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恋人、子供、あるいは相棒

猫を飼っている。
アイコンにしている黒猫。名前はちょっと変わっていて、SNS上ではB氏と呼んでいる。



彼は愛護センターから来た。いわゆる保護猫だ。
大学を卒業して、最初の仕事に就いたときに引き取った。


私はずっと、それこそ子供の頃から、犬か猫のいる生活に憧れていた。
しかし祖母が大の動物嫌いで、「頼むから私が死んでからにしてくれ」と言って許してくれなかったのだ。

既成事実じゃないけれど、流石に連れてきてしまえば飼うしかなくなるだろうとふんで、中学生のとき、学校で保護した仔猫を連れて帰ったことがある。黒猫だった。
案の定問題になり、結局その子は祖父にどこかへやられてしまった。
本当にかわいそうなことをしたと思う。
(数ヶ月後、若い黒猫が庭にやって来て、しばらく鳴き騒いでいたことがある。もしかしたらあの子だったのかもしれない)

とにかく、そんな環境で育った私には「社会人になったら猫を飼う」という夢があった。
ペットショップで売られている血統書付きの子ではない。捨て猫を拾うか、保護猫を譲ってもらうか。そう決めていた。


新天地の生活にも慣れたころ、色々な団体や個人が出している譲渡情報のHPをチェックしていた。
その時は短毛で白黒の仔猫を希望していたのだ。
しかし愛護センターのHPに掲載されている、長毛の、2歳の黒猫を見た時、「この子だ!」と思った。

HPに掲載されていた写真。
「人にはすごく甘えん坊な性格ですが、猫には強気な場合があります。食べるよりも遊ぶことが好きです」
と紹介されていた



なぜかはわからない。
子供のころ魔女に憧れていたからかもしれないし、かつてのあの子が重なったのかもしれない。
とにかく、会いに行くことにした。

譲渡希望者は沢山いたが、ほとんどのおめあては犬だった。
講習を受け、お見合いへ進むと、私のほかにいたのはカップル1組だけだった。

HPに掲載されていたのは2匹だったけれど、猫部屋にはそれ以上にいた。命の期限が迫った子が載るのか?いまだにシステムはわからない。

「HPに載っていた黒猫が……」と申し出ると、職員さんの顔がぱっと明るくなった。
「他の猫と仲良くできなくて別室にいるんです!連れて来ますね!」

そうしてやって来たのが、こいつだ。

掲載されていた紹介通り、いやそれ以上だった。
部屋に入るなり、他の猫に威嚇する。むこうから近寄らずとも「なんだテメエ!何見てんだよやんんのかゴルァ!!」という具合だ。
一方で人間に擦り寄り、甘え、一生懸命話しかけていた。
「ひょっとして魔法で猫に姿を変えられた人間なのでは?」
なんて思った。

カップルは「長毛だし、大きいし、珍しいですね」「外来種の血が入っているのかな」と言っていた。が、身近に猫がいなかったので私にはなにもわからない。サイズ感、こんなもんじゃないのか?


とにもかくにも、その日から、B氏は家族になった。
以下の3枚の写真は、どれも引き取ってから2ヶ月以内に撮ったもの。
いかに彼が甘えん坊か、おわかりいただけるだろう。

一緒に暮らし始めて数日で、私が座ると
「どっこらしょっと」という具合に膝の上に乗ってきた
抱っこしているわけではないのがポイント


私が寝っ転がると腹の上に乗り胸を枕にする


彼はよく喋る。
田舎の戸建て(一人暮らしなのに、ファミリーサイズの家だった)でよかったと思う。
地元の身内と電話したとき、数名から 「うるさっ!」「声すごくない?」と言われた。
が、身近に猫がいなかったので(以下略)。

当時は別室で寝ていた。
毎朝、彼は寝室のドアの前に来て騒いだ。ドアを開けると行儀よく座っていた。
自動給餌器の量設定が少なすぎたのか、非常に食いしん坊で、隙あらば台所に忍び込み食パンや唐揚げをかじられた。
別室に行くとついてこようとして、ドアを引っ掻いて大騒ぎした(これは今も)。
玄関チャイムが鳴ると、犬のように唸った(これも相変わらず)。

はじめてのちゅ〜る
(今では皿に出すか、専用スプーンを使用しています)

愛護センターに入る前、彼がどんな生活をしていたのかは知らない。
なんとなく、聞いてはいけない気がした。今となっては聞けばよかったと思う。

とにかく人間が、というより、私のことが好きで好きで仕方がないらしい。誰かに飼われていたのかもしれない。


さて、数ヶ月が過ぎたころ。
ある事件をきっかけに、私はメンタルをやられてしまった。
適応障害と診断された。のちにうつ病になる。

このとき、「死」が本当に近かった。

それまでは、どんなに精神的に追い詰められても、「学校を卒業すれば」という未来への希望が常にあった。こうして痛い目をみて学んだのだから、新しい環境では、同じ失敗をせずに済む。もっと上手くやれる、と。
そのため、自殺を考えることはなかった。

けれどもこのときは違った。

転職すればいい、と思うことはできなかった。なぜか、死にたくてたまらなかった。本当に病気だったのだ。

でも、私がいなくなったら、B氏はどうなるのだろう。
きっと私を求めて鳴きわめくに違いない。いつも、別室にいるときのように。もういない私を探し歩いて、外に出てしまうかもしれない。
自惚れではなく、本当にそうなりそうだった。

そんなかわいそうな思いはさせられない。


私は、彼の首を締めようとした。
心中しようと思ったのだ。

でも、出来なかった。
当たり前だ。出来るはずがなかった。自分の都合で他者の命を奪うなんて最低だ。
それも、こんなに私を愛してくれていて、無二の信頼を寄せてくれている相手の。


「せめてこの子が死ぬまでは、私も生きていよう」
そう決めた。


あれから3年。私は今もこうして生きている。彼のおかげだ。
猫の平均寿命からして、何事もなければ、あと10年は私も生き続ける。
それまでに結婚するなりして家族が増えなければ、きっと私も後を追う。
だからそれまで、一緒に、幸せに生きていようと思った。

最終的には、同じ骨壷で眠りたい。
家族に言ったら嫌がられたが、毎晩一緒に寝ているのだから、そうするのが自然だと思う。

実家では毎晩腕枕で寝ていた
(今の家に越してきてからは、なぜか脚の間が定位置)


ということで、実家に戻っても、今年の4月から再び一人暮らしを始めても、彼とは一緒に暮らしている。
毎日ほぼ終電で、寝るために帰っているような生活で申し訳ない。
休日も持ち帰った仕事をしていて全然構ってやれない。が、同じ空間にいさえすればいいらしい。
ぴったりとくっついて、目が合うだけで喉を鳴らし、一緒に寝転ぶときを待っている。

本当に尊い。


私の命の恩人であり、命綱でもある。

「理解のある彼くん」はいないけど、無条件で愛し愛される、本当に大切な存在だ。


最近も、死にたい、というより、何もかも投げ出したくなるときがある。

でも彼を置いて逝くわけにはいかない。

そう思うと、まだ踏みとどまっていられる。


ついさっき撮ったB氏。
持ち帰った仕事をしていると、椅子と背中のわずかな隙間に入り込んできた。尻があたたかいぜ

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