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香森あずさの「秋女手帖」1:“秋”を楽しむ

旧ブログ・香森あずさの「秋女手帖」(2017年)より第1回を再掲します。

きのう8月7日は立秋でしたね。まだまだ夏ですが……。
とにかく秋に向かって進んでいると、思えるだけでうれしい。

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40代も半ばを過ぎた頃、ふと、20代や30代とは違う心持ちになっていることに気づいた。

30代までは、すぐに喜んだり泣いたり、喜怒哀楽が分かりやすい感じ。
その根っこには、「この先なにかいいことあるかも!」という根拠のないワクワク感があった気がする。

そしてなんとなく40歳前後までは、そのワクワク感が残っていたような。
でも、さすがに40代も半ばとなれば、人生の折り返し地点を過ぎていることが実感を伴うようになってきた。

昔からよくいうように、人生を四季に例えるならば、のんびり暖かい“春”を経て、最高も最悪も経験した狂乱の“夏”も過ぎ。
だんだん寒くなってくる“秋”は、街も樹々も全体的に茶色のグラデーション。その先には、もちろん厳しい“冬”が待っている。

イメージとしては、“秋”って、“春”や夏に比べて侘しいイメージだろうか。
枯れ葉とか落葉とか。黄昏とか落日とか。鶴瓶落としとか(どんどん出てくる)。

ただ、私が四季で一番好きなのは、“秋”。
落ち着いて本を読んだり、映画を見たりできるのは“秋”。
ファッションをいろいろなアイテムで楽しめるのも、芋・栗・かぼちゃがホクホクと美味しいのも、“秋”。

そして二番目に好きなのは“冬”なので、“秋”の先に待っている“冬”も、やっぱり楽しみだったりする。
“秋”から“冬”への連なりが、クライマックスという気さえする。


昔の感覚だと、思春期といえば10代半ば。青春なら10代後半から20代か。
40代では、もう初老と言われていたとか。
でも自分の感覚を正直に振り返り、そこからまた現在までたどってみると、どうだろう。

14歳で自我に目覚めるまでは、ボーッとした、ただの子どもだった。

15歳から30歳くらいまでは、あれこれと好きなことをしていて、勉強や仕事は二の次。
世の中と自分が連動しているような気がしていた。メディアでいうF1層(20~34歳の女性)ってやつね。自分たちが真ん中にいるのだということに疑いもなく。

30代から40代の半ばまでは、仕事に熱中。徹夜も当たり前だし、時には家族や友人よりも仕事を優先。それなりに仕事で評価を得たのもこの頃。

そして、40代後半になった頃。前のめりに仕事だけをする日々がだんだんつらくなってきた。

なんというか、時間の過ぎる早さに車体(わたし)がそぐわないというか。
キレイな新幹線でサッと移動するよりも、各駅列車で車窓を眺めながら旅を楽しみたいというか。
手軽でおいしいとされるものを急いでかきこむよりも、自分好みの味でこしらえたひと皿をゆっくりと味わいたい、というような。

まさか、こんなズボラな自分が「丁寧な暮らし」を望むようになるとは??
と怯んだのだけど、あいにく、ズボラはズボラなままだった……。
単に、年を取ってゆっくりしたくなったんだな。
それに気づいて、(ズボラなまま)生活スタイルを見直したんでした。

周りを見渡せば、独身の友人はポツポツと「部長」や「編集長」の肩書きが付きだしている。
結婚した友人は家庭を築き(私はもともと結婚願望はないのだが、幸せそうな友人を見るのは好き)、中には、その両方をがんばっているパワフルな友人もいる。

ひるがえって、私は「肩書き」なし。「資産」なし。もちろん「美貌」も「スタイル」もなし。こうして書くと、我ながら震えますね……。

それでも今は、不思議にのんびりした心持ち。

登山といっても低い山、そのデコボコ道を転びながら歩いてきて、少しずつ山歩きも慣れてきた頃、ふと振り返れば、思ったより高いところまで来ていたことに気づく。
リュックから水筒を取り出して熱いお茶をひと口飲んだら、ふと「悪くない」と思えた。

いや、向こうのほうにうっすら雨雲も見えるんですが。
それでも今は、眼下に広がる樹々が少しずつ色づいていて。「悪くない」。

いちばん好きな“秋”という季節を、これからもゆっくりと味わおう。

Photo: Cristina Gottardi/unsplash

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