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自分の思い通りにならないことは放っておけ。

人生には自分の思い通りになるものとならないものがある。

たとえば、自分の言動や考え方、努力や決断、態度や感情などは自分の力でどうにでもできるものだ。
一方で、過去や天気、渋滞や社会、世間のニュースや他人の言動といったものは自分ではどうすることもできない。

よく言われるように、人生を心地よく生きるためには自分の思い通りになるものだけに集中し、思い通りにならないものは放っておくのが最適解である。

自分ではどうしようもできないことに右往左往し、不安を恐怖を抱くのは時間の無駄であり、何も得することがない。
それよりも自分で変えられるものや思い通りになるものに集中し、ダメな習慣を改善したりストレスを感じないように自分の考え方を変えたほうが有益である。

そもそも人間関係のストレスの大半は、決して自分の思い通りにならない「他人」の言動や考え方、感情や意見を変えようとしていることに起因する。

人は一人ひとり違うというのは頭でわかっていても、自分の考えや意見とは違う人を見るとその人に対して少なからず嫌悪感を抱くものだ。

特に恋愛ともなれば「どうしてこうしてくれないの」「自分はこうしてるのに、どうして相手はこうなのか」みたいな感情がカップルの間で常に湧き上がっている。

職場の人間関係にしても「なんでそういうやり方なのか」「どうしてもっと効率的にできないのか」「なんでそういう言い方しかできないのか」など、他人に対する不満が毎日飛び交っているのがわかる。

しかし、それらの不満やストレスの多くは自分に問題があり、自分が他人を変えようとしていることが原因である。

もちろん、相手が間違ったことをしていれば注意することは必要だ。
でも他人を変えようとしても意味はない。
自分の意思や考えを相手に伝えたのであれば、あとは他人がそれをどう受け取り、どう行動するかはその人次第である。

それで何も変わらなければ放っておけばよい。
変わらないことに腹を立て、「なんで」「どうして」と他人の領域に踏み込もうとすればするほど、あなたの不満とストレスは募っていく。

人生の中で自分の思い通りになることはとても少ない。
自分ではない外の世界にある出来事のほとんどは自分ではどうしようもできないし、変えようとしても変えられない。

変えられないものを変えようとし、結果的に変えられなかったときに人はストレスを感じる。
自分の思い通りにならないことに腹を立てるのが間違いなのではなく、思い通りにならないことを変えようとすることが間違いなのだ。

自分の思い通りになることだけを、思い通りにしようと努力していればストレスとは無縁になれる。
すべては自分次第なのだから、思い通りにならないのは自分の考え方ややり方、努力が足りないだけである。
諦めなければいつかきっと変えられる。

そして、自分の思い通りになるものだけに集中することには、もう一つ利点がある。
自分だけの、自分らしい人生を生きられることだ。

自分の思い通りにならないものに首を突っ込むのは、いわば他人の人生を生きている状態だ。
自分のことではなく他人や世間のことばかり気になり、口出しして是正させずにはいられない。

こうした状態は人生の主導権が自分ではなく他人にある状態だ。
他人の人生や出来事に首を突っ込んでいる限り、あなたは自分の人生に集中することができず、自分らしく生きることもできなくなる。

私たちには他人の人生に首を突っ込んでいる時間などないはずだ。
自分の人生を少しでも楽しもうと、一生懸命生きるだけで精一杯なのに、どうして決して自分の思い通りにならない他人の事柄に首を突っ込み、わざわざ自分で自分を苦しめてしまうのか。

物事はなるようにしかならず、自分の思い通りにならないことは流れに任せたままにしておけばいいのだ。
自分ができることに向き合い、精一杯生きていれば少なくとも悔いは残らないだろう。

仕事をどれだけ頑張っても報われないと嘆く人もいる。
たとえ他人に認められなくたって、「自分は頑張った」と自分で自分に胸を張れればそれでいいのである。

仕事を「頑張るか」「頑張らないか」の選択は自分の思い通りになることだが、仕事を評価してくれるかどうかは他人の問題だ。
そこに踏み込み、思い通りにならないことを嘆いても仕方がない。
雨が降り出して「どうして晴れないんだ!」と怒るようなものである。
私たちにできるのは、ただ受け入れることだけなのだ。

ストア派の運命論には、私が好きな「鎖につながれた犬」の比喩が出てくる。

犬が飼い主によって鎖でつながれている場合、飼い主の行く方向へついて行こうとするならばそれなりに自由に生きられるが、もし逆方向へ行こうとするならば飼い主によって引き戻されるだろう。

人間の場合も同じで、物事を運命に任せ、運命に従って生きる場合には自由に生きられるが、自分の運命について行こうとしない人は、どうあがこうともいずれは運命によって引き戻されるだろう。

自分の思い通りにならないことを変えようとするのは、まさに自分の運命に逆らおうとする行為である。

運命に逆らうのではなく、自分に与えらた運命の方向へ流れ、その運命の流れの中で一生懸命生きれば、楽しく充実した人生を生きられる。

自分の思い通りにならないことに首を突っ込むのはやめよう。
すべては運命のなすがままに、日々自分にできることを一生懸命やっていれば、その結果がどうなっても受け入れられる。

それが本当の意味で「後悔のない人生」なのではないかと思う、今日この頃である。

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