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迷いなくすべてをさらけ出し、自分軸で表現する

金原ひとみさんの『パリの砂漠、東京の蜃気楼』を、わざと少しづつ読んでいる。
ずっと読みたかった本だからじっくり味わいたいし、アメリカで日本語の紙の本を読めるのは貴重だからパッと読み終えたくないというのもある。
だから、飴玉をゆっくり舐め、たまに口から取り出して小皿に置いておき(笑)、また数日後に口に入れてゆっくり舐める、という感じで、ちょっとづつ、大切に読んでいる。

日本にいた時は当たり前に日本語の本に囲まれていたから、こんなふうに1ページづつ大事に、一行一行舐めるように本を読むなんて、しなかった。強いて記憶を辿れば、小さな子どもの頃、お気に入りの絵本を何度も繰り返し読んだ時以来だろうか。
中学、高校くらいからはむしろ、本を読む時はなるべく効率よく、スピーディーに読まなきゃと考えるようになった。速ければ速いほど良く、たくさん読むほど良い。
だけどこうして、一冊の本を大切に持ち歩き、ちょっとづつ、時間をかけてゆっくり読む体験をしていると、量ではなく質の持つ豊かさを感じる。
数少ない、本当に大好きなものを、大切に、ゆっくりと味わう。
「少しの量を、ゆっくりと」でしか味わえない豊かさというのは、確かに存在する

金原ひとみさんは、19歳の時に書いた『蛇とピアス』で芥川賞受賞。衝撃的なデビューをされた方だから当然知っていたし、なんとなく気になる存在で、彼女のインタビュー記事を読んでは「この人好きだな」と感じていた。
だが、しかし。
好きなくせに、実は彼女の本は一冊も読んだことがなかった(笑)。
もちろん、何度か読んでみようと思ったことはあったが、その度になぜか怖気づいてしまい、読まずにきたのだ。
だからこの『パリの砂漠、東京の蜃気楼』は、私にとって最初に読む金原ひとみさんの本。
2020年にハードカバーで出版された時から読みたいと思っていた。なぜなら、この本は彼女の初のエッセイ集であり、私はエッセイを読むのが好きだから。

冒頭に書いたように、あえてゆっくり読んでいるので、まだ三分の一くらいしか読み終わっていない。
しかしさすがは若干20歳で芥川賞を受賞した作家である。作家が本業ではないフランス在住の著名人が書いている、「おフランスでの私のお洒落な毎日」的なエッセイとは比べ物にならない。本書はまるで短編小説のよう。
内容も、よくある「私のキラキラ、素敵なおパリの日々」とは真逆。フランス生活の不便さへの文句や、彼女が抱える底なし沼のような深い憂鬱さがひたすらに綴られている。
個人的に、「この人やっぱり最高だな。好きだな」と感じたのは、次の一説を読んだ時。

後日ルーターを取り替えに来たクロエは、(中略)やっぱりテレビの受信器の方が壊れていたようだから交換するわと言い、まだ埃がある、もっと掃除に力を入れた方がいいわできないようなら家事代行を紹介してもいい、(中略)自信に満ちた態度で身振りを交えてしつこく文句を言いながら受信器を段ボールに詰め、長い爪で苦労しながらガムテープを貼った。
この程度の埃で壊れる機械なんて一般に販売される代物じゃねえよと思いながらやる気のない態度で「Ah bon.(あ、そう)」を繰り返し受け流す。

金原ひとみ『パリの砂漠、東京の蜃気楼

少し前の記事で私は、「ネガティブな感情は悪いものではない。大切な自分の一部であり、否定せず、受け入れて認めることが大事」と書いた。
しかし、私は人が目にする場所に「そんな代物じゃねえよ」と書くことに抵抗があった。
たとえ本名を出していないブログであっても、自分の想いとして、

1.6ミリのニードルぶっ刺して痛くないわけねえだろ腐れオヤジ。

金原ひとみ『パリの砂漠、東京の蜃気楼

と書く選択肢はなかった。

たぶんそれは、私の奥底にはまだ、「そんなネガティブで汚い言葉を使ったら、周りから性格が悪いとか、キツイとか、超ネガティブとか、嫌なヤツと思われる。嫌われる」という、周りの目を気にする想いが存在していたからだろう。
そして、そんな私だから、金原さんの文章力はもちろんのこと、彼女の表現の自分軸っぷり、「周りにどう思われるかなんて知ったこっちゃねーよ」という周囲への媚なさが、なんとも気持ちよく、感動したのである。

それで思い出したのが、ニュージーランド在住の文筆家、四角大輔さんが著書の中で書かれていた以下の言葉。

一流のアーティストたちに共通すること。それは「すべてをさらけ出すこと」に対して、勇気があるだけでなくまったく迷いがないこと。

四角大輔『自由であり続けるために20代で捨てるべき50のこと

実際のところ、金原さんがエッセイで書いている内容はグチグチと陰鬱である。しかしなぜか読後感が爽快で、良質な物語を読んだ気分になるのは、彼女が「すべてをさらけ出すこと」に対してまったく迷いがなく、自分軸で書いているからだろう。
迷いなくすべてをさらけ出し、自分軸で表現する。
作品として昇華するというのは、そういうことなのかもしれない。


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