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黒人が侍になった

人種差別がないことを、明確に歴史に残した人物がいます。
織田信長です

イエズス会の宣教師が連れていた黒人奴隷を、信長が気に入り引き取りました。
奴隷にせず、弥助と名前を与え家臣にしました。部下がいる扶持もちの立派な士分です。

国の為政者が黒人に名誉を与えた。
そんな国は聞いたことありません。
人種差別を叫ぶポリコレ運動家は、織田信長の功績を世界に広めるべきです。
都合が悪いからしないでしょうけど。


日本は階級社会だとか、天皇をトップにさせてるナーガ支配との説を採用している陰謀論者もいますが、歴史を見ると天皇なんか大した扱いされてません。

織田信長の安土城に私なりの見解があります。
信長は宣教師から話をたくさん聞いてます。
カトリックの構造を学んだはずです。
安土城の最上階部分を天主閣としました。
天守ではないです。天主です。
天主(てんしゅ)は、キリスト教の神を意味する「デウス」がなまったものです。
ローマ教皇は神の声を代弁する存在で統治します。この統治システムが機能的だと考えた信長は、自分がローマ教皇のようにトップの存在となり諸国を統治しようと考えたと、私は推測します。

信長は、他の有名人と違って自分の考えを記し残しておりません。もちろん存在していて後の誰かが処分されたかもしれません。
”信長公記“なんて、わざわざ公式アカウントだと他者によりネーミングしているのが怪しいです。信長の真意は残された状況証拠で図らないとなりません。

話を戻します。
当時の天皇は天子と称されてもいました。
安土城の下層建設部分に、天皇の居住区や迎賓する場所として作ってました。つまり天皇より自分が上の存在を示してます。
この時点で、天皇が絶対的な存在ではないのが明白です。

建物で地位を明確にさせるのは、足利義満もやりました。
金閣寺です。
1階は公家風の寝殿造になっており、2階は武家造りの住居、3階は禅宗様式になってます。
つまり天皇の上に武将があり、武将の上に中華形式の統治があることを示しています。
足利義満は中国の明から日本国王の称号を得て、中国皇帝の臣下で冊封する制度を採用。
つまり天皇の統治なんて無力の証明です。

当時の天皇皇籍の威厳なんて、現代の歌舞伎役者の家系の成田屋とか、人間国宝とか、いいとこの家系レベルの扱いだったのかもしれません。
それだけ、日本は天皇による統治がなされていたというのは現在の妄想のような気もします。


話を戻します。
信長は、様々な階級を破壊しようとしました。

家格を重視する時代に秀吉を大名にしています。

カルト宗教を票田にしている現代の与党と違い、軍事力と資金力を持つ宗教組織を味方にせず、比叡山を焼き討ちにし、一向宗を叩きました。

認可権を持つ霞ヶ関の現在の官僚のように、当時の“座”は認可権を持つ利権者です。それを破って楽市楽座にしました。

朝廷なんて官位を与える名誉だけの身がない存在。信長は官位を放棄して、後の秀吉も関白や太政大臣など縁組操作して形骸化させてます。


つまり日本では、織田信長の時代で人権差別や階級社会がないことが成り立たされてます。
世界のポリコレ運動家は、日本は遅れているとか言う前に、日本の成功と失敗を参考にしてほしいものです。

某有名チャネリングのとこでは、織田信長の詳しい見解を本にしたり降霊もしてますね。
本当だったら面白いし、私が見解する歴史的な事実とも矛盾点がありません。
歴史学会の見解は、事実の決定ではなくて、見解の1つです。
どの見解を採用するのは人それぞれですけど、少なくとも人種差別や奴隷がないのは日本の特徴だと思います。

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