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私の仕事カタログ

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今までしてきた仕事について書いています。 職業はずっとグラフィックデザイナーでも、駆け出しの頃はなんでも屋っぽいところがあったし、それこそ子どもの頃からいろんな仕事をしてきまし… もっと読む
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着ぐるみ

単位認定試験が終わって、ちょっと肩の荷が降りたので久々に以前からのテーマを。今までしてきた仕事や、仕事らしきものについて書くマガジン。 世間は夏休みということで、今回は着ぐるみ。 一本の電話から きっかけはある日、本業でのお客様からイベントの手伝いをしてくれないか、とお誘いいただいたこと。人手が足りなくて予定が空いている人をお探しだとの由。 「イベントブースにいて欲しいのと、あと、着ぐるみに入ってもらうかもしれないです」 えっ、着ぐるみですか?と驚いたものの、とりあ

贋作づくり

今までしてきた仕事や、仕事らしきものについて書いています。 今回も前回に続き、デザイナー駆け出しの頃の話を。 ご依頼についての記事を投稿した後で、このタイトルはなんなのですが、数十年前のやるせない仕事について、諸々あまり特定できないように書いてみます。 デザイン事務所の何でも屋 最初の就職先である写植会社を辞めて行ったヨーロッパからの帰国後。 デザイナーとしてはまだたいした実績もない私は中途採用の就職活動に難航し(あの頃の女子は適当な年齢ですぐ辞めると思われてたという

ワープロで原稿を清書する。今考えると効率的なのかなんなのかよくわからないデジタル創生期の作業。

今までしてきた仕事や、仕事らしきものについて書いています。 今回はデザイナー駆け出しの頃の話。 写植屋やドイツでのアルバイトを経て、最初に入ったデザイン事務所。 まともなデザインの仕事をさせてもらえるようになるまでがちょっとした地獄でしたが(実際、絶望して退職しかけた)、イラストを描くというのが唯一の救いではありました。 イラストはあの頃の駆け出しデザイナーの仕事のひとつ。下働きが多い中で、これだけは先輩に引けを取らず勝負できる、数少ない仕事だったとも言えるかも。 毎

エキストラとウグイス嬢

今までしてきたいろんな仕事(+らしきもの)について書いています。 今回は前回の投稿で芋蔓式に思い出した、高校生の時にしなかったアルバイトについて。私の仕事カタログ番外編。 小・中学校では親戚の手伝いしかできなかったけれど、高校生になると大っぴらにアルバイトができるようになります。私の行った高校では届出制でしたが、禁じられたという話は聞きません(そもそもちゃんと届けている子も少なかったような)。友達同士でも自然と情報交換が始まります。 そこで話題に出たバイトの話。 エキ

顔を貸す

今までしてきたいろんな仕事(+らしきもの)について書いています。 今回は高校生の時の瞬間アルバイト(?)。内容はちょっと微妙なんですが、もう何十年も経っているので時効ということで。 今どきの良い子はマネしてはいけません。 少女漫画家ファンクラブにて 高校生の時、演劇部の友人と某漫画家さんのファンクラブに入っていました。会費は郵便局の定額小為替で支払い、手づくりの会報が郵便で届きます。あの頃の推し活は郵便局頼り。 そのほかの活動として時々都内で会合がありました。お花見

小さな賞金稼ぎ

今までしてきたいろんな仕事(+らしきもの)について書いています。今回は一回きりのまぼろしの小遣い稼ぎの思い出。 子どもの頃、長期休みには毎年、川崎北部にある母方の祖母の家に行って過ごしていました。同じ川崎の南部に住んでいたので1時間ちょっとで行ける場所でしたが、当時の北部は今と違って畑も多く、工業地帯にある我が家とは生活も違い、新鮮な毎日。 滞在中は近くに住む兼業農家や商売をやっている親戚宅で手伝いもしていました。 いとこがとにかく多く、年の近いいとこたちとは一緒に働い

小学生、魚屋で働く

前回の郵便局のバイトから遡って、子どもの頃の仕事第2弾のお話。 夏休みに親戚の家で養鶏の手伝いをしていたことは以前書きました。 季節が変わって、年末は伯母の家で魚屋の手伝いをするのが年中行事のようなものでした。 年末の魚屋といえば、おせちのラインナップがずらり。今はスーパーで買う人も多いと思いますが、昔はあれこれ近所の魚屋で揃えるのが普通だったような。 蛸や数の子などの普段から魚屋で扱うものはもちろん、きんとんや田作りなどあらゆるものを計ってラップをかけてパックしていき

年末年始、郵便局のアルバイト

お年玉付き年賀はがきの当選番号が発表されて、調べてみたら「11」ばかり4つ当たっていました。なんとなく縁起がいいような。 さて、この時期思い出すのが高校生の時にしていた郵便局でのアルバイト。 親戚での手伝いという名の実質アルバイトを除いて、オフィシャルなアルバイトはこの郵便局が初めてでした。外勤の配達は時給が高かったけれど、方向音痴の私が選んだのが内勤。高校の友人もなんにんか一緒に応募したので、初めての(外での)バイトも心強い。 今はもっとオートメーション化されているん

新しい形態の店舗、コンビニエンスストアで働く

ここ数ヶ月、仕事や出展などが立て込んで怒涛の日々を過ごしており、noteの投稿が止まっていました。 少し落ち着いたので、はるか昔、10代の頃に数ヶ月経験した怒涛のアルバイトについて書こうと思います。 コンビニ自体が新しかった それは高校の卒業が近づいた頃。近所に新しくできたコンビニで、デザインの専門学校入学までの期間限定で始めたアルバイト。 「コンビニエンスストア」という形態自体がまだまだ新しい頃の話です。 大昔のコンビニ創成期。 職場となったコンビニは家の近くの商店

ドイツ語も喋れないのにドイツで働く

若い頃、少しだけドイツで働いたことがあります。 そもそものきっかけは専門学校に通っていた時、仲の良かった同級生が突然学校を辞めてドイツに行ってしまったこと。 お金貯めてそのうち遊びに行くからそれまでいてよ、と言って写植屋に就職。 3年ほど勤めて稼いだお金をほぼ全て、現地の通貨とトラベラーズチェック(←懐かしい!)に替えて、会社を辞めてドイツに行きました。(この辺の話は長くなるのでまた今度) ドイツ在住の彼女の雇い主は記念コイン製作会社の経営者でした。休暇を取って一緒に

「イラストレーター10人分のイラスト」を描く

学生時代から働き始めた写植会社を辞めるという時に、お世話になっていた方からアルバイトの話をいただきました。 年賀状のイラストの仕事です。確か20点ほど描いたと思うのですが、その時のオーダーがいろんなイラストレーターが描いたようにしてくれというもの。 若手のイラストレーターへのアクセスが今ほど豊富でなかった時代だったからか、それとも単に手間の問題か。退職してドイツの友人を訪ねに行くという話をしていたので餞別代わりに声をかけてくれたのかも。 専門学校のイラストの授業でこれで

IT系の走りの会社で校正の仕事をし、突然辞める

まだ高校生の頃。卒業後夜間の専門学校に通うことになったため、昼間のアルバイトを探すことにしました。 高三の三学期はほとんど登校日もなく、卒業単位はとっくに取れていたのでほぼ毎日、フルで働くことができます。2学期の終わりに条件が高卒以上だった校正の仕事に応募しました。ウェイトレスとかお店のアルバイトより、時給が少し良かったのです。卒業予定ということを話すと面接に呼んでくれました。 アルバイトなのに入社(?)試験があった 履歴書持参で行ってみると若い男性社員が面接官でした。

FAX受信係

Twitterのトレンドに上がっていたので思い出した仕事。 “便器を100個描いた”写植屋で働いていた頃、FAXは「まだ現役」どころか、わりと画期的なマシン扱いでした。 原稿や修正指示が取りにいかなくても届くので、効率化の花形的存在。 ただし、その職場にあったFAXは後続機のような一体型ではなくて、黒電話に接続する四角っぽい機械機械した機械で自動受信はしてくれません。手動です。 かかってくると普通に受話器を取って、独特のピーーーヒョロロロロ〜ピーという音が鳴っている間

養鶏場で働く

専門学校が夜学だったせいもあり、仕事してきた年数は普通よりだいぶ長いよなあと思うことがあります(多少年上程度なら大学出の人よりキャリアが長い)。 思い起こすと子どもの頃から働いてお金を稼ぐこともしてきたので、通算するともっと、ずっと長いとも言えます。 子どもの頃働いたなんて私たちの世代なら当たり前だと思っていたけど、時々、同じ年代や年上の人と話して驚かれ、逆に驚いたりしています。皆、小遣い稼ぎ(←文字通り)というのをしなかったのか… 今日はそんなお話です。 母方の親戚