がんだった私に周りの人が贈ってくれた「前向きことば語録」
13歳でがん( 骨肉腫 )になり、ぶじに完治。
片腕不自由ながらも今日も元気に生きています。
がんについて発信をはじめると、
なぜ病気になっても前向きに過ごせたのかと
聞かれることがあります。
自分なりにいろいろと思い返してみたところ、
「あの人に言われたこんな言葉が
いまでもこころに残っているなあ」
というエピソードがいくつか出てきたので、
“前向きことば語録”としてまとめてみました。
①「ぼくらみたいなおじさんは
髪が抜けたらもう生えないけど、
ユキちゃんはすぐ生えるから大丈夫!」
すこし自虐をまじえたこの言葉は、
抗がん剤の副作用で髪が抜けてしまうことに対し
励ます意でお医者さんが言ってくれたものです。
担当の先生はどこか絶妙にゆるい空気感があり、
いつもほがらかに私と関わってくれていました。
病気という、つらく緊迫しがちな話題を
あえて冗談もまじえて明るく話してくれたことで
入院中も笑顔でいられることができました。
( ちなみに髪は1年ぐらいで元に戻りました )
②「将来の結婚相手が
傷跡を悪く言うような人だったら、
こっちから願い下げすればいいんだよ」
腫瘍を摘出するというおおきな手術を経て、
肩の変形や手術跡がのこった私に
お医者さんがかけてくれた言葉です。
正直手術によるからだの変化の実感もまだなく、
なにより中学生の私にいきなり結婚の話…??
と不意をつかれたのをおぼえています。笑
でも、その言葉で何も心配しなくていいんだと
ちいさな自信がふんわりと沸いてきました。
そもそも病気になったのも
障害がのこったのもぜんぶ私のせいじゃないし、
私は悪くないのだから堂々としていよう
という心持ちになれたのは
この言葉のおかげなのかなと思います。
③「検査をして、がんがはっきり分かったよ。
だから、大丈夫」
入院してすぐ、骨肉腫かどうかを確かめるために
生体検査*をしたときに言われた言葉です。
(*医学的な知識がないので誤りがあるかもです)
がんに罹患してしまったのに「大丈夫」?
と最初は思っていました。
でも、がんを早くに見つけられたというのは
すごく運の良いことで、
その事実に気付けたということは
自分の身に起きてしまったことを認めて
向き合うための一歩になると分かりました。
ちなみに、抗がん剤と手術をぶじに終えた後も
「がんはユキちゃんの体から無くなったから、
もう大丈夫だよ」と言われました。
だいじょうぶ、と誰かから言ってもらえるだけで
こんなにも安心感が生まれるんだと実感した
ふたつの言葉でした。
私も「大丈夫」という言葉で
誰かを安心させてあげられる人になりたいです。
④「それで、今日ずっと
泣きそうな顔をしてたんだね」
手術が終わり、退院の話も出ていたときに
傷口が化膿してしまい入院が延長になりました。
そのとき中2だった私は院内学級*に通っており
(*入院している子が通う病院内の学校)、
その日の授業のいちばん最後に
担任の先生に退院が延びたことを伝えました。
先生にその言葉を言われたとき、はじめて
「あ、わたし悲しかったんだ」と意識しました。
つらいことがあると、自分でも気付かないうちに
感情を抑え込んでしまうことがあります。
まわりの人からそう言われたことで、
自覚していなかった自分の感情に驚くと同時に
悲しいときは悲しい顔をしてもいいのかなと
思うことができました。
⑤「人は人」
これは病気に対しての言葉ではありませんが、
母がよく私に言っていたことです。
私が友達のことを羨ましがったりすると、
「よそはよそ、うちはうち」とよく言われました。
わがやはすこしだけ変わった家族だったので、
ポジティブな意味でこう言っていたわけでは
ないのかなとは思っています。
でも、「人と同じでなくていい」という考え方は
私によい影響をたくさん与えてくれました。
持つものも、見た目も、何を大切に生きるかも
人とちがって当たり前と思えるだけで
なんとなく生きやすくなるのかなと思います。
そう考えると、親・家族に感謝です ◡̈
家族について書いたお話はこちらです⇣
⊹ ⊹ ⊹
今回は私がこれまでに関わった
お医者さん、学校の先生、そして家族から
受け取ったことばについてまとめてみました。
なにげない言葉が、
ある人のこころにずっと残ることもある。
そう考えると、わたしもふだん使う言葉を
より大切にしていきたいなと思いました。
おーなり由子さんの「ことばのかたち」の中に
あるような、お花のようなことばを
誰かに届けられるような人になりたいたいです𓆸
読んでいただきありがとうございました ⚘*
がんと傷跡について書いたお話⇣
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