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格差について考えよう

ゴールデンウィークに遊びまくる人たちと、出かけない人たち…
こういった違いが起きているいま、世の中の格差について考えてみるよ。

※この記事の続きだよ
『GWに出かけない人たち』
https://note.mu/lifebox_jp/n/n289dcbb9f0e7

さて、人類の格差を圧倒的に広げた背景に、農耕技術の革命があったということを確認したね。(さらに、その背景には地理・環境的な、自然発生的な格差があった)
ここから、人の手による格差の拡大がはじまるんだ。

持つ者の論理

農耕の発展によって、食料を安定的に得られるようになった人たち。
その人たちが次に何を考えるかというと、「いかにこの状態を継続していくか」「いかにもっと楽にこの状態をつくっていくか」といったことなんじゃないかな?
つまり、あるものを使って、何をしていくかというと、技術を持った人が、持たざる人たちを働かせて、それによって生まれた利益を獲得していく、という発想になるよね。

今の世の中ともかなり重なるところがあるから、想像できると思うんだけど、このやり方で、豊かな人とそうでない人の差が広がっていくんだ。
技術を考えて、自分を豊かにする方法を考えた人たちからすると、「自分が考えたんだから、自分が恩恵を受けて何が悪いんだ」「あいつらは元々持っていなかったんだから、変わらないじゃないか」「むしろ、ちゃんと労働の対価は与えているんだから、あいつらにとってもありがたいことじゃないか」、というようなことを言いそうかな。(これも今の世の中と同じだ)

でも、人がそれなりにたくさんいれば、「こんなにがんばって働いているのに、あいつらばかり豊かな生活をしていておかしい!」と不満をもつ人たちも当然出てくる。
そこで生み出したのが、統治者の論理としての宗教だ。
人生に何を求めるか、どんな人生を送るべきか、といったことを宗教(神というアイコン)を通して教示していくことで、不満が起こりづらいようにすることができたんだね。

当然、それでも不満を持つ人がいたり、もっと頭や腕っぷしのある人がいたりするよね。
それを考えると、共同体がどんどん増えたり、弾圧や戦争が起きたりしたという歴史の流れは、十分理解できるね。

こういったことが起こるから、対策として、刀狩りやキリシタン弾圧、身分制度や現代の倫理教育は、統治の観点からは必要な施策だったんだ。

持つ者と持たざる者

持つ者と持たざる者の循環が発生してしまった時点で、世の中は複雑になってしまった。正の循環も負の循環も加速的に進んだ今、社会というのはとんでもなく高度で、とんでもなく難しいものになっている。
こういった状況の中で生きていくことが大変だということは、ぼくたちはみんな理解しているはずだよね。

状況を変えるために、歯を食いしばって「持つ者」の論理に挑戦して成功した人、失敗した人、わかっているけど挑戦していない人、できない人、そもそもこういった構図すらわからない人。生まれたときから「持つ者」として存在している人。
世の中には、大きく分類するとこういった人たちがいるはずだ。

ぼくは、これからどうしたらいいかっていうことを考えるときに、みんなが統治者の視点を持つべきだと思うんだ。(統治というのはさっき言った、宗教や身分制度、刀狩りや倫理教育、などのこと)

統治というのは不可欠なものなんだけど、一部の人の視点だけだと利益が偏ってしまうし、それはまた不安定な社会につながってしまう。だからできるだけみんなの視点で統治していくことで、みんなが安心して暮らせる社会の実現に近づくんじゃないかな。
これは、政治の話だけじゃなくて、経済も、仕事も、人付き合いも全て。

持つ者の論理に対応して一部の人しか豊かになれない世の中なんて、みんなで目指す必要はあるのか、疑問に思っているよ。
だから、どんな社会を作っていくのか、そのために自分たちは何をしていくのか、みんなで考えていきたいと思うんだ。

もし、興味を持ってくれる人がいたら、この本がおすすめだから、ぜひ読んでみてね。きっと、見方を変えてくれる内容だと思う。


最後まで読んでくれて、ありがとう! トゥース!o(`ω´ )o