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心の傷から作られる者

私の身内が、外で起こった嫌なことを語り、原因である人物の批判をします。
人は、何か、誰かを悪者にしています。
自分も記事で、何かの体制や傾向を批判しています。何かを悪者にしています。

悲しいかな、人の心は何かを悪者にしないと生きていけないような世界です。
社会で受けたストレスを、心の内に溜めていくのも良くありません。
悪口はデトックス、心の解毒をしているとも言えるので、発散の一種になるのでしょう。
人の悪口を言えない人は、自分がこうだからダメだと、自分を悪者にしています。
心の自傷行為をしています。自分を虐待しています。

そんなアンチテーゼとしてスピリチャルでは、あなたは悪くない、そんな考えをしてしまう3次元の思考という概念を悪者にしています。
とうとう、概念まで悪者にしています。
自分を悪者にすることを回避するために、思考を悪者にしています。

そんな舞台である地球を、3次元の地球人を悪者にしています。
チャネリング情報により、あまり地球人を悪者にしないために、そんな地球人にしたレプティリアンを悪者にしています。
そして、そんなレプティリアンを受け入れた地球を悪者にしています。
もう地球の存在を悪者にして、そんな世を作った絶対無限の存在を悪者にしているようなものです。

自分の心の傷は、巡り巡って、宇宙の中心から宇宙の果ての果てまでも悪者にしています。
苦しい心の傷のために、何処か、何か、誰かを悪者にしています。
自分の傷を癒すために、傷ついた誰かを救うために、悪者を作ります。

もう傷があったままでいいのでしょう。
傷に耐えるのは、心の自傷行為で自分を悪者にしています。
ただ傷がある。悪者はどこにも作らない。
愛を持って悪者を見る、などと考えるから傷がうずきます。
愛を持たない悪者を作ります。
愛を持たない自分を悪者にします。
愛を持っても、愛が足りない自分を悪者にします。
愛が足りても、世界が満ち足りない何かを悪者にします。
世界が満ち足りても、満ち足りてしまった完全さに何か悪者を探してしまうような気がします。

愛が溢れる世界じゃないと悪者がいるのであれば、そんな世界は難しいでしょう。
傷を傷だとする限り、愛もなければ悪者も消えません。
傷だらけの人生であるのは、製材したツルツルの木材よりも、樹皮のそのままにした素朴な風合いの樹木の方が美しいようなものです。

傷は痛いです。
その痛点神経がバカになるほどバカになれば悪者は消えます。
自分は馬鹿だと言う人ほど賢くて、悪者を探してしまいます。
自分が賢いと言ってる人ほどバカなので、痛点が消えるでしょう。
宇宙に叫びましょう!、「私は賢い!」(←バカ)



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