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弱者を自己責任として片付けたがる人たち

どうも。

皆さん、夏休みはいかがお過ごしでしょうか。夏休み初日。こんな記事が飛び込んできました。

こういう記事がでるとなにかとその人の自己責任ばかりを強調して、社会的な責任を捨象しようとする人たちが出てくるんですよね。

「そんなのこの人の人生の集大成だからね」とか。「今までなにやってきたの!?」とかとか。

自分はこうした社会をつくっている構成員のひとりという自覚もなく、問題を切り離すリアクションに狭量さを感じるとともに、寂しく悲しく感じましたね。

この世の中には、先天的な環境によって恵まれない人たちもたくさんいるんだ、ということを僕たちは思い出さなければならないと思います。生まれながらにしてもったハンディキャップを乗り越えられない人もいる。適切な支援を受けられずに。

こうした弱者に同情することもできずに、それは、単純に自己責任だからと片付けてしまう人は、自分の境遇にもっと有り難みを感じた方がいい。または、そうした恵まれない人たちの人生を疑似体験したらいいと思う。

自分ひとりの力だけではどうしようもないことが人生にはあるのだ、という認識が優しい社会をつくっていくために必要なことだと思うのです。

本当に人生を自己責任としてとらえるのであれば、生後すべての人が平等な条件の下に生まれてくるシステムを敷いておく必要がある。今はそういう社会システムではないからこそ、先天的なハンディキャップを認め、支援の手を差し出す社会をつくっていきたいものですね。

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