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「人生とは、サウナだ。サウナとは、人生だ。」私がサウナに入る理由。

「人生とは、サウナだ。サウナとは、人生だ。」

私が所謂「サウナー」になったのは三年前のこと、サウナの本場フィンランドであった。
そう、私はサウナの聖地、フィンランド留学中にサウナの虜になったのだ。

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夢と希望をもってスタートした留学生活。
全てのものが目新しく、刺激的で、毎日が怒涛のようにすぎていった。
目まぐるしく過ぎていく日々の中、私は久方ぶりの休息を得た。

留学生活は楽しかった。出国前に抱いていた、「友達ができるのだろうか」「自分の英語は通用するだろうか」「慣れしたんだ地を離れ、自分はやっていけるのだろうか」等の不安は、すぐに消えていった。

幸いなことに、友人に恵まれのだ。フィンランドについてあれこれ教えてくれるフィンランド人、同じ授業のことを気軽に話せる留学生の友達、すぐに悩みや不安を打ち明けられる日本人の友達。
私はどこに行っても、人に恵まれるらしい。留学生活の滑り出しは順調だった。

でも、心のどこかで、「まだ足りない、まだ足りない、もっと楽しまなければいけない」と焦っている自分がいた。


「そういえば」

自分の部屋のベッドの上で、あることを思い出した。

住んでいるアパートの最上階にサウナがあるらしい。
フィンランドはサウナの国として世界中で知られている。なにせ人口の2分の1とか3分の1ほどのサウナが国内にあるそうだ。さすがの数だ。しかも、なんの変哲もない学生アパートに3つも共用サウナがあるというのだから驚きである。

はっきり言って、サウナは別に好きではい。むしろ嫌いなほうだ。熱いからだ。
父と温泉に入ると、父は決まってサウナに入りだす。
少年時代の私はなんとかして父といっしょにいたくて、サウナまで追いかけていったものであった。

でもサウナは熱い。辛い。これを楽しんでいる人の気がしれない。
へとへとになってサウナ室を出て水風呂に入っても、こっちはこっちでまた地獄だ。冷たすぎる。
結局、少年時代の私はどうしてもサウナを好きになることができなかった。
年を重ねて大学生になった今、昔ほどの抵抗感はないものの、わざわざ好き好んで入るほどのものではない。

「無料で入れるのか」

アパートのサウナは予約さえすれば、無料で入ることができた(月に4回までという制約付きであったが)。
私の留学のテーマは「フィンランドという国を知ること」であった。留学という限られた時間の中で、色んなフィンランドを経験しなければいけない。
気づけば私は、学生アパートの7階、共用サウナを当日分で1時間予約していた。


これが私のフィンランドサウナとの出会いであった。


予約の時間、私はタオルと着替えとビールをもってサウナ室へ向かう。
聞いたところによるとサウナ後のビールは格別にうまいらしい。試してみる価値はあるだろう。
サウナ室に到着すると、そこには簡素な脱衣スペースとシャワースペース、そしてその奥にサウナ室があった。簡素だけど、ウッディで小ぎれいな、素敵なサウナだ。フィンランドってすげえ、本当にどこにでもサウナがあるんだな。
サウナ室の中の真ん中で、石が汲まれている。
これがいわゆるロウリュだ。フィンランド人は、この石に水をかけ、出てきた蒸気でサウナ室を温めると聞いた。なんとも変哲な文化だ。
でもこれはいい。熱いサウナが苦手な私にとって、サウナの温度を自分で調節できることはこの上なくありがたい。
よし、さっそく入ってみよう。

簡単にシャワーを浴びたのち、いよいよサウナに入ってみた。
あれ、すでにけっこう熱い。ロウリュしなくても十分熱いではないか。
私はロウリュすることなく一度サウナを出てしまった。

シャワーを浴びながら、私はこんなことを考える。
「このまま帰るのはさすがにダサいな..」
フィンランドの文化を体験もせず、弱腰で逃げてしまったらさすがに情けない。
シャワーで汗を流し、もう一度サウナに入ってみることにした。

2回目のサウナチャレンジだ。ドアの開け閉めをして熱が逃げたせいか、さっきよりは熱く感じない。これなら長くいられそうだ。
さっきはきつくてすぐに出てしまったが、じっと我慢していれば意外と長く入っていられるものだ。むしろ温度はかなり下がっていたので、物足りなさすら感じている自分がいた。
「よし、やるか。」
そう、ロウリュだ。

汲まれた石の脇に置いてある桶とひしゃくに手を伸ばし、まずは水を抄う。
そして、その水を一気に石にかけていく。
「ジュワー」という音と共に蒸気が広がり、サウナの温度が上がっていくのを体で感じた。
改めて座りなおしてみるが、もうちょっと熱くても耐えられそうだ。おもむろに、もう一回、もう一回とロウリュを重ねていく。

気づくと、サウナの温度はかなり高くなっていた。
「こ、これは熱い..辛い..」
今すぐにでも出たい。でも、フィンランド人を虜にするサウナの世界が、この先に待っているのかもしれない。
私は耐えた。フィンランド留学が始まって以来一番辛いかもしれない。
結局、「これ以上は無理!」という限界まで耐えきった。

逃げるようにサウナ室を出た私は、シャワーの冷水を熱い身体に一気に浴びせた。
少年時代あんなに水風呂が苦手だった私だが、これが意外なほどに気持ちい。サウナで火照った身体が、一気に冷やされていくーー
シャワーを終えた私は、ビールを片手に椅子に座ってみた。


なんだろうこの感じは。
熱くもなく、寒くもない。
頭は働いているのに、体はすごくリラックスしている。
なんだかすごく気持ちいいぞ。
ああ、もっと座っていたい..。
そこでビールを持ってきていたことを思い出し、おもむろに飲んでみる。
サウナで熱くなった身体に、冷たいビールが染みこんでいく。


「こ、これは..」

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今思い返すと、これが私にとっての初めて「ととのう」経験であった。もちろん当時は「ととのう」なんて言葉も、「サウナ⇒水風呂⇒休憩」の流れも全く知らなかったが。(というか1年のフィンランド留学中はいわゆる「正しいサウナの入り方」を知らなかった。完全に自己流で気持ちよさを求めてサウナに入っていた。)

その後私はアパートの共用サウナを、予約回数の上限である月に4回をきっちり使い切るようになる。というかそれだけでは足りなく、ルームメイトの予約権をもらって追加で入ったりもしていた。ルール違反だが。
すぐにアパートのサウナでは飽き足らず、市内の色んな公共サウナにも行くようになった。

今でも忘れられないサウナ体験がある。フィンランドの首都ヘルシンキの市内からバスで30分ほどのところにある公共サウナ、「Kuusijärvi sauna」に行った時のことだ。
この施設の醍醐味はなんといっても、「湖に入れること」である。
私は友人とサウナで身体をいいだけ温めたあと、お待ちかねの湖に向かった。
はっきり言って、サウナレベルが上がりつつあった当時の私は、「サウナ後だし、真冬の湖だろうがまあ楽しめるだろう」と鷹をくくっていた。
そんな私は、真冬のフィンランドの実力を体験することになる。

湖は氷で覆われているが、入水用に一部分だけ氷に穴が開けられている。
私はおもむろに体を湖の中に入れていく。
その瞬間、強烈な刺激が私を襲った。
「!!!!!!!!!」
痛い。痛いのだ。冷たさを通り越して、激痛が体中に走る。
今となっては思い出すこともできないが、恐らく5秒も耐えることができなかったのではなかろうか。

あまりにも強烈すぎるフィンランドの洗礼を受けた私は、フラフラと椅子に座る。
真冬のフィンランドの外で半裸状態で座るなんて自殺行為だと思うだろうか?
実は、それは間違いだ。
湖の冷たさと外気の冷たさで身体は外側から一気に冷やされていくものの、サウナで温めた体の深部は依然熱を持ったままなのだ。
身体の深部の熱と外側の冷たさがゆっくり混ざり合っていく感覚は、言葉では表せない快感だ。是非味わっていただきたい。


本場フィンランドでサウナの虜になった私は、帰国後も定期的にサウナに入り続けた。幸いなことに、日本にはサウナ文化が根付いている。サウナ施設を日本で探すことは、フィンランド以上に容易だ。

しかし、フィンランドと日本ではサウナの様式が違う。汲まれた石に水をかけ、蒸気でサウナ室の温度を上げる「ロウリュ」を採用しているサウナは驚くほどに少ない。フィンランド時代ほどのサウナに対する熱量は保つことはやはり難しかった。
「フィンランドサウナの文化を日本に浸透させたい!」と本気で考え、就活時代は面接でフィンランドサウナに対する想いを語りまくっていた(実際にそれで多くの企業から内定をいただいた。今お世話になっている会社もその一つである)。

フィンランドのサウナやキンキンに冷えた湖が恋しくなる時もあるが、私は日本のサウナも大好きだ。「サウナー」「ととのう」といった言葉が広く知られてきているように、サウナが今ブームになっていることは間違いない。
究極にととのえる施設が日本には非常に多いし、何よりも日本には水風呂がある(フィンランドには海や湖に飛び込む文化こそあれど、水風呂の文化は存在していない)。
日本のサウナには日本のサウナなりの良さがあると思っている。


さて、サウナについて思考を続け、一つ至った結論がある。
それは「人生とは、サウナだ。サウナとは、人生だ。」ということだ。

サウナが何故気持ちいいのか、何故サウナに人は魅了されるのか、考えたことはあるだろうか。
だっておかしいだろう、サウナは90度や100度まで熱された異常空間だ。辛いに決まっている。好き好んで入る人の気持ちがしれない、と思うかもしれない。

しかし、ここには大きな誤解が存在する。それは「サウナに入る」という行為は、ただサウナ室に入って熱さに耐える行為ではなく、「サウナに入る。水風呂や湖、海などに入る。休憩をする。ビールを飲む。」などの一連の行為全てを指しているからだ。
何故人はサウナに入るのか。
それは、サウナ後に入る水風呂の気持ちよさを知っているからなのだ。
風に吹かれながら外気浴をする心地よさを知っているからなのだ。
友人とサウナ後にビール片手に語らう時間の喜びを知っているからなのだ。

これは人生も同じではないだろうか。

人生は楽しい瞬間ばかりではないと思うかもしれない。
提出締め切りが明日のレポートに追われ徹夜する夜。
大学受験のために全てを捧げて勉強する期間。
プロジェクトを成功させるために必死で残業している時間。
きっと誰もがこんな経験をしたことがあるのではないだろうか。肉体的にも精神的にも堪えるだろう。

しかし、考えてみてほしい。何故心底辛いのに、人はそれでも頑張るのか。堪えるのか。
それらをやりきったあとには得も言われぬ爽快感、達成感、そして「私はやりきったんだ!」という自信があなたを待っているからなのだ。そして私はこの感覚こそが、人生で最大の喜びだと考えている。

詰まるところ、人生はサウナの繰り返しなのだ。
何かを頑張って、じっと堪えて、その先に存在する大いなる喜びを知る。そしてまた新しい挑戦をし、またじっと堪えて、その先でまた新しい世界を知ることができる。
サウナのあとの外気浴の快感、喜びを知っていれば何かを頑張っている時間も、堪えてる時間すらも楽しくなってくる。人生が楽しい「いま」で満たされていくのである。これらは全て、サウナが教えてくれたことだ。

サウナは確実に私の人生を豊かにしてくれた。
人生をかけて「幸せとは何か」を追求し続けてきた私に、一つの解を与えてくれたのだ。

人生とは、サウナだ。サウナとは、人生だ。そして、サウナは人生について考える場所だ。私はこれからも、サウナ的人生を歩んでいく。



新卒の今、私を取り巻く環境は目まぐるしい速度で変化している。
相も変わらず、それどころか前よりも頻度が増え、今では週に5回くらいはサウナに通っている。仕事や趣味に没頭しながらも、サウナ中心の毎日を送っているわけだ。

私はもっとたくさんのサウナに行きたいし、サウナを介して人生を並走できる仲間を増やしたいし、サウナを通して新しい自分に出会いたい。何よりも純粋に、もっともっと気持ちよくなりたい。

だから私は、サウナの記憶を書き記していくことにした。
自分という人間がサウナを通してどのような人生を歩んできたのか、その足跡を残すために。

私の今後の歩みをこのサウナ日記を通して見ていてくれたら、この上ない喜びである。
そして、是非皆さんともサウナの喜びをわかちあいたい。そんな日が来ることを心から願っている。

私は、私たちは、もっともっと幸せにならなければいけないのだから。







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