見出し画像

わたしの小さなお城

自分に自信がなく(いまでも別にあるわけではありませんが)、おどおどとした子どもだったと思います。そんな自分が嫌いでした。
自己肯定感も低く、「わたしなんか」とよくいじけていました。

わたしがなぜそんなに自己肯定感が低すぎたかというと、親の教育が厳しすぎたせいです。

わたしの親には理想の子ども像があって、わたしは小さな頃からそれを押し付けられてきました。

「勉強はできなきゃダメ、ダメというよりもできて当たり前」
「頭のいい子がいい」
「将来は、自分たちと同じ公務員か、学校の教師に」


両親には、そんな理想がありました。


わたし自身のことは、ちっとも見てもらえませんでした。

小さな頃から絵を描くのが好きで、芸術に興味があったわたし。
読書が好きで、ファンタジーや小説の世界に入り込んでいたわたし。
手を動かして何かをつくるのが好きで、ファッションにも興味を持っていたわたし。

堅実で現実的な両親とわたしは、少し違っていました。
頭の中の空想に浸るのが好きでした。


美術留学してた時に描いた絵

わたしが生まれ育った地域は、日本の中でも平均的な感覚の人が多いらしく、よくモニターとして選ばれていました。新製品が発売前にお店に並ぶのです。

「変わってる」とわたしはよくいじめられていました。

小学校一年生の時のホームルームで、絵を描く時間があって、その場所にないリスや木々や花を描いたら「この場所にないものを描くのはおかしい」とクラスメイトたちに散々言われました。

(なんでその場所にないものを描いちゃいけないの?)
わたしは自分がどうして責められているかわからなくて泣きました。

それでも、わたしの描く絵は大人うけはとてもよくて、町内コンクールで賞をもらって、その上のコンクールに進むこともありました。

そういうのが気に食わないクラスメイトによくいじめられましたし、意地悪もされました。


ある日、誰かが「絵画コンテストをクラスでやろう!」と言い出しました。
わたしは張り切って絵を描きました。自分の絵です。

周囲の様子が少しおかしいことに、しばらくして気づきました。

周りの子はみんな、スヌーピーやドラえもんを描いています。
スヌーピーやドラえもんは、自分の絵ではありません。
スヌーピーはシュルツのキャラクターだし、ドラえもんは藤子先生のキャラクターです。オリジナルの創作ではありません。

示し合わせたのでしょう、ほとんどの生徒が自分の絵を描いてませんでした。

その日のコンテストは、その中でいちばんうまくスヌーピーを描いた子に与えられました。
悔しくて何か言ったような気がします(たまにわたしは、自分でも恐ろしいほどの気の強さ、負けん気を発揮するのです)。

「負けて悔しい、けど、こんなのは本当のクリエイションじゃない」

子どものくせに、そんなことを言ったと思います。
ずるいクラスメイトが本当に嫌でした。


両親はというと、わたしのテストの点数のことしか気にしません。
通知表の数字とテストの点数でわたしの全てを計るのです。

そんなわたしには、学校にも家にも、息ができる場所がありませんでした。
わたしは自分の部屋を欲しがりました。


小学校高学年に上がるにつれ、本の趣味が合う友人ができました。
マンガの貸し借りをしたり、音楽の話をする友人が少し、できました。

中学に入学して、彼女たちとはもっと仲良くなりました。
実家も建て替えて、自分の部屋ができました。


わたしは好きな本や音楽、お菓子のパッケージなどを集めて
少しずつお城をつくっていきました。
自分の好きなものだけがある、自分だけのお城です。


砂浜で貝がらや石ころを集めるように

親は相変わらず、わたしに付随する数字しか見ません。
学校でも浮いていました。

数少ない友人との趣味の話、そして本や音楽やいくつかのテレビコマーシャル、飼ってる三毛猫、遠く離れた場所に住むボーイフレンドだけが、高校生になったわたしの心の支えでした。

自分の意見を親に伝えても、全く耳を貸してくれないので、わたしはいつの間にか何かを人に伝えることをあきらめるようになりました。
わたし自身のことは親が決めていました。
例えば、進路。
高校2年生の頃、親の理想を押し付けられ、理系に進みました。

小学生の頃から国語の教科書が大好きで、配られると暗唱するぐらい読み込んでいた女の子に、どうして理系への進学を勧めるのか。
わたしは数学の美しさもよくわからないし、理科の専門的な面白さもよくわからなかったのに、理系に進んで案の定、選択科目で赤点を取りました。

赤点を取って帰ってきたわたしを親は怒鳴り散らしました。努力が足りないというのです。
おかげで高校3年時は文転することができました。国語の成績や古文の成績だけは相変わらず良くて、古文では学年1位の成績を取りました。

でもわたしが本当に学びたいのは、「芸術」でした。
絵を描いたり何かを創作したりすることを、あきらめたくなかったのです。

親に、
「お母さん、お父さん、わたし、美術大学行きたい」
と伝えました。

「何言ってるの。趣味にかけるお金なんてありません」

そんな一言で一蹴されました。


学校は、相変わらず怖かったです。
田舎でストレスの捌け口がない進学高に進んだわたしは、「変わってるから」「悪目立ちするから」という理由で、いじめに遭っていました。
掃除当番を、ジャンケンで負けて(みんな示し合わせていたようです)、一人でやらされていました。
いつもポツンと一人で昼食を食べているわたしに、副担任の教員は「お前、自殺したらどうだ」と言いました。

そんな不安や黒い気持ちだけが積もっていく胸の内を誰かに吐き出すこともできず、一人で苦しんでいました。
学校が違う親友や幼馴染じみがいて、彼女たちの隣だけがわたしが少し呼吸できる場所でした。


テレビコマーシャルに出てくる黄色い世界の小さなお猿さんを見つめながら、かわいいな、これを作った人は男の人かな女の人かな、どんな人がこんなかわいくて平和な世界を作ったのかな、いつかその人に会えるかな、生き延びて高校卒業して上京したら、いつかその人に会えるかな、そんなことを目を閉じて、祈るように涙をこぼす日々を送っていました。

甘くておいしいおやつも、テレビコマーシャルのかわいい世界も、ロックンロールの音楽や優しい人しか出てこない小説も、ぜんぶわたしの味方でした。

誰かが作ってくれた素敵な、心温まる何かがあったから、わたしはいままで生きてこられたのです。

人生で2回目のクラウドファンディングに挑戦中です。応援してくださったら、ページを見てくださるだけでもとても嬉しいです!



見に来てくださって、どうもありがとうございます。スキボタン、フォローどうもありがとうございます。 うれしいです。 サポートしていただけるなんてまるで夢のようなできごとです。サポートは次のnoteのエネルギー源に変換します。大事に、本当に大事に使わせていただきますね(⁎˃ᴗ˂⁎)