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子育ての干渉は、「キモい」バランス


私は野生動物のテレビ番組をよく見ます。
親鳥は巣でヒナを育て、成長に従って羽ばたきをして見せて、子供に飛び方を教えます。
肉食動物は子供を従えながら狩りに出かけ、狩りの見本を見せながら、弱らせてから子供に咬ませたりして、子供に狩りの仕方を教えます。
自然な行為として、子供に教えます。
子供に干渉するのが、自然な営みです。

最近の社会では、いつの間にか、子供を見守るのが最善の考え方であることが浸透してきました。
それ以前は、子供に干渉しすぎが問題と言われたからでしょうが、極端から極端に反動で動いてます。
今や、子供に口出す親は、毒親と言われる時代になってしまいました。

子供への干渉はバランスです。
子供の顔色を見れば、納得しているのか不自由さを感じてるのか、分かるはずです。
子育てを語る誰かの話を聞き、見守る見守ると口に出さないようにするのがストレスになれば、これまた本末転倒になってしまいます。
あなたの子供を知らない人の意見よりも、自分の子供のことをよく知っているあなたが子供をよく見れば、バランスがどこなのか分かると思います。

子供って、影響されます。
自主性もなにも、自分で考える材料が圧倒的に少ないのが子供です。
無い材料で考えても、自分の考えが作れません。
なので、周りの影響がどんどん本人を作り上げていきます。
親が干渉してなければ、学校での周りの子の影響をモロに受けていきます。
今の少なくない子が、普通に親に「死ね」って言いますよ。
「おはよう」って気軽に言うくらい、日常会話で気軽に「死ね」って言いますよ。
ちょっと程度が下がっても、気軽に「キモっ」って言いますよ。
学校内で「死ね」「キモい」のハードルは低すぎですよ。
ちょっとしたことで傷つくくせに、簡単に人を傷つけることを言います。
親がブレーキしないと転げ落ちます。
子供だからしょうがないと干渉から逃げてると、いろんなことにハードル低いまま成長して大人になりますよ。
干渉しすぎも問題だけど、干渉しなさすぎも問題だと思います。
私は子供に、気軽に「死ね」って言わない人へと干渉しています。

干渉バランスはそれぞれですし、そのバランス通りの人に成長すると思います。
そのバランスは外の意見でなく自分で計らないとなりません。
そのバランスの取り方は、子供が生まれてからすぐに始まります。
私が乳児の子育てをする数年前、子供を抱っこをしてはいけませんという教育論が流行りました。親に依存して甘えてしまい独立心が育たないとのことです。
これをまともに受け止め、多くの乳児がベビーベットで孤独に泣き叫び、疲れて泣き止む我が子を見て独立心が育っていると思ったそうです。
これは狂気です。ほんの数年前に流行った本当のことですよ。
割礼が流行った時期もありました。物心ついた学童を手術台に乗せて、我が子のためと気がふれてる1部の医療界に従った親もいます。
自分で計らないと、子供を守れません。

モノを話せない赤ちゃんでさえ、顔色でいろいろ訴えてきますよね。
お腹空いたとオムツ変えてと眠いは、全部泣き声が違いますよね。
これって文章化できないから、外への情報化は出来ず、だからそれぞれが察知することですよね。
自分で計らないと、子供を守れません。


親ガチャとか毒親とかの言葉が流行るくらい、親の悪影響の問題が多いのでしょう。
親だって、誰しも元・子供です。みんな未熟なんです。
子供は周りの影響受けるように、親も周りの意見の影響受けます。
子供の自主性が大事なように、親も自主的な干渉バランスが大事です。

子供に干渉しすぎるのが毒親なのではなく、毒親は子供に干渉するべきではないだけです。
子供の気持ちを尊重しながらする親の干渉は、むしろ子供が望むことです。
あなたも、アシュタールさんなど高次元の方には干渉して欲しいでしょう?
干渉の是非ではなく、どんな干渉か、お互いを尊重した干渉であればいいと私は思います。


コメント欄での子育て話から、ここまで書いてしまった記事です。
子育ては現世での最難度のウチの一つです。
もちろん、被・子育て(子育てされた皆んなにある子供の経験)も同様です。
だから一言で言えない、一つの見方の考えです。

最後に。上から目線で子育て論がしたいのではないです。みんな大変だから、少しでもお互いに楽に子供と向き合えたら良いですねという気持ちです。

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