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底抜けポジティブだった私が変わった理由とは?

3カ月前に会社を辞めて(クビになって)、アルバイトと映画鑑賞、そして散歩をして毎日ゆっくり過ごすことが日常となってしまった社会人2年目25歳。
早く安定したい気持ちと、フリーランスとしてやっていきたい気持ちが拮抗して人生迷走真っただ中。
随時お仕事を求めてます!!!どうかご依頼お願いします!!!

仕事でライティングをしてからというもの、物書きって楽しいと思いつつ先延ばしして始められていなかったnote。ずいぶん経ってやっとはじめられました。驚きの腰の重さ!

同じような気持ちの人とか、自分ももしかしたらADHDかもしれないと感じている人が少しでも楽になれたらいいなと思って書いてます✌


なんで「性格が変わっちゃったな」って考え始めたの?ってところから

過去に囚われていることが増えたことが事の始まり。
「あの頃はもっと楽しかったな~」みたいなことを頻繁に考えてしまう。
きっと現状に満足していないからだろうなと自分でも容易に分かる。

社会人になって、特に"2社目の会社に入社してから"変化を強く感じ始めた気がする。

変化はいろいろ。
とにかく一人で思考するようになったし、人の気持ちを比較的考えられるようになった。
あんなにあった謎の自信は消えてなくなり、底抜けのポジティブではなくネガティブ交じりになったし、行動力は減退したし…etc.
みんなこんなもんなの???

久しぶりに会った友人には「変わってないね」と言われるから、きっと根本的な性格は変っていないのだろう。
でもどこか生きるのがつらくなった。

今から前に進むためにもこの変化の理由を知りたい。

学生時代

大学生までの私は底抜けにポジティブで、思いついたやりたいことを速攻やる衝動の塊人間だった。弾丸でタイに行ってみたり、トリプルワークしてみたり、20万近くするギターを購入したり…。
気が進まない課題提出やらプレゼン準備は締切直前になることがほとんど、講義もアルバイトもしょっちゅう遅れる、自分はなんて怠け者なんだと感じる大学生活を送っていた。

しかし、そんな日常に特にストレスを感じることもなく(友人や同僚には多大なストレスを与えていただろう…すまない…)むしろ「毎日何もかも楽しい~!!みんな大好き~!!」ってハッピーに生きていた。

就職活動では、将来バリキャリになって成長して稼ぎまくるんだと意気込んでいた。
前述したようなギリギリ生活の失敗経験が多いゆえの「私なんて大手は無理だろう」(間違いない)という自己評価の低さ、一般企業の選考段階の多さへの面倒くささから、選考のハードルが低めのベンチャー企業を中心に応募した。

社会に出てみて

そうして無事志望していたベンチャー企業に入ることが出来た。
「この入社は間違いだった」の流れにも入ることはできるが、ここでの営業の仕事も、職場の人間関係もめちゃくちゃに楽しかったので、全然間違えたとは思っていない。

この会社は4カ月で辞めた。
私が辞めるころには15人程いた同期は3、4人になっていた(笑)
激務であったが、不特定多数の人と話せることが性に合っており、楽しいと感じていた。

しかし、目先の利益至上主義の会社の在り方や、自らも成長できないことに不安を感じるようになって退職を決意した。

その後しばらく一人旅などをした後、やっぱり楽しそうな会社に入社したいと前職に懲りずに2社目もベンチャー企業に入社した。

最終的に入社7カ月ほどでクビにはなったが、そのクビ自体も会社の代表が社員一人一人を人間として見ている会社だからこそのクビで、幸せに生きてほしいと願いを込めての行動だと今でも私は信じている。
1年もいなかったが、そのことが全面的に伝わる会社だった。
ここでの人との出会いが私を大きく変えたし、成長の機会であったように思える。

この会社への入社した後、人間的に成長したと言われることが増えた。
さまざまなことを学べた。滅茶苦茶だった私の行動もかなり改善した。

しかし致命的な時間の感覚のズレ(納期を守る・遅刻しないなど)や、耳から入った情報を正しく理解すること、人の気持ちを推し量ることに関して、試行錯誤していても飛躍的な改善が難しかった。
「なんでできないんだ!!」と自分自身に腹が立った。

学生の時から傾向があった発達障害の苦手とすること満載な職に就いたことで二進も三進もいかなくなり、「これを治せるなら」と藁にも縋る思いで心療内科に行くと「ADHDの傾向アリ」と難なく診断が出た。

オープンな会社であったため、そのことを会社に伝えた。
良くも悪くも今まで通り接してくれたが、行動すべては考え方や性格のせいだと、鬱すらも運動や気持ち次第で簡単に完治すると考える会社だったことが不幸中の不幸だった(笑)

恐らくここあたりから苦しくなった。
今まで「ADHDっぽいけど、まぁみんなそんなもんか」で済まされていたことが、正式に診断が出たことで、いよいよ「自分は不良品なんだ」という意識が強くなってしまった。
気にしすぎだと自分でも思うが、その意識が少しあるだけで何をするにも滅茶苦茶に後ろ髪をひかれてしまう。

ADHDの特性上難しいこと(ことが終わった後に気づいた)すら、一生懸命さが足りない、本気でやっていないと言及される環境で、私もそれを真に受けて100%いや、120%の自分で頑張った。
いくら努力しても失敗と否定との繰り返しで、ここで仕事が出来なかったらもうだめだ、こんな役立たずは死ぬべきだと本気で思っていた。
最終的にクビ宣告されるあたりでは、泣きながら自殺するための道具の準備をしていた。今考えると完全に鬱。

会社をクビになりかけの時に、多くの友人が「今の会社が合ってないんだよ」「きっとあなたの個性を活かせるところがあるよ」と言ってくれた。
たぶん鬱だった当時の私には、励ましの言葉が「日本社会に合ってない」「ちゃんと仕事を探せ」と聞こえてより落ち込んだ。
めんどくせぇやつだ。

そうして死のうと思っていた日にクビ宣告され、やけくそになった私は「実は今日自殺しようと思っていた」と告白し、代表との面談が設けられた。

怒られた。死ぬことだけは選ぶなと。
まるで両親に言われているような気持ちになった。
(それだけ追い込んどいて無責任な…と思うかもしれないが、本人のことを本気で考えるからこそ真剣に指導する昭和スタイルだと理解していただきたい)

そのあと今後どうしていくか、私は何が向いているのか一緒に考えてもらった。
結果として、何かしらの職人が良いのではと、レザー製品を作る職人にんることにたどり着いた。

突拍子もない進路だ。
だが今までの職探しで感じたことがないくらい、とんでもなくしっくりくる。

実際就職の際に、メーカーなどモノづくりに関わる道は考えたし、いくつか応募もしていた覚えがある。
でも実際に自らの手でモノを作る「職人」はハードルが高そうに見えて、避けてきた。
実際にやってみないと分からないよねということで、コツコツやっているのが今だ。

社会人2年目

フリーターになって収入は以前の半分くらいになった。
普通に働いている人が輝いて羨ましく見える。
お仕事をいただく予定の会社からのレスポンスが来ない。
来月破産するかもしれない。
今までに感じることのなかったしんどいこと尽くしだ。

でも自立するってこういうことなんだろうなとも考えられるようになった。
やっと同世代が学生時代にすでに考えていることにたどり着いた気がする。
私はつくづくまだ幼いし、未熟だと気づいた。
今書いているようなことを学生時代は考えもしなかった。

成長のプロセスを同世代と比べて少しのんびり進んでいるんだろう。
今までの経験上、こんなこと考えると、ただの甘えでしょって言われるような気がして、気が気ではない。
自分が持っているものを活かせる場所を探しながら、藻掻きながら生きていくしかない。人間そんなもの、とどこかの大先輩が言っていた。

何ができるできないとか、ADHDのせいにはしたくないけど、普通よりも時間がかかることもあり、普通よりも得意なこともある。
ただの得意不得意の凹凸が激しめな個性だと考えると少し楽になる気がする。

幸い、まだいろいろな人がご縁を繋いでくれていて一人ではないと感じさせてくれている。
そこに頼ることを躊躇していたら、「~歳でもまだみんなに助けてもらっているから頼っていいと思うよ」って背中を押してくれる人もいる。
身近なしんどいことで、ありがたい環境にいることを忘れてしまいがちだが、これを書いていてまた気づくことが出来た。

救いを待っているだけでは何も変えられないし、とにかく自分を信じてあげて、ひたすら動くしかない。
まだまだこれから不安しかないけれども、私のような人間も何とか生きられるぞと後世の支えになれるような生き方をしたい。

とりあえず、今からなにかしら行動することだけはここに約束して(そうじゃないと一生やらない☺)閉じます✌

読んでくれてありがとう!!!

メッセージなどお待ちしております!!

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MAIL: yumaropippi5260@gmail.com


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