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「日本語こそが国力の源である」と断言できる訳

着々と進んでいく学問の英語化

今の日本では、学問の英語化が政策として着々と推し進められてきていることは周知の事実でしょう。特に、2014年から始まった「スーパーグローバル大学創成支援事業」がその典型だと言えます。これは、日本国外の大学との連携などを通じて、徹底した国際化を進め、世界レベルの教育研究を行う「グローバル大学」を重点支援する、という構想です。

そのような事業を推進した結果、大学の授業の外国語化(特に英語化)が進むことになりました。例えば、そのスーパーグローバル大学に認定された大学群における、外国語による授業科目数は、2013年には7.2%だったものが、2022年には19.2%にまで増加しています。また、外国語のみで卒業できるコースの数は、2013年には18.9%だったものが、2022年には30.9%にまで増加しています(「スーパーグローバル大学創成支援事業令和5年度(2023年度)フォローアップ結果」より)。

正直、日本語しかまともにできない僕のような凡人には頭が痛くなるデータではあります…。しかしながら、このような英語化の取り組みによってより日本の大学のレベルが上がっているのであれば、それを一概に否定する筋合いはないと言えましょう。

英語化政策が大学の「研究の質」を落とした

しかし、結果は真逆なのです。THE世界大学ランキングにおいて、2013年時点においては日本の大学は5校(東大、京大、東工大、阪大、東北大)が200位以内に入っていたのですが、2023年には東大と京大の2校しか200位以内に入っていない、という結果になっていたのです。そして、なんとか残ったその2校も、順位を大幅に落としてしまっています(東大は27→39、京大は54→68)。

その5校は全て、スーパーグローバル大学創成支援事業において「世界大学ランキングのトップ100を狙う実力がある、世界レベルの研究を行う大学」とされる「トップ型」に指定され、より重点的に支援されていたのに、です。どうしてこんなことが起きてしまったのでしょうか。

THE世界大学ランキングにおけるスコアの内訳をより詳しく見てみましょう。すると、以下の図が示すように、確かに「国際」スコアは軒並み上昇していることがわかります。文部科学省の資料もこのようなデータを引っ張ってきて「成果」として自慢しています。しかし、このスコアは、あくまでグローバル化がどれほど進んでいるかを示しているものでしかなく、グローバル化・英語化政策を進めればこのスコアが上がるのは必然です。本当に大事なのは、そのグローバル化・英語化政策の結果、大学の本義たる「研究」がどのように変化したのかということです。

文部科学省の資料より引用

では、同ランキングの「研究の質」スコアはどうかと見てみると、その結果は、本当に惨憺たるものです。上記の5大学の「研究の質」スコアは、軒並みほとんど単調減少で下落し続けているのです。本当にひどい有様です。

強いて言えば、この5校の中では、京大だけは比較的善戦しています。しかし、その唯一の希望とも思える京大は、スーパーグローバル大学創成支援事業の2020年度中間評価において、全大学の中で最低クラス(37校のうち4校のみ)のB評価をくらっている大学なのです。京大の相対的な健闘っぷりは、この事実と無関係とは思えません。

つまり、大学のグローバル化政策・英語化政策を推し進めた結果、「国際」スコアの上昇と引き換えに、大学の研究力はこんなにも急速に劣化してしまったのです。このような目を覆いたくなるような状況を、政策担当者は一体どのように理解してくれやがっているのでしょうか。

「英語化は愚民化」という歴史的必然

しかし残念ながら、上記のような英語化の悲惨な結末は、歴史という長い視点で見れば、むしろ必然だったのです。九州大学大学院比較社会文化研究院教授の施光恒氏は、2015年に出版した『英語化は愚民化』という著書で「昨今の英語化の流れはむしろ国力を落とす」と警鐘を鳴らしていました。
その理屈は次のようなものです。

昔のヨーロッパでは、「普遍語」であるラテン語によってのみ、学問が行われていた。それはつまり、現地語とは別にラテン語も習得することができた少数の特権階級、つまり当時のグローバルエリートに学問が独占されていたということである。つまり、ラテン語を理解できない大多数の庶民には、学問にアクセスする余地がなく、一切の知的な情報は完全に閉ざされていたのである。

しかし、宗教改革でラテン語の聖書がドイツ語やフランス語、英語などの「現地語」に翻訳されるようになったことを契機に、さまざまな学問が上記のような「現地語」で行われるようになり、庶民も努力すれば学問にアクセスすることが可能になった。そして、まさにこのことが、ヨーロッパ近代社会の急速な発展を可能にした原因であった

日本においても、明治時代に、英語を公用語にすべきであるといったような議論もあったものの、それらを跳ね除け、西洋の学問を敢えて日本語に翻訳して輸入した

そのような努力のおかげで、日本人は、英語を本格的に学ぶことができないような一般人であっても、母語である日本語のままで、一通りの学問を学ぶことができるようになった。このことが、明治以降の日本の飛躍的な成長を支える前提となったのである。

明治日本の場合も、「普遍」的で「文明」的だと思われた英語など欧米の言葉を、日本語に徹底的に翻訳し、その概念を適切に位置付けていくことによって日本語自体を豊かにし、一般庶民であっても少し努力すれば、世界の先端の知識に触れられるような公共空間を形成した。これによって、多くの人が自己の能力を磨き、発揮し、参加することのできる近代的な国づくりが可能となり、非欧米社会ではじめて近代的国家を建設できたのだ。

『英語化は愚民化』92頁

このように「日本の成功の要因は学問を日本語で学べるようにした点にある」と考えれば、学問を「現地語」の日本語ではなく、「普遍語」の英語によって行うように改革する現在の英語化政策は、日本、ひいては近代国民国家の飛躍的な発展を可能にしたその基礎を自ら掘り崩すような営為であり、その失敗はまさに必然であったと言えるでしょう。

第二言語習得論からみる、母国語教育の重要性

それでは、そもそも大学入学より以前に、なんなら小学生の段階から、英語教育に重点を置けば良いのではないか、と思われる方もいるでしょう。実際、日本では既に、小学校3年生からの英語の必修化が始まっているわけですから。

しかし、バイリンガル研究の第一人者であるジム・カミンズは、「第一言語やそれに伴う認知力が発達しているほど第二言語も発達しやすく、第一言語の発達が低い段階だと第二言語の認知力の発達も難しくなる」という発達相互依存仮説を提唱しています。つまり、第二言語の習得のためにこそ、母国語を発達させることが特に大事なのだ、というのです。

また、言語学者である青山学院大学の永井忠孝教授の『英語の害毒』によれば、多言語国家であるシンガポールでは、小学校1年生から、授業時間の半分以上を英語と民族語(主に中国語)にあて、算数・数学・理科は英語で教えるようにするなど、バイリンガル教育を徹底しています。しかし、そのバイリンガル教育の結果はなんと、英語も中国語の双方で読み書き能力の最低水準に達しない人(セミリンガル)が最も多く、英語と中国語の両方の新聞が読めるレベルまで達している人(プロフィシェント・バイリンガル)は、人口のわずか13%しかいないのだそうです。

かつてのイギリス植民地であり、日本より格段に英語教育に力を入れているシンガポールですら、それが現実なのです。

考えてみれば当たり前で、我々は普段何かを考える時は、必ず日本語で行なっています。つまり、言語というのは、単なるツールである以上に、我々の思考そのものなのです。母語をきちんと習得している者は、母語における思考を第二言語にも転用することで、第二言語もうまく操れるでしょうが、母語による思考もままならないのであれば、第二言語がそれよりうまく扱えるはずはありません。

そのように考えれば、何よりも日本語教育に力を入れることこそが、英語の能力を伸ばすためにもまず必要なことであり、安易な英語化というものはむしろ国力を落とす結果にしかならない、ということがわかるでしょう。

明治維新の成功の要因は、「日本語への徹底的な翻訳」にあった

そんな中、今年2024年に、日本が他の非西洋諸国とは異なり、工業化に成功した理由についての興味深い研究が発表され、ネット上で話題になりました。

この研究は、なぜ日本は他の非西洋諸国とは異なり、いち早く経済成長を遂げることができたのか、という問いに対し、「日本語によって科学技術を体系化し、吸収したことが決定的に重要であった」という答えを提示しています。それは一体どういうことなのでしょうか。

1870年当時においては、世界の技術書のうちなんと84%が英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語のたった4言語で書かれていました。そのため、それらの言語に通じていない人達は、最新の技術知識にアクセスすることが非常に困難でした。日本語についても他の多くの言語と同様の状況であり、1870年時点では、日本語で書かれた技術書はほとんどありませんでした。

そのような状況の中で、まず日本は、西洋の技術書を日本語に翻訳する作業を推し進めました。その結果、日本は、1890年にはなんと、フランス、英語に次ぐ第3位の技術書数を持つ言語となり、1910年には、英語の技術書数を凌駕し、世界第2位となったのです

1800年以降に出版された技術書の累積数の言語ごとの比較

ではなぜ日本は、これほどまでに急激に技術書の翻訳を進めることができたのでしょうか。

それは、「政府が科学技術の単語を日本語に翻訳するために大規模な投資を行なったためである」と著者は言います。

当時の日本語には、「鉄道」「蒸気機関」「電信機」といった産業革命の代表的な製品を表す基本的な単語さえ存在せず、技術書の中の翻訳不可能な専門用語をすべて音で表すと、翻訳ではなく音訳になってしまうという問題がありました。そこで、明治政府は日本語の側で新たな用語を創出し、それらを体系的にまとめた英和辞典を編纂するという計画に取り組んだのです。そして、1862年に小型の英和辞典が、1871年には専門用語が含まれる大規模な英和辞典が完成しました。

これを境に、日本語における新語の誕生数は大幅に増加することになり、ペリー来航後も年間100語程度しかなかった新語の数が、1971年以後には1000語を超えるようになりました。このことが、海外の技術書を日本語に翻訳することを容易にしました。

日本語における新語数の推移

このような類稀なる努力の結果、日本経済は産業革命の技術を西洋から輸入することに成功し、農業中心の経済から工業中心の経済へと経済構造の転換を果たしました。実際に、1880年代初頭から製造業の輸出は大幅に拡大し、製造業の輸出に占める割合は、1880年から1920年までの間に、20%程度から70%まで50ポイントも増加したのです

日本の輸出における製造業の割合の推移

この研究は、先に述べた「明治以降の日本の成功の要因は、学問を日本語で学べるようにした点にある」という発想と非常に整合的です。

このように考えると、日本において、母国語によって学問からビジネスまで行えるような環境が整っているということがいかに貴重な財産であるか、ということがよく分かると思います。

これからは、「グローバル化」ではなく「国際化」を目指すべきである

先に述べた『英語化は愚民化』の著者である施光恒教授は、「グローバル化」と「国際化」という二つの概念を区別すべきであり、日本(のみならず世界各国)はあくまで「国際化」を進めていくべきだ、と主張しています。

私の持論だが、「グローバル化」と「国際化」を区別すべきだ。「グローバル化」とは「国境の垣根をできる限り引き下げ、ヒト、モノ、カネの流れを活発化させる現象、およびそうすべきだという考え方」である。
他方、「国際化」は「国境や国籍は維持したままで、各国の伝統や文化、制度を尊重し、互いの相違を認めつつ、積極的に交流していく現象、およびそうすべきだという考え方」だといえる。

産経新聞「「グローバル化」と「国際化」の区別を

言語政策にこの区別を適用すると、「日本人は皆『国際公用語』である英語をマスターして、世界に打って出るべきだ」と考えるような現在の英語化政策は典型的な「グローバル化」政策です。
一方、「外国語の文献は日本語に翻訳して、多くの国民がアクセスできるようにすべきだ」とした明治政府の翻訳政策は、まさに「国際化」政策であると言えるでしょう。前者の「グローバル化」政策と後者の「国際化」政策、どちらが良い結果をもたらしたかは一目瞭然です

まずは「グローバル化は無条件に良いことである」という盲目的な前提を疑ってみることが、今の停滞している日本が活力を取り戻すための第一歩として必要なことなのではないでしょうか。

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