しあわせはいつもじぶんのこころがきめる。
定期的に訪れる生きることに疲れる日々。普段は前向きに夢とか希望で武装して、全能感を醸し出しながら生きることができる。でも人間はそんなに強かない。凹む時もある。何もかも投げ出しくなる日もある。まぁ、実際には投げ出さないけれど。そんな風に「生きる」ことに這いつくばる夜があってもいいじゃないか。
疲れた時は何もかも投げ出して休むのがいい。今日の夜の予定も明日の朝の予定も、ダイエットも筋トレも、恋人への返信も友達への連絡も、お風呂もスキンケアもすべて脇にそっと置いて散歩に出よう。
人間はしょせんドングリの背比べ
冬の凍てつく夜の中を散歩しながら、今の自分には何があるんだろう?と自問自答してみる。うん、他人に胸を張って誇れるようなものは何もない。でもその何もない空虚感が好きだ。それに、何もないからこそ色々なものをこれから詰め込んでいけるわけであって、満杯のコップには新しいものは何も注げない。
ジョン・ロックだか誰だかが、こんなことを言っていたのを思い出す。「人間なんてしょせんはドングリの背比べに過ぎない。どれだけ努力しても人間は人間でしかないのだ」と。まさしくその通りだ。どれだけ頭が良くても人間の記憶力はコンピューターの足元にも及ばないし、どれだけ体を鍛えてもゴリラやクマに勝てるわけじゃない。人間の能力はどれだけ洗練しても「人間」の域を出ることはない。仮に出てしまったら、それはもはや人間ではないだろう。
他人と自分を明確に切り分ける境界線も個性というこだわりも、実際には他人と大して差はない。「人類みな兄弟」という言葉はそのための言葉なのかもしれない。いや、違うか。でもそれがいい。
猫の人生と人間の人生
衝動的な欲求に身を任せ、罪悪感と絶望感で死にたくなる夜があってもいい。死にたくなるのは人間だけに許された特権である。毎日寝てばかりいる犬や猫が死にたいと思うことはない、、、と思いたい。私たち人間は無駄に大脳皮質が進化しすぎたせいで、「生」を重く考えすぎているのかもしれない。犬のようにはしゃぎ、猫のように自由に生きるのが正解なのかもしれない。にゃあ。
そういえば今ここを書いているときに、猫も自殺することがあるという話をどこかで聞いたのを思い出した。それはこんな話だ。ある日、オス猫がメス猫に気に入られようと毎日アピールしている姿を目撃した。毎日何度も何度も求愛アピールしているオス猫は、しつこすぎたのかとうとうメス猫に嫌われてしまい、メス猫はどこかへ逃げていってしまった。
それでショックを受けたのか、オス猫はご飯を食べなくなり、毎日海に向かって走り出すようになったという。見かねた近くの住人が猫を海から救助し、家の中に連れ帰っていたのだが、何度連れ帰っても猫は海へと走り出して自分から溺れにいく。そしてとうとうそのオス猫は海に溺れて死んでしまった。
この話が本当かどうかはわからないけれど、猫でも女の子に振られて自殺したくなるんだなぁと、なんだか愛おしく感じたのを今も覚えている。だからなんだと言われても困るのだが。
それに比べれば、今の自分は別に女の子に振られたわけでも、何か嫌なことがあったわけでもない。ただ何となく気分が乗らなく、やる気もモチベーションもなく、現実から逃避したいと思いながらこの文章を書いている。「死にたいなぁ」という言葉にも「疲れたなぁ」程度の意味しか込められていない。だって、今死ぬのはもったいないだろうし。
気分の下落相場は止めなくていい
明日目覚めたときには何かが変わってるだろうか? いや、何も変わっちゃいないだろう。ニーチェ的永劫回帰の中で永遠に繰り返される毎日。世界は戦争であたふたしているけれど、自分の世界は昨日と今日で大して変わらない。人間だけでなく、人間の人生もみんな大して変わらない。しょせんドングリの背比べだ。
えーと、ここまで何の目的もなくただ書き綴ってきたわけだが、結局何を書きたかったのか自分でもわかっていません。でも、エッセイなんてそんな感じでいいんじゃないですかね。書いてるうちに思考が整理されてなんだかすっきりするし、やる気ないとか言いつつ2000文字ぐらいをツラツラと書くぐらいの気力はあるわけだ。
よく本とかで「無理やりにでも笑顔でいれば、自然と楽しくなってくる」みたいなことが書かれているが、あれ嘘だと思う。試しに笑顔を作って鏡を見てみると、口元は笑ってるけど目が笑ってないから口裂け女みたいな顔になるんです。全然楽しそうじゃないし、幸せオーラよりも悪魔のオーラが漂ってます。間違いなく。
そもそも気分が落ちてるときは、とことん落としておくのがいい。死なない程度にとことん下まで落ちていって、底にたどり着いたら後は上がるしかない。人間はビットコインじゃないんだから、必ずどこかで気分の下落は止まる。自律神経の相場のボラティリティが上がるときがあっても、何日か経てばボラティリティはなくなって落ち着いてくる。そうすれば後に来るのは気分の上昇相場だ。
しあわせはいつもじぶんのこころがきめる
そろそろ疲れてきたので終わりたいのだが、いい締め方がわからないし、話のオチもないし、どうすれば書き終わるのかがわからない。まぁ、何が言いたいのかと言うと、疲れたときは思いっきり休みましょう、ということです。
笑えないときは無理して笑わなくていいし、悲しいときは思いっきり泣けばいい。他人に「暗いね」「元気ないね」とか言われても放っておけばいいし、女性なら「生理なんです」とか言っとけばいい。男の場合は、、、「脳の生理です」とかでいいんじゃない。
毎日明るく生きることのハードルの高さは、富士山と同じぐらい高い。何もかもめんどさいときは「めんどぅーくさいので寝ます」の一言ですべてが丸く収まればいいのに。みなさん、明日も頑張りましょうね。
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