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養鶏場で働く

専門学校が夜学だったせいもあり、仕事してきた年数は普通よりだいぶ長いよなあと思うことがあります(多少年上程度なら大学出の人よりキャリアが長い)。

思い起こすと子どもの頃から働いてお金を稼ぐこともしてきたので、通算するともっと、ずっと長いとも言えます。

子どもの頃働いたなんて私たちの世代なら当たり前だと思っていたけど、時々、同じ年代や年上の人と話して驚かれ、逆に驚いたりしています。皆、小遣い稼ぎ(←文字通り)というのをしなかったのか…

今日はそんなお話です。

母方の親戚はほとんどが川崎北部に住んでいて、伯父のひとりが梨栽培と養鶏の兼業農家をしていました。今は人気の住宅地も当時は畑も多く自然がいっぱいで、マンションが立ち並んだりはしていませんでした。

私と妹が小学生の頃から毎年夏休みにアルバイトに行っていたのがその養鶏場。

時給200円。寝泊まり食事つき。私たちの家は同じ川崎でも南部の工業地帯だったので、今どきな言い方だと農村ツーリズム的な側面もあったのかも。もう少し現実的に言うと季節労働。

私たちの仕事は鶏舎に行って卵を収集し、パックに詰めるまでで、いとこたちと一緒に働きました。

集めた卵はきれいにしたあと、機械を通して、下から光を当てて中に異常がないかどうか確認します。血が混じっていたりするものはわかるのではじきますし(これは廃棄)、にこだま(卵黄がふたつ入っているもの)も特殊なので別にします。

割れ玉(ヒビが入ったもの)は中に問題がなくても輸送中に割れるので、割って中身だけにしてしまい、業務用に回したり、身内で消化したりしていたと思います。

そうして選別された卵を大きさ別にパック詰めしておしまい。

これらの作業は機械も使うし、面白くて好きだったのですが、卵の収集…これは子どもにとっては毎回わずかながら恐怖に立ち向かう仕事でした。

まず、鶏舎はとても長いトンネルのようなところでなんとなく薄暗い。両脇の横にも縦にも区切られたケージには無数の鶏。静寂とは程遠く、けたたましい声が響いています。

鶏の顔をまじまじみたことがあるでしょうか…悪人のようなとても怖い顔をしています(少なくとも子どもの私にはそう見えた)。鳥類が恐竜の子孫という話は私にはとても自然で、ジュラシックパークを観た時は養鶏場を思い出したほど。

その無数の顔が網から突き出て、勢いよく餌をついばんでいます。

そこに小さな手を出して卵を取らないといけない。

ケージは鶏が卵を産むと傾斜で手前(鶏の足元)に転がり出てくるしくみになっており、鶏のくちばしは届かないのですが、中には下の方に首を出してくる鶏もいて、わかっていてもなんとなく突っつかれそうな気がして怖いのです。無数の鶏からの圧も(勝手に)感じる…。

しかしなんとか恐怖に立ち向かい、稼いだお金は服や本、レコードなどを買うのに使っていました。

今だと児童労働とか言われちゃうのかも…と笑い話のように言っていますが、でも我が家はお小遣いからノートなどの学用品も買うルールだったので楽しみに使う余裕はあまりなく、実際とっても助かっていました。

現在アニマルウェルフェアについて農林水産省も指針を出していて、ケージも研究されているようですが(多分あの頃よりずっと改良されてるはず!)、この時の強い印象もあって、平飼い卵を買うようにしています。


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