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異国情緒に流されて

 仕事帰り、湖畔のベンチに腰掛けて夕方の太陽の照り返しを満喫していた。北欧の日照時間が長くなる夏のことであった。

 突如、聞き覚えのある言語が背後から私の耳を刺激した。

「いやあ、スウェーデンのビールも悪くないねえ」

 状況を把握するために数秒を要したが、背後を振り返ってみた。

 白いワイシャツとグレーのスーツ、スーツの色に多少違いはあっても同パターンの男性たちが湖畔を散策していた。8名ぐらいはいらしたであろうか。いずれも顔を紅潮させ、恍惚の表情を浮かべながら緩慢に歩いていらした。

 あたかも、日本をそのまま北欧に移行した光景であった。先頭を歩いていた人がその中の課長級だったのであろう。

 それ以前は、この界隈では日本人を目撃したことがなかった。


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 スウェーデン企業との商談が上手く行ったのであろうか、この辺に国際的な企業は所在していたであろうか。

 好奇心が頭をもたげて来た。

 歩みよって挨拶をしてみようか。

 果たして、喜ばれるであろうか。海外旅行に出掛けた時は日本語を聞きたくない、などという話も耳にする。


 随分昔の話にはなるが、香港から中国本土に向かう電車の中で、日本人の一行と知り合った。

 その方々は、偶然、実家の隣町の市議会議員であった。中国本土に着いた時、その方々は私を、彼らの宿泊先のホテルで夕食に招待して下さった。

 議員たちの厚意はそれだけに収まらず、その中の一人は、私の写真を数枚撮って下さり、「中国で娘さんにお会いしました、元気そうでした」、と、日本に帰国してからわざわざ実家の母に、直に写真を届けて下さった。

 隣町の市民に親切を売ったところで選挙に有利になるわけはないので、駆け引き無しの親切であったのであろう。

 

 これが、例えば大阪に向かう新幹線の中であったならば、このような厚意は頂けたであろうか。おそらくない。


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 夏目漱石氏、森鴎外氏などが洋行をされていた時代とは異なり、現在は修学旅行の目的地としてでさえ海外が対象になる時代である。

 そのような時代においてでさえ、海外で日本人に出遭うと、国内で出遭う場合とは異なる感動を覚える。少なくとも私の場合はそうである。


 長時間も悶々としながら苦手な飛行機に乗って、無事に降機を果たした瞬間は、宇宙にでも上陸したような大仰な感動を覚える。着陸時にドイツ人乗客と一緒になって拍手喝采をしている日本人女性を目撃したならば、それはおそらく私である。

 そして、その感動の醒めきらぬ時に私が出遭う同郷の人間は、皆、善人に見える。

 まったく面識の無かった乗客の隣の席に座った場合でも、長時間のフライトの後では、お互いの生い立ちまでを全て知り尽くし、あたかも永年の知己になったような心情を抱く。そのような経験をされたことがあるであろうか。

 飛行機の中では、何故、面識もない人に、親にも親友にも告げたことのないようなことを、さほど警戒もなく打ち明けてしまうのであろうか。飛行中の高度は、人々を涙もろくさせる効能(弊害)を有する、と教わったことがあるが、見知らぬ人と簡単に打ち解けてしまうことなどもその効能の一環であろうか。飛行機で隣り合わせになった人と結婚した人も私の周りには点在している。


 話は、湖畔に戻る。


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 私はしばらく紅潮したサラリーマン風のグループを見守りながら話し掛けようか否かと迷っていたが、結局は止めた。

 北欧の夕陽の照り返しを受けながら、花金ライフを謳歌されているジャパニーズ・サラリーマンの輪の中に、部外者が入る余地は無かった。


 不定期に日本関係の仕事を請け負う私のような人間にとっては、未知の日本人訪問者との出会いは、毎回非常に楽しみである。契約時間外でも、時間の許す限り、観光、あるいは買い物の付き合いを、嬉々としてさせて頂いたりする。


 数年前、知り合いの日本人医師から、「来瑞をするのでストックホルムを案内してくれる時間を作れないか」、と打診を頂いた。

 しかし、送って頂いた同氏の日程は、朝から夜遅くまで学会、レセプション、夕食会で埋められていた。ストックホルムを案内することは到底無理であろう、と、心の準備もしていなかったある晩に電話が掛かって来た。

 「最終日の夜分遅くに連絡をしてしまって申し訳ない。日本を出発する時に玉露を数パック買ってきたんだよ。もし良かったら30分ぐらいホテルに寄ってくれるかな?」


 時間は21時をまわっており、私は疲れていた。しかし、医師が私と会うことを一応予定に入れてくれていたことは有難かったため、旧市街近くのシェラトンホテル(写真右手)まで出向いた。 


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 エレベーターからロビーに降りてきた医師の姿が視界に入った時、私は多少違和感を感じた。彼は上から下までスーツで決めていたからである。

 白衣ならず緑衣を身に着けていた医師の姿しか記憶に無かった。そして私はその姿が好きだった。

 シェラトンホテルにて一杯ビールを飲んだあと、医師と一緒に旧市街の方まで散歩をすることにした。シェラトンから旧市街に続く橋の上からの光景は非常に幻想的である。医師は連日の学会の後のビールでご満悦の様子であった。


 医師はスーツの腕を浮かせた。腕を組もうか、というジェスチャーであろう。いくら鈍感な私でもその程度は理解出来る。

 私は彼に借りがあった。

 末娘が日本で何日間も高熱を出して、スウェーデンへの帰国の便を変更しなければいけないか、と懸念していた時に、医師が治療して下さったお陰で熱が下がり、予定通りに無事に戻ることが出来たのだ。

 その件に関しては、感謝してもしきれない。


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 橋に佇んで居たのは私達二人きりであった。

 足元にはメーラレン湖がゆっくりと流れている。そしてそのメーラレン湖の表面を市庁舎の淡い灯りが奇妙な形状に彩っていた。何世紀をも経た石造りの建物は迷える異邦人二人を無表情に見降ろしていた。

 北欧の宵の異国情緒を演出する大道具は全て揃っていた。


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 しかし、私は結局その腕組みのオファーを慇懃に断らせて頂いた。

 既婚の男性と10分間腕を組んだところで、地球の反対側にいらっしゃる彼の奥様に迷惑が掛かることは99パーセントあり得ない。しかし元来、馬鹿真面目で融通が利かない私には荷が重い行為であった。

 

 次回帰国する時には、おそらく、医師に会いに行く必要が生じるであろう。 

 医師の目前に横たわって、あんぐりと大きな口を開ける時、果たして彼はその口腔の中に再び北欧情緒を見つけることは出来るであろうか。

 帰国時に毎度お世話になっている歯科医師との一宵の追憶であった。


ご訪問いただきありがとうございました。

諸々の事情に依り、ここしばらく、皆様の玉稿を拝読させていただくことが多少遅れてしまったり、コメントを差し上げたい場合でもハートのみで立ち去らせて頂くこともあるかもしれませんが、ご理解いただけたら幸いです。

皆様、どうぞご自分の健康を最優先なされて下さいね。