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プログラミング教室をした話(1)

高校にもプログラミングの授業が取り入れられているようです。親戚の高校生に「よくわからないから教えて!」と言われ、年末にちょっとしたパソコン教室を開催してきました。以前noteで「りな塾」を開催したこともありましたが、なんだかんだプログラミングを教えることは楽しい!習いたての自分のワクワクを思い出しますね! あまり現役の高校生と触れ合う機会もないので、いろんな話が聞けて実に興味深い一日となりました。

プログラミング授業は今年からはじまった

なるほど。。。高校のプログラミング授業って今年から取り入れられたようで、聞いてみると大抵の場合は数日間の講習を受けた「数学の先生」が授業を担当しているのだそう。だから、これは仕方のないことかもしれないけれども、、、授業はほとんど参考書が中心になっていて、ひたすら順番に参考書の問題を解いていくという形式だと言う。

参考書も見せてもらったけれども、プログラミングの構文が穴埋めになっていて、ここに当てはまる符号はなんでしょう?とか、このコードの誤りはどこにあるでしょうといった、間違い探しの形式がほとんど。いずれの場合も「正解ありき」のパターン問題ですね。

プログラミングの醍醐味って、結果が正しく出力されることが前提ではあるけれど、その結果にたどり着くためには無数のプロセスがあったりする。例えば、2 x 3 の答えを導き出す思考プロセスは、3 x 2でもいいし、2 + 2 + 2でもいいし、3 + 3でもいいわけです。そこにはロジカルな発想から生まれる無数の経路があります。文章に上手い表現があるように、コードにも美しい表現が存在するのです。

自分の回答と先生の模範回答を見比べるたびに、「うわー、こんなロジックで表現できるのか!」という感動があったりする。プログラミングは自分で解く楽しみはもちろん、誰かの答えを読み解く答え合わせにすら二重の楽しみがある。

もちろん数学の先生にそこまでの要求をするのはコクというものだけれど、残念ながらプログラミングという教科はあくまで脇役であり、とにかくパスするのに必要な点数さえ取れれば良いテクニックとして受け入れられているのだということに少々ショックを感じました。。。

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そんなこんなで、学生生活について根掘り葉掘り聞いているうちに、プログラミングがテクニック化するのもなんだか必然であるような気もしてきました。

わたしのクセというか職業病かもしれませんが、どうも人の行動分析をしてしまうようで、、、引き続きプログラム教室で感じた背景についてつらつら書いていこうと思います。

つづく

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