同じ阿呆なら踊らにゃ
数日前の晩、一緒に終電を逃した友人の誘いを受け、久方ぶりにクラブに足を踏み入れました。(珍しい)
楽しくなかった訳ではないけど、やっぱりクラブは私の肌に合わない空間なのだなと再認識させられました。
私が人生で初めてクラブに連れていってもらったのは、東京生活2年目、20歳になってすぐの頃のことです。
当時可愛がってくれていた先輩が、"ハタチのお祝いに"と不慣れな私の手を取って夜の雑踏を連れ回してくれました。
先輩に手を引かれた20歳ほやほやの私の背伸びは、大学生チックで悪くない、愛おしい思い出のひとつだと思っていますが、正直に申し上げると、あの経験で得られたのは、"クラブは私の肌に合わない"という感覚だけです。
ちなみに、私は元来、お祭り騒ぎやその類が割と嫌いじゃない方で、どちらかというと、誰かと一緒に過ごすのを好むことが多い人種です。お酒はすこぶる強い訳ではありませんが、人並みには飲めて、お酒を飲むのが好きです。ついでにいうと、所謂クラブミュージックには疎いものの、良い音に身体が乗せられるのは純粋に喜ばしく楽しいことだとも思っています。
つまり、人が集まる場所も、お酒が出る場所も、音楽が流れる場所も、全部まとめて結構好きな方です。
でも、クラブという空間がどうも肌に合いません。
肌に合わない感覚について語る時、そもそも論として、私自身がクラブに対して不慣れであるという要素は十分に加味する必要がありますが、この"肌に合わない"という感覚は、慣れ不慣れの問題に帰結するものではない気がしています。
上手く言語化出来ないものの、クラブという非日常的な空間ならではの他者との明確な境界線を持たない距離感に対する怖さ、他者との明確な境界線を持たない距離感を通して浮き彫りになる自分を取り巻くグロさ、そしてそれらに対する忌避感が、刹那的な楽しさをいつも上書きしていくのです。
出自、年齢、性別、趣味嗜好。
統一感の無い人間の塊が、会話もままならない薄暗がりの音の中で蠢き、言葉を交わすことにハードルを持ちながら、身体を寄せることにはハードルを持たない。
そういう、クラブの外では有り得ないような構図が、何も知らない圧倒的な他人と密接する瞬間が、私は怖いのです。
それに加えて、そういう空間を通して、自分がちょうどいい(笑)女として消費されうる可能性に触れることを、そしてその消費に対して否定的な癖に拒絶を怠りかける自分がいることを、いつもグロいと感じてしまいます。
ただ、フロアで輪郭を失った時の高揚感にえもいわれぬ中毒性があることは知っていて、何かの拍子に怯えを思い出すまではその熱を享受出来るからこそ、途中でつまづいて踊れなくなってしまう自分に、毎回ほんの少しだけ落胆もします。
本当は魅惑の美人ギャルおねいさんか男の子になって空っぽになって踊り続けたいです。
同じ阿呆なら踊らにゃ損というやつでしょうか。
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