核となる考えをつくることを重視されているのは素晴らしい取り組みだし、これからどんどん必要になる視点だと感じました。

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