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薔薇の牧場に舞う者は (2020/01/10) 新春#02

『忍 魂』【1】

(22:00)
「夜分に恐れ入ります」
 それは突然の挨拶から始まった。
 開けっ放しのドアからヒョイと顔をのぞかせにこやかに笑っている。
「いいえ、慣れております」
 所長も立ち上がる。
 中に入りドアを閉めようとする訪問者。
「いえいえ!ドアは閉めずにそのままで!」
「いつもそうなのですか?」
「そうです」
「何か理由でも?」
「用心のためです」
「どんな用心なのですか?」
とは尋ねてこない。所長もそれ以上触れない。
「どうぞこちらへ」
と、レッスン用の机を示した。横に細長いそれには既に書道用の下敷きが敷いてある。元々、2尺×8尺作品:長条幅を書き上げられるサイズ用だが、たるみなく敷いても尚余裕のある机で脚にはキャスター付き。可動式だ。
「ようこそおいで下さいました」
「体験レッスン宜しくお願い致します」
と座ろうとした瞬間、
「おお!あれは!!」
と、壁の写真に向かった。
①『忍魂⇔Awake/目覚めの刻よ!』
②『神々は公平にして』
③『GO³!』
「RUCA(ルーカ)を象徴する作品ですね!」
「そうです。①②についてはいかなる展覧会でも展示します。スペースの都合で実物展示が難しい場合は写真をパネルに貼り付けたものを飾ります。前所長の代からの伝統です。」
「各々意味が?」
「説明致しましょう。
①:当RUCA所長のシンボル
②:展覧会のシンボル
 同時に展示することで、RUCA所長が責任を持ってプロデュースする展覧会ですよ、というメッセージを伝えるものです。」
「③については?」
「我がRUCAそのもののシンボルマークです。
ただ、軸物ですので保安上の観点から、実物を展示することは殆どありません。警備を安心して任せられる会場限定です。」
「①は Escallics (※※注1)の第1号作品ですね。」

①『忍魂⇔Awake/目覚めの刻よ!』
サイズ:縦60cm✕横240cm

※上記写真:『書道藝術』
       (2002年/7月5日発売号)に掲載
※※注1) Escallics:
 寺澤韶晃  作品集『Esterra Works 』にて初出 
  2004/02/13   RUCA(国際書美学芸術院)発行  

「よくご存知ですね。2002年5月の朝日カルチャーセンター書道・篆刻〈講師・会員〉作品展で前所長が発表し非常に大きな反響を呼びました。
 漢字表現と英語表現を同値記号で結ぶ、漢字と英語を同時に表現する。但し各々意味内容は異なる。それを止揚するべく、釈文が必要不可欠になります。」
「こうなるとタイトルのつけ方も工夫が要りますね」
「仰る通りです。〈作品・タイトル・釈文〉の三つが揃うことで展示に値する、と言えるのです。謎掛けと同じ、と考えると良いでしょう。
『忍魂⇔Awake』とかけて作品と解く。そのココロは?→釈文です、という具合。三位一体です。但し釈文といってもダラダラ長く書いては却って興ざめですので多くの場合、『詩』で表現するように指導しています」 
「なるほど!それにしても『忍魂⇔Awake』というのが良いですなあ。釈文も、

『これらの文字をご覧あれ。漢字と見れば〈忍魂〉と、英字と見れば〈Awake〉と、きっとあなたも読めるはず。
 耐え忍ぶ人がいるならその人は、Awakeする日、目覚めの刻を期していて、今に見てろと牙を研ぐ。
 仮にその日が来たならば、再び新たな忍魂の日々を迎えることでしょう。』···」

「おや?」と所長は訪問者の顔を診た。ほんの一瞬の言葉の響きが···

「なるほど!7音/5音/7音/5音の組み立てになっている!和歌や俳句の音のリズムだ!!確かに!確かに〈詩〉だ!!
 それと筆の使い方に特徴がありますね。共通する筆法とは?」
「『飛白体』です」
「もう一度お願いします」
「『飛・白・体』です。飛ぶ白の体と書きます。8〜9世紀:空海(弘法大師)が使った筆法で、こういう枯れた線が特徴です」
「それで得られる効果とは?」
「ダイナミズムでしょう」
「ダイナミズム、といいますと?」
「筆が止まっていない、という証明になります。枯れた線で書く場合、一瞬でも筆が止まればその痕跡が必ず残ります。
 その代わり、痕跡が残っていなければ、筆は全く止まらず始め〜終わりまで走っていた、と観る者に強く訴えることが出来るのです。 こういう枯れた線を『渇筆』といいます」
「漢字では?」
「渇れた筆、と書きます。渇筆の良いところは他にもありまして」
「といいますと?」
「CGでは表現が難しいのです。滲んだ線はCGでも再現が可能ですが」
「滲んだ線?」
「『潤筆』ともいいますが、墨量をたっぷり筆に含ませることで墨が紙に浸透し、輪郭がぼやけて独特のタッチが生まれます。多くの書家がやっておられますが、せっかく手書きで行うのならCGでは出せないものを、ということで、渇筆での作品つくりを我がRUCAでは推奨しています 本日の体験レッスンでは、その渇筆が書けるようになるまでの基本的なところを体験していただきます」
「是非お願いします」
「では」
と、再び机に誘う。硯に墨液を注ぎ筆を取り上げた。
「今まで書のご経験は?」
「ありません」
「それは良い。安心しました」
「安心?なぜです?」
「ウチは他の教室とは違った指導の仕方をするのです。教える順序も、書に対する考え方も違います。オーソドックスな書を学んでこられた方の中には拒否反応を示される方もいらっしゃいまして。でも、未体験の方ならその心配はないでしょう。
 では始めます。
 私とレッスン生の方、二人でこの筆一本で話を進めます」
「『筆の違いで先生は書けるが、自分は書けない』と言わせないためですね?」
「その通りです。私が説明しながら実践しますので、その通りに体験していただきます」
 筆を湿らせながら尚も続ける。
「RUCAでは『方筆』の使い方を指導します」
「『方筆』とは?」
「『方』の『筆』と書いて『方筆』です」
筆の穂先を『方』つまりSquareにして使います。そのためこうして···」
 所長は硯の上で穂先を表裏交互に滑らせ刷毛状に慣らした。そのうえで、指を揃えた右手を示し、
「これが方筆の穂先とします。
 右手の親指=A点/小指=B点
とお考え下さい。この線分:ABの動きが鍵になります
 先ずは、横棒:横画=漢数字『一』の書き始めから」
所長は筆を紙に置き、「一」の書き始めだけを書いて見せた。
「一頭最初の部分をご覧下さい。平行四辺形の左半分の形になっていますね。
 筆の毛は丸く束ねていますから、ただ書いただけではこんな綺麗な平行四辺形にはなりません。穂先をSquareにすることでそれが可能になるのです。
 やってみてください」
筆を相手に渡す。
「では···」
と訪問者は試みる。上手くいかない。平行四辺形の左の上下の角にはならないのだ。左端の斜めの縦線こそ綺麗に整っているが、そこから横画を引いた時に上下の線が直線にならない。角が生えたような書き始めになっている。何度やっても改善なし。
「難しいですね」
「解説しましょう。よく観ていて下さい。」
所長は筆を受け取り、Squareにした穂先を紙に置くやいなや
「この瞬間の穂先の状態をご覧下さい。眼を筆の高さまで下げて私の正面・真横から観るとよく解ります」
「では失礼して」
と、彼は席を立ち腰を屈めて顔を机の高さにすると覗きこんだ。
「どうなっていますか?」
「S字形に変形しているように見えます」
「その通り。但し、単純な『S』ではありませんよね。捩れが入った3次元のSの筈です。これを真横から観た平面形が『S』字に見える、という訳です。
 この動作を『突』といいます」
「突撃の『突』という字ですか?」
「そうです。この『突』の状態を力を抜かずに維持したままで横に穂先を動かすと···綺麗な平行四辺形の出来上がり!
 どうぞお試しあれ」
訪問者は挑戦するが···
「難しいですか?」
「難しいです。たったこれだけが···」
「そう、皆さんそう仰ります。たったこれだけが難しいのですが、これこそが基礎中の基礎。これを元に理論展開を行います」
「理論···展開ですか?」
「そうです。この『方筆』と『突』をベースにすれば、筆の使い方を一本の理論で貫けるのです。が、書の経験がある方でも『方筆』とか『突』の説明を受けたことなどない、と言われます。どうやら他所では教えないようですね」
「それは何故なのでしょう?」
「多分、教えたくないのではないか、と思います」
「それこそ何故?」
「解りません」
と言った後で笑いつつ
「と、いうことにしておきましょう。
さて、次に進みます」
 今度は『基本点画』に入ります。
『基本点画』とは何か?化学でいうところの『元素』とお考え下さい。この世の物質は全て周期律表にある元素の組み立てで成り立っています。ダイヤモンドの構成元素=C ですが、Cの組成を変えるだけで、石炭・石油といった化石燃料に化けます。
 文字も然り。全ての漢字は『基本点画』とその組み立てに過ぎません。即ち『基本点画』が書ければ漢字は全て書けるのです。それをやってみましょう」

 ※次回『忍魂』【2】へと続く・・・

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