芸術は爆発だ_

常識を捨てる事が生きるというコト【書評】

岡本太郎さんといえば、自分の中では表紙のように、太陽の塔と「芸術は爆発だ」のイメージで、行動経済成長期に活躍したアーティスト、一昔前の方という印象でした。
しかし、最近スタートアップ界隈の方々が口を揃えて「自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか」という著書を薦めているので、気になって読んでみると、その発想はとても現代的で、戦後の封建的な社会に対する問題提起だけではなく、現代人にとっても参考になる1冊でした。
一言でいうと「他人の常識を気にしながら生きるのではなく、自分の信念をつらぬけ」という、今を精一杯生きるために背中を押してくれる本です。

ぼくはいつでも、あれかこれかという場合、これは自分にとってマイナスだな、危険だなと思う方を選ぶことにしている。誰だって人間は弱いし、自分が大事だから、逃げたがる。頭で考えて、いい方を選ぼうなんて思ってたら、何とかかんとか理屈をつけて安全な方に行ってしまうものなのだ。

常に人とは違う選択、行動をしてみる。これが岡本太郎の行動原則ですね。

 「いまはまだ駄目だけれど、いずれ」と絶対に言わないこと。  〝いずれ〟なんていうヤツに限って、現在の自分に責任を持っていないからだ。生きるというのは、瞬間瞬間に情熱をほとばしらせて、現在に充実することなのだから。

過去や未来ではなく今を生きる。「芸術は爆発だ」という言葉がひとり歩きしていますが、これもその瞬間に、内なるものを爆発させるという意味合いが本来の主旨みたいです。

人生うまくやろうなんて、利口ぶった考えは、誰でも考えることで、それは大変卑しい根性だと思う。繰り返して言う。世の中うまくやろうとすると、結局、人の思惑に従い、社会のベルトコンベアーの上に乗せられてしまう。一応世間体もよく、うまくはいくかもしれないが、ほんとうに生きているのではない。流されたままで生きているにすぎない。

このあたりの発想が、ベンチャー経営者や起業志向の学生に刺さりやすいようです。何よりすごいのは、高度経済成長期で、誰もが大学進学や大手思考だった時代に、危機感を持って常識を打破しようとしていた点です。
現代の若者は、特に欧米を中心にこういった発想が広がっているのは、GAFAの台頭を見ても明らかですね。

ところが、結婚は、人間の手かせ、足かせにしかならない。  結婚という形式にしばられた男と女は、たがいに協力し合うのではなく、相手の行動に反対の作用をする──こうして、たがいに、人間の可能性をつぶし合うしかない。あるいは結婚という不自由があるからという理由で、自らが自由を実現できないことの、ゴマカシにしている。  つまりは、結婚が人間を卑小な存在にしているわけだ。
結婚によって〝家〟を守るために、しきたり通り子供をつくる。それによって老後の〝保障〟を得ようなどとは、すべて卑しい感じがする。  とかく妻子があると、社会的なすべてのシステムに順応してしまう。たった一人なら、うまくいこうがいくまいが、どこで死のうが知ったことではない。思いのままの行動がとれる。  家族というシステムによって、何の保障もされていないことが、真の生きがいであると思う。だからぼくは自由に独身を通してきたのだ。

今のホリエモンが言っているような事を、団塊世代に対して言ってのけた先見性と根性は凄いなと思いました。
最近はやたらと結婚、離婚ラッシュがニュースになりますし、結婚が必ずしも正解ではなく、そう思い込もうとしている人も多い様子を見ていると、あながち言い過ぎでもないような気さえします。

相思相愛とひと口に言うが、お互いが愛しあっていると言っても、その愛の度合いは必ずしも同じとは限らない。いや、どんな二人の場合だって、いつでも愛はどちらかの方が深く、切ない。つまり、男女関係というのは、デリケートに見ていくと、いつでもどちらかの片想いなのだ。

見返りを求めたり疑うのではなく、そもそも片思いという前提によって成り立つ関係と捉えれば、なんだか気軽になりますね。

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