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10年前、何してたか。その時、何を感じていたか。

最近、社内外を問わず、新社会人や2−3年目の若手、就活生の方と接する機会が増えております。学生時代は何していたか、10年前ってどんな感じでしたかと、をよく話すので、整理もかねてまとめてみます。

ちょうどコロナで、就活の成り行きや状況に不安を感じている就活生の方、在宅で少し余裕がある方、拙筆ですがどうぞ楽しんでいただければ幸いです。

さて10年前の2010年、わたしは前年から働いていたホーチミンから帰ってきたばかり。テトを待たずして帰国したので、ちょうど大学復学にむけて家を探していた頃です。

2009年、2010年は、当時の短い人生の中で、大きく価値観が変わった時期でした。それに続く2011年は、その価値観に基づいて何を自分がすべきか、方針を見定める年でした。

10年前の話の前に、それに続く2009年の話から、書きたいと思います。ちょっと長くなりそうなので、2-3回に分けて。今回は、ベトナムに行くまで話をします。

2009年どんな生活をしていたか。何を感じていたか。
そろそろ2回生も後半という秋冬ごろから、このままいくと夏前ごろから「就活」。なんか漠然と不安しかない。同級生が休みに海外、語学・交換留学行って、英語・中国語を話せるようになってきて「将来は海外で働きたい」「英語を使う仕事がしたい」と話しているのを聞いて、いよいよ焦る。

就活本を当たり、教授・先輩に話を聞いたあとで、「絶対にこのままだと就活、失敗する」という確信に変わった。ポジティブな確信ならよかったのですが。

とにかく学生でお金がなくて、地方都市で稼げるバイトは少なく、塾講師を1日8コマを連日という感じで、ちょっとずつ生活費とバランスしながら貯金。人に教えるのは好きだな、苦じゃないと感じていたので、小学生から高校生、数学3C/物理/科学以外はキャッチアップして教えていました。

当時の自分からすると奨学金もらって大学に来て、さらに留学に行くカネはない!と思っていたので、留学はそもそも選択肢になかった。その時に、AIESECさん経由でインターンに行くという、友人の話を聞いて、働く経験を積める、稼げる、海外でとピタッと自らの条件にはまったので、休学を即決しました。

1年の休学手続きをして、2009年春から、ひとりでホーチミンに行きました。

なぜホーチミンだったか。
結論から言うと、そこにしか仕事が無かったから。もう一つ、経済が発展する、豊かになることを五感で体感したかったから。

2009年明けは前年発生のリーマンショック真っただ中でした。当時、財務・管理会計を学んでいたので、シンガポールや香港の会計事務所や投資銀行でのインターンに、淡い期待をしていました。

大手投資銀行でインターンと淡い期待を持っていましたが、しがない地方大学の一学生は、全く相手にされませんでした。レジュメ送る、お断りの返信来る、返信来るならまだいい。ここまでか、と悔しかったのを覚えています。「仕方ない、世界的な金融危機」と理由付けをしましたが、ちゃんとそこにインターンに行ける人はいるので。

やっと香港とシンガポールの小さな会計事務所からオファーの回答が来たのですが、どちらも2-3週間後に連絡頻度へったなと思っていたら、一個は事務所がなくなり、一個はインターン受入れどころではないと断られました。4月から休学。焦る一方でした。憧れだけでは、何ともならない。地道に努力せねばと痛感しました。

次どうしようか。ベトナムのオープンポジションを調べました。

理由は、卒論テーマ探しで社会主義の国について調べていたとき、思い立ったから。学部専攻は、国際政治・関係学で紛争解決・和平プロセスの研究をしていました。休学を決める以前は、3回生から始まる卒論執筆のテーマ探しで、紛争地域に流入する武器、ロジスティクス、軍需市場について調べていました。

80-90年代まで社会主義をとっていた国では、体制崩壊後の民主化プロセスを通じて、旧軍備・装備が処分され、その一部がブラックマーケットを通じて、アフリカや中東に流れていました。

ここだけ聞くと、社会主義、体制崩壊など、ネガティブなイメージがつよいのですが、当時の私も、民主化・市場開放にある国がどうなっているのか何も知りませんでした。ベトナムも86年のドイモイ以降、経済が発展し始めている、東アジアの国のひとつぐらいの認識でした。

ちょっとずつ社会主義の国について、気になってきていた。そんな後に休学、インターン、仕事決まらない、と続いて、ベトナムってどんな感じなんだろう、AIESECサイトでオープンポジション調べる、「え?たくさん仕事あるじゃん」。直接関係ないと意識もしていなかったとこで、ピンっとつながった感じがしました。

そこで、ベトナムと日本をつなぐ仕事をしたい、日本に恩返しがしたいという、ベトナム人の30歳の社長と出会い、その会社で即決しました。

長々、お付き合いいただきありがとうございました。
次回は、ベトナムに行ってからの話をさせて頂きます。
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ちょっと余談。当時の身の回りを振り返って。**
・ソニーのサイバーショットとか、デジコンを使っていた?ような気がします。実家のお下がり。画素は900とか1000万画素くらいだったか。
・auのガラケーを使っていた。カメラの画素が30万画素とかで、今から考えると信じられない。周囲の懐の豊かな友人は、iphoneとかBlackberryもってました。
・PCはDELLのXPS。OSはWindows Vistaだったか。誤作動が多かったイメージ。
・お金なくて、娯楽と食費を兼ねた釣りをしてました。夜釣りで行くと、東京だと数千円するアジや太刀魚が、1時間で20-30匹つれるので、ずっと刺身、南蛮漬け生活。

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