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労働は「商売」ではない?

どうやら支払われる給料の3倍を稼ぐ事で、ようやく「雇う」メリットがあるらしい。「給料分の働きはします」みたいな台詞があるが、給料分ではなくそれ以上の利益を企業等にもたらして、はじめて意味があるということか。

しかし私は、その理屈を受け入れる気は無い。
そもそも利益とは、自らが提供するモノ以上の対価を相手に支払わせる事で生じるのだ。100円で仕入れた商品を200円で売ったり、50円の原料で500円の商品を作ったりして、流通や加工の手間を付加価値として儲ける。それが商売だ。
労働においては、労働者が提供する労働力が商品である。労働者が利益を得るには、提供する労働以上の給料を確保すべき、という話になるのではないか?

無論、モノと労働は別である。
そもそも労働する機会=仕事を提供して貰っている立場である以上、所謂「上納金」のようなものは発生し得るだろう。

だが私が言いたいのは、「安易に相手に都合が良い理屈に乗るな」ということだ。
経済とは、資本主義とは、如何にして自らの利益を最大化するかが正義の世界だ。
にもかかわらず、自らが受け取るモノ以上のモノを、軽々しく他人や社会に与えてしまう人が多いように見える。サービス残業などというカジュアルな言葉で誤魔化された無賃金労働、労働にカウントされない業務を当然の如く行う学校教員、プライベートでも仕事の事をアレコレと考えてしまう人……

社会や組織に評価される事で金と地位を得たいというなら分かる。
しかし他者への貢献を物神化するのは、進んで搾取される愚行であることに気づいて欲しい。

「働いたら負け」とも「労働は害」とも言わないが、受益以上に負担することは「負け」だし、メリット以上にデメリットがあることは「害」である。
昇進や昇給が無いならば、あるいは解雇されるリスクが無いならば、是非とも「給料以下」の人間でいて欲しい。

共産主義に関して言われる、「労働者は労働力しか売れるモノが無いから買い叩かれる」みたいな主張の意味が分かった気がする。

資本主義の本質は奪い合い。搾取するかされるかのバトルロワイアルだ。

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