見出し画像

愛されるから愛する弱い生き物


愛するが先か、愛されるが先か。
愛されるから愛するのは、条件付きの愛のようで嘘臭いのでしょう。
しかし、愛されてるから愛せるのです。
弱い私たちはしょうがないです。

大抵の人は生まれてきて母親に愛されます。
母親に愛されるのが、神に愛される擬似体験になると思います。
ここの最初で試練があると、大きな問題になるのでしょう。
まずは愛される、母親でも、それに代わる父親でも養母でも施設の方でも、愛されることで愛せる人になっていくことが自然です。

生まれてきた子を愛する人も、人は人なので完全な愛にはならないでしょう。
娘だと、子どものウチは良い母親でも、成長してくると愛が乏しくなる母親が多いようです。
異性である息子の方が愛する母親が想像できます。
こういう母親は、女性である側面を使い分けるのが下手なのでしょうね。成長した娘を同じ女性として見ています。
人なのでしょうがないです。程度の差はあれ
幸か不幸か、神様だから母親になれるわけではなく、ロクでもない女性でも母親になれるのが生命の素晴らしさです。
もちろん、ロクでもない男でも父親になれます。
愛されるから愛する、弱い生き物です。


突然ですが、NHKで「フランケンシュタインの誘惑」という、科学の闇を特集する素晴らしい番組がありました。
ある回で、猿を使った「代理母実験」がありました。
生まれてすぐの子猿に、「布で作った柔らかい母猿の人形」と「哺乳瓶を取り付けた針金で作った母猿の人形」を並べ用意しました。
子猿は、乳を飲む時だけ痛い思いしながら針金の母親に行き、それ以外はずっと布の代理母に抱き着きます。実益は関係なく、心地よく愛されることを求めるのです。
しかし、ひどい実験です。

その他の実験で、突然攻撃してくる仕掛けを作った母親人形でも、子猿は泣き叫んだ後に、すぐに母親人形に抱きつきます。
たとえ虐待する母親であっても、愛されることが上なのです。肉体的な苦痛よりも、精神的な苦痛の方が耐えられないのです。


それでも、哺乳類は母親に愛されます。
爬虫類や魚類など、卵から生まれた瞬間に独立して生きなければなりません。
そう考えると不憫になります。
「卵の殻が母親の残した愛の証」、「生きていられる環境が地球の愛の証」、そうなのかもしれませんが、やはり愛されてる実感が薄いのは不憫に感じます。
レプティリアンも爬虫類系、生まれた瞬間から独立して生きるサバイバル、愛されずに愛せずに生きていくのがわかります。
今からでも遅くはありません。
彼ら彼女らが、愛されるにはどうしたらいいのでしょう。考えるのですが、なかなか思いつきません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?