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推し活は恋なの?

アイドルや、なにかしらの推しがいて。それって、ファンでしょ。コンサートに行ったり、グッズを買ったり、投票したり。でもそれはそれで、推す側はパートナーがいたり、結婚して子どももいたりするわけでしょ。でも推し活は疑似恋愛って言ったりもする。

ん~推しと会いたいのは間違いないけど、こちらを認識してほしいまではわかるとして、その結果付き合いたいのだろうか。

結局世の中の全ては人それぞれだから、別に何かを議論したいわけじゃない。「推しと付き合いたいのか?」っていうことを語っているYouTubeが流れてきてふと、私はどう考えてるんだろうか?と思っているのが今。

私には推しがいる。その女性アーティストのLIVE映像を見るだけで泣いてしまうほどだ。どれだけ元気で明るくて賑やかなシーンでも泣ける。何かを届けようとしているその姿に、エネルギーに、その心意気のような儚さと鋭利さと美しさに泣いてしまう。感極まるというより、体が反応してただ涙がポロポロ流れてくる。

もうかなり昔になるが、その女性アーティストと対面できる可能性があった。本気でそういうことを考えればできないことはないのかもしれない程度の可能性だが、関係者と繋がればとりあえずプライベート空間に入り込める程度の話。でもそれを聞いたとき私は断った。どうせそんな程度で対面したって何の意味もないし、逆に嫌な思いをさせるかもしれないし、正直その手の人脈でここに来たんでしょ、って思われたくなかった。でももっともっと本当の理由は別にあるのかもしれないと今思ってる。

推しという表現が正しいかわからないけど、男性アーティストに会ったとしてどうするかを真剣に考えてみた。たぶん会ったら泣いてしまう。感動や緊張というのとは違って、なんとなくこれは憶測だけど、心が震えて涙が出る気がする。ただポロポロと。きっと何もしゃべれないだろうし、なるべく遠くからその姿を見て泣くのだろう。

それはそれは大変である。恐ろしい女だと思われるに違いない。隠れていればいいけれど、もし対面でそうなってしまったら迷惑極まりない。さらに謎の人間として気持ち悪いと思われても仕方ない。であればやっぱり会いたいと思えない。自分が怖すぎる。ものすごい大人数のファンクラブ会合や、コンサートという大海原なら参加はできるけど、トークショーやサイン会の規模でも緊張して吐きそうになってきた。でもリアルにはこの目で見てみたいから、その人を遠くから見守って、終了することにしよう。挙動不審過ぎて、気持ち悪いって思われたら一発アウトだから気をつけなければならない、と背筋が伸びる気持ちですらある。

しかしこれらを一気に乗り越える唯一の方法がある。それは「共に仕事をする」ということ。これが一番いい流れだ。一緒に仕事をするのであれば、ある仕事スイッチの人格形成バージョンで近づくことができるはず。私自身が微力ながらの力量を発揮できるのであれば少なくとも好印象寄りでは存在できるだろう。縁がつながって一緒に仕事できないかなぁ、というぼんやりした考えでは難しいとして、こちらからアクションしてご満足いただける支払いができれば可能性はゼロではない。

だけれども、それを妄想した結果、その繋がりって意味があるんだろうかと思って、巡り巡る。そのスタートでは何も起きない。んー、何かを起こそうとしているのかも定まってない。本当に全くの偶然に出会っても声をかけることなんてできないし、夢のまま終わりそうな気配しかない。

まぁずっと永遠にとりとめのない話をしつづけてよくここまで来たもんだ。偶然すれ違って、なんとなくなんの意味も持たない会話をして、お互いを認識せず、そのうち「あれ?また会いましたね」「なんだか、よく会いますね」ってなるのがいいなぁ。よくいくコンビニが同じだといいな。近くのコンビニどこなんだろう。あ、こういうことでどんどんストーカー的精神が育っていくのかもしれない。あぶないあぶない。

おわりにしよう。恋かどうかわからないまま。

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