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ワクチン論争を見誤るな

ローヴェです。今日はワクチン推進派と慎重派の論争について世間にあふれている誤った見方を糾す記事を書きたいと思います。

今、世間ではおそらく、ワクチン推進派=「科学リテラシーのある合理的な人」、ワクチン慎重派=「偏った陰謀論者」という図式が溢れていると思います。はっきり言ってこれは完全に間違いです。

結論から言うと、ワクチン推進派=「不作為過誤を重視する人」、ワクチン慎重派=「作為過誤を重視する人」です。不作為過誤とは、何かをしなかったこと(=不作為)によって被害が出てしまうことを指します。一方、作為過誤とは、何かをしたこと(=作為)によって被害が出てしまうことを指します。コロナとワクチンの例で言うと、不作為過誤とはワクチンを進めないことによるコロナ感染症の被害を指し、作為過誤とはワクチンを進めてしまったが故に起こる副反応の被害を指します。

ワクチンを巡る作為過誤と不作為過誤は、片方を重視するともう一方を軽視せざるを得ない側面があり、常にディレンマを抱えているのです。つまり、大事なのはその両者のバランスを取ることなのです。

私の考えでは、今は不作為過誤が優勢になり過ぎていて、副反応の被害が過小評価されているのではないかと思います。ワクチンで痙攣が起きるほどの副反応を大したことがないとし、コロナの被害だけをいたずらに煽るような社会は、バランスを崩して倒錯の域に入っているのではないかと思います。

ですので、不作為過誤と作為過誤のバランスを戻していくことが大事なのですが、今の社会状況を考えるとなかなか難しいのが現実です。

ただ、ワクチン接種者も未接種者もこの構造を理解してもらえるだけで、より賢い議論ができるのではないかと考えています。

今は、「不作為過誤派」の一部が暴走し「科学教」となり、逆に「作為過誤派」の一部は「陰謀論者」になっているのが現状だと思います。タチが悪いのは、「不作為過誤派」の「科学教徒」が優勢で、メディアにも出演して「リテラシーのある人」とされていること。また、その「科学教徒」が比較的分別のある「作為過誤派」の人に対してまで「反ワクチン」「陰謀論」とレッテル貼りをする始末です。

いい加減、罵り合いはやめて建設的な議論をしませんか。そうすれば、バランスの取れたより良い社会に向かっていけるはずです。

(参考文献)戦後行政の構造とディレンマ : 予防接種行政の変遷 / 手塚洋輔著(藤原書店)


【まとめ】

・ワクチン論争は「科学リテラシー」vs「陰謀論」ではなく、「不作為過誤派」と「作為過誤派」の対立である。
・作為過誤(=ワクチンによる被害)と不作為過誤(=感染症による被害)にはディレンマがあり、両者のバランスを取っていく必要がある。
・コロナワクチンは「不作為過誤派」が優勢になり過ぎてバランスを失っている。
・不毛な罵り合いはやめて、バランスを取り戻す議論をしていけないだろうか。

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