感情と社会 4

感情に踏み込まないという暴力

『感情の歴史』には、いまの日本にある感情の姿が、すでに何百年も前のヨーロッパにあったものだったことに気づかされる記述が多くて、本当につらい気持ちになります。

ヴィガレロは1章を割いて、フランス近代初期の、今では「強姦」と呼ばれる事件に関する裁判記録を考察しています。(日本で言えば江戸時代に入るちょっと前あたりからの公判記録が歴史的文書として残っていること、そしてそれを歴史学者が自らの文化が抱えている問題として引き受けていることだけでももう、日本に暮らしているぼくにとっては驚きです。ある自治体では、黒塗りで公開される公文書はダメだということで、白塗りにして公開していますね。)

ボルドーの牢番は、1536年のある日、囚人であった娼婦と、「女性の意思に反して交わった」。16世紀当時であっても、これは本来なら死刑に値する罪だったのですが、彼は鞭打ちの刑で放免されます。記録にはこうあると述べられています。
「16世紀の判例ではこのような判決は日常茶飯事であった。暴力の様子は一切喚起されず、罪の行われた状況についてもほとんど言及がない。娘の訴えにはほんの短いほのめかししかない。特記事項がつけ加わっている。被害者には夫がいないと。(中略)例えば「力ずく」の行為が未婚の娼婦に対し行われた場合、同じ行為が既婚の娼婦に対して行われた場合よりも軽い罪とされる。後者での「侮辱」は犠牲者というよりも夫に対し行われたものであり、より重大な事件となるのである。」(『感情の歴史』Ⅰ、p.554)

当時女性の地位が、男性の名誉に照らしてだけ、測られていたことが知れる文章でもありますが、ぼくがズンと胸に響く思いを感じたのは、これに続く記述です。

「この16世紀のボルドーの牢番の例は法に沿ったものである。暴行はほとんど描写されず、被害者はほとんど喚起されていない。単に社会的側面が重要視されている。夫がいないこと、娘の貶められたステイタス、牢番の緩和された責任。犠牲者は自分(つまり判決を下す側の男性たち)に対して作られたイメージを通してしか存在しない。売春に携わる者、とても脆弱な「保護」しか受けられない者〔というイメージとして〕である。そこから彼女が受けたあらゆる内なる攻撃が無視される結果となる。」
人間を社会的な階層性、身分によってだけ判断している様が描かれます。そして:
「「慰みものにされた」者の感情世界、今日では中心的となった心理的側面はここでは存在していないかのようだ。(中略)犠牲者の感情よりも、保護者や父・夫、彼らへの攻撃、彼らの恐れ、彼らの受けた強制を前景に持ってくるのである。犠牲者たちの感じるものは、「所有者」に対してなされた侮辱と比較すると、意味を持たない。二重の不平等が犠牲者の情動を黙らせているのだ。社会的距離と男女間の距離が構成する不平等である。」(pp.554-555)

もう一度。これは遥か昔、16世紀の出来事の記述です。ぼくたちの国で最近でも飛び交っている言葉を、これと比べてみてください。強姦を訴える女性は「実はそれを避ける行為ができたはずだ。なのにそれをしなかったのだから、それは合意に決まっているではないか。」と捉えようとする感情。

ヴィガレロの言葉を続けます。
「もっと深いところで、こうした判決のあり方が明確にしていることがある。いかなる個人的内面性も考慮され難く、そんな内面性を客観化するにはたいへんな苦労が必要で、行動におけるその役割と重要性が長くないがしろにされてきたということである。」(p.555)

こうした裁判では、被害にあった者の内面にいかほどの傷が与えられたか、感情性にどれほど重大な衝撃があったか、ということにはまるで無頓着だったということですが、はたしてこれは、現在の日本では解消されているのでしょうか。
性暴力をめぐる訴訟では、現在でも常にもめごとが起きます。「職務上の事情」で自殺に至った官僚の内面がしっかりと社会的問題として取り上げられる兆しもありません。「内面性を客観化するにはたいへんな苦労が必要」なのは間違いありませんが、大変だからといって、それが棚上げにしていい理由なんだということには、なりません。絶対になるはずがありません。

前の節に書きましたが、他人の内面性、他人の感情の状態に関心を示さないという人格性は、社会的ルールを自発的に内面化してしまって、自分自身の自発的な感情の発露を早くから失ってしまっている人々、つまりその社会を取り仕切っている権力構造に隷従している人々にとっては、当然の帰結なのだと思われます。
裁判に代表される法の執行に当たっている人々は、言うまでもなく官僚です。様々なルールの縛り(学校で品行方正、好成績を収める、身分が要求する大学に進学する、司法試験に合格する、職種にふさわしい家系や家庭を持つ、判事としての<品格>を身につけるなどなど)を受け入れた人々です。受け入れただけではなく、その中でも特に優秀と(何か別のシステムのルールによって)判定を受けて、自分自身の品質保証も手に入れた、つまり他者からの評価も自分自身の人格の一部だと錯覚している可能性も、極めて高い人々です。こうした人々の内面が、しっかりとした自発的な自由意志という感情に満ちていると想像することは、とても、とてもむずかしい。

中央集権、特定の身分による特権的な支配体制、官僚による行政管理という仕組みは、今や世界中のスタンダードになっています。この仕組みがある限り、ひょっとすると人は、自分自身や、他者の感情、心の状態に、気がつかないままなのかもしれません。そうだとすると、ぼくたちの中に潜んでいる、他者に関心を示さないということが結果として引き起こす暴力性に、気がつくことも望めないのかもしれません。

補遺
被支配層の市民たちが、自発的な隷従をすることで、強大な中央集権システムの中でなんとか生き延びようとした時代、その時代に、政治システムが要求する形で、いわゆる「道徳」や「倫理」が大々的に発明されたものと思われます。被支配層の人々は、保身をするだけでなく、支配層と同じ感情を持つことにさえ憧れていって、支配者の都合に合わせて発明されたルール(道徳や倫理)は、どんどん内面化されていき、その中身は空洞のまま、自我の本体の位置を占めていくに至ります。空洞のままの充満というこの奇妙な心のありようを、やがてフロイトは、神経症的な精神状態として定義づけることになります。また、この、15世紀から始まるルールの内面化、自我の空洞化の時期に、後になって「個人主義」と呼ばれるようになる人間観が、フランスやフランドル地域で生まれていることも、とても興味深いことです。ボエシや、その友人であったモンテーニュの書き残した物には、生き生きとして鮮やかな個性が感じられます。個が個として覚醒することは同時に、個が自分の属する狭い共同体の中で、特殊であり、したがって孤立しかねないということに気がつくきっかけにもなります。15世紀に、政治的なシステムの激変と共に起こった心性の激変は、このようにして、21世紀に至ってなお、ぼくたちの心性の中核を形作っている、倫理性、個人性、孤独、内面の空洞化といった諸特徴のほぼすべてを、すでに取り揃えていたのでしょう。

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