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口論から考える、生きる姿勢と、本当の愛。(前編)

昨日は朝から夕方まで気分よく過ごせていた。
しかし、夕方パートナー氏が帰宅してから事情は一変した。

パートナー氏は夕方にランニングを日課にしようとしている。
一方、私はウォーキングを日課にしようとしている。
それで少し前に、「夜ご飯前の時間は、お互いの好きなエクササイズを、各自でやろう」ということになった。
しかし。
私がウォーキングに行こうとしたら、パートナー氏は「僕も一緒に行く」と言った。
正直、(ゲッ。マジ?ついて来るなよ〜!)と思った。なぜなら、私は好きなYoutubeを聴きながらウォーキングをしようと考えており、それ用にプレイリストを作って準備し、この時間を楽しみにしていたから。
そんな私の空気を敏感に察知したパートナー氏は「僕と一緒に行くの嫌なんだ。嫌なんでしょう?」と、機嫌を損ねつつ言ってきた。

今これを書きながら思ったが、以前の記事に書いたように「本音に正直に生きる。相手にどう思われようと!」と覚悟を決めたのだから、この時点で爽やかに、「あ、分かった?そうなの、私一人で歩きたいの💖」と言えば良かったのかもしれない。

残念ながら、昨日の夕方の時点では上記のことに気づかなかったので、「いや、そう言うわけじゃないけど。ほらあなた、すぐお腹空くから、一緒だと長く歩けないなーと思っただけ」と誤魔化した。
その結果、彼はついてきて、一緒にウォーキングをした。

途中までは、(どうでもいい)TVドラマの話などをして、つつがなく過ごしていた。側から見たら、仲良さそうにウォーキングするカップルに見えただろう。
しかし、事件は階段で起きた。

この階段は長めなので、トレーニングのために駆け上がって、駆け降りて、を繰り返す人たちがいる。昨日も数人、駆け上がったり、駆け降りたりしていた。
それを見て私は、「私に遠慮しないで、駆け上がっていいよ。トレーニングを日課にしたいんでしょ?」と言った。
彼は「バッグを持ってるから無理」と言うので、「持ってあげるよ」と、バッグを受け取った。
彼はダッシュで階段を駆け上がり、一番上に辿り着くと、くるりと向きを変え駆け降りてきた。
階段の一番下に着いた彼は、「もうダメー」という感じの表情で、首を少し傾げ、息を荒げて立ち尽くしていた。
階段の両サイドには緑の木々が生い茂っている。
まるで、めっちゃ疲れて汗が吹き出しているコダマのようである。
それを見て、私は吹き出してしまった。
単純に面白い光景だったから。
しかし、これが彼の気に触ったらしい。
「なんで笑うの!?」と、やや不機嫌言った。
そんなふうにムキになっているのが更におかしくて、「いや、だって・・・😂」と、私は更に笑ってしまった。
すると彼は超不機嫌になり、怒り出した。
「パートナーだったら、バカにするべきではない!『頑張って!』とか『すごい頑張ってるね!続けたらもっと楽々できるようになるよ!』とか励ますべきだ!」
「リサもやってみればいい。ほら、早く!1段飛ばしで駆け上がりなよ!」と言ってきた。
(マジでめんどくさい上にウザい奴だな、コイツ。6歳児かよ。ここは小学校かよ)と思ったが、言うと更に面倒なことになるので、しばらく黙っていた。
そして、「なぜ彼はこんなにプリプリ怒るのか?」「私は今、どんな感情を感じているか?本音はどう思っているか?」について、黙って自己対話をした。

彼もしばらく黙っていたが、吐き捨てるようにこう言った。
「僕じゃなくて、もっと鍛えらえた男を選べばいいだろ!」
それを聞いて、(きっと彼は、最近運動不足で体力が落ちており、自分のベストな体型より少し緩んだ体型になっているのが自分で気に入らず、怒ってるのかもなぁ)と思った。
私自身を振り返ってみても、誰かの反応で気分を害する時は大抵、自分の中で受け入れられていなかったり、許せていない自分を指摘された時だから。
それで私は、「笑ったのは、単純になんか面白かったからであり、バカにするつもりで笑ったのではない」と静かに説明した。
そして、「あなたが『バカにされた!』と異常に反応するのは、自分の中に何か理由があるんじゃないの?」と付け加えた。
すると彼は、「バカにされることに対してのトラウマはない。誰かに笑われてバカにされたと感じて不快になるのは、僕だけではない。実際、リサの友達にだって、そういう人がいたと、前に言ってたじゃないか。リサ自身だって、例えばリサが作った料理を僕が笑ったら不快に感じるハズだ。つまり、これは僕だけの問題ではない。多くの人が感じることだ」と言ってきた。
それを聞いて私は、(この人のこういう部分が、『私と決定的に合わない、生きる姿勢が違うのではないか?』と感じているところなのかもなぁ)としみじみ思った。
と言うのは、私の生きる姿勢からすると、「自分だけの問題ではない。多くの人もそう感じることだ」と言うのは、この上なく、超絶どうでもいいことだから。
それどころか、「みんながこうだから、どーのこーの」という思考は、私が最も嫌悪することだ
要するにそれは他人軸であり、「だから何だよ?」である。

「周りの人がどうかなんて、どうでもいいんだよ!
自分はどう生きたいのか?
自分はどう在りたいのか?
自分は自分とどう向き合って生きていくのか?って話なんだよ!
それ以外のことは全く重要じゃないんだよ!
『周りの人もやってるから、これでいい』とかそう言うことじゃないんだよ!」

そう叫びたい気持ちを、私はグッと飲み込んだ。

(長くなったので、続きは後編へ)


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