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自分のことばっかり私に話してた母。

もう70を越えた母、家の片付けをしています。私が実家に残してきたノートや成績表など、断捨離してくれています。


小学1年生の夏休みの絵日記。

小学4年生のときの毎日書いてた作文。

中学3年間の成績表、など。


私が子どものとき、母は私をほめませんでした。ほめられた記憶はほぼありません。

何を報告しても、「お母さんがあんたの年のころは・・・」と言う話を聞かされていた記憶があります。

母は昔、「とっても勉強ができてスポーツ万能で明るいおてんば娘だった」とか。
「あれもできて、これもできて・・・」、うんぬんかんぬん。


私も子どもなりにちょっとクールなところがありまして、ほぼ聞き流していました。母の子ども時代のことは興味もなかったというか。

母には私がまともに聞いていないのが伝わっていたんでしょう、自分が優秀だったアピールを何度も繰り返し聞かされていました。

そう思えて幸せよねー、私は私でやってるけどねー、と右から左へ聞き流す。


だからといって、決して気分が良いものでも、楽しいものでもなく、やがて母には、自分の勉強のことも将来のことも学校のことも相談しませんし、成績も自分から報告することもしなくなりました。


私も母になり、息子たちに、「お母さんは昔めっちゃ○○やって・・・」という話はしないでおこうと決めてました。

子どもとの会話では、私の話じゃなく、子どもの話をしようと。


ある意味、反面教師というものです。


かといって、決して母をばかにしてたわけでもなく、その点、無意味な対抗心も反抗心も八つ当たりもせず、すくすく明るく楽しく成長してきたわけです。

自分の価値観をわりと早くから確立していたもかもしれません。誰かと自分を比べることにあまり興味がないというか。

後でわかりましたが、母は自信がなくオロオロするタイプで、私は自信ありげに落ち着いて振る舞えるタイプ。だから母は自分のことを、長女である私にしゃべって、すごいと言ってもらいたかったんでしょうね。

もし娘である私も自信がないタイプだったら、完全に毒親です。


そんな母が今、片付けをしながら、小学・中学・高校時代の私の記録を見てるみたいで、
「すごいね、よくがんばってたね」だって。


40年近くたって、娘の成績表や作文を、やっと今、見たみたい。


小学1年生で字の整い方、文章構成。中学3年生の成績表はオール5。テストの順位はつねに全科目3位以内、全教科でなら当然のように学年1位。高校のときのテストの偏差値は常に70オーバー。

母より勉強もスポーツもできてたのでは?
なんて、誰かよりできるとかは昔から興味はないけど、たぶん当時からそうじゃないかなと気づいてたと思います。

できるという誰かと比べる価値観よりも、勉強も体を動かすのも単純に楽しかったから、がんばったねなんてほめられても変な気分だったとは思います。

ほめて欲しかったという話ではなく。


「自分のことを話せる」ことって、幸せよね。



noteがそう。
ひたすらに自分のことを好きに話せる幸せのツール。


母みたいに話せる娘がいない私にとって、自分のことを好きなように話せるnote、ありがたいです。

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