見出し画像

ADHDの中東漂流記 ~序章~

皆さんいかがお過ごしだろうか。中高の同期であれば社会人3年目に突入し、そろそろ転職を考える者、結婚をする者などが出てくる頃だろう。大学の同期であれば、やっと仕事にも慣れ、自分の適性も分かってきたというところだろうか。一方で、私はというと大学生活6年目に突入した。小学校と同じ年数大学にいると言うのは何とも不思議な感覚である。今年の3月、遂に大学の同期が全員卒業し、ローン・サバイバーとなった私はこの辛い現実から逃れるため、自分は今博士課程にいるのだと己に言い聞かせ、心の平静を保つ事にした。

さて今回は、人生初のブログを書いてみようと思う。中学三年の頃、作文の教師に「卓越した文章力」と評されるほどの文才を有し、将来、芥川賞、ノーベル文学賞を総舐めにして、村上春樹超えを約束されていた私だが、大学でcommand + C command + Vに味を占めた結果、文才のない村上春樹になってしまった。(村上春樹は1浪で早稲田入学後、3留した挙句、26歳で卒業した経歴を持つ。)本格的に筆をとる(?)のは人生初であるため、非常に稚拙な文章であるがどうかご容赦頂きたい。

突然だが、私は恐らく96%位の確率でADHDである。診断こそされていないものの、そもそも本物は病院すら面倒臭がって行かない、と言うのが私の持論である。明治大学にもメンタルヘルス講座「大学生とADHD(注意欠如多動症)」の学生相談室なるものがあるが、同じ理屈で本当のターゲット層は参加しないという罠が存在する。

そういうわけで、海外旅行をすると、毎回クレカを失くしたり、現金3円ネット無しでアフリカのスラムに暮らしたりと、大抵やらかして酷い目に合う自分だが、今回は過去一で悲惨な目に遭ったので、自戒、あるいは皆さんが海外に行った際にやらかさない為の手引き『逆・地球の歩き方』として、今回の旅の一部始終を記していく。

3月初旬、私は彼女と2週間フランス、イタリア、イスラエルを周遊する予定であったが、予算の都合上、私は1週間遅れてニース(フランス)で彼女と現地集合する事に。3月9日成田発スリランカ、サウジアラビア経由、ローマ着の航空券を取っていた私は、当日、朝5時に起きて成田空港に行き、チェックインを済ませてローマまで直接荷物を預け(後にこれが重大なミスとなる)、成田発スリランカ行きの便に搭乗した。

スリランカ航空の機内は座席の間隔が恐ろしく狭く、シートがもう直角を超えて78°くらい、おまけに何故か私の席だけ映画などを観るモニターが映らないなど、最悪のフライトであった。やる事がないので前の座席の赤ちゃんが観ていたトムとジェリーを5時間ひたすら無心で盗み見る。そうして私は寝不足と退屈による疲労困憊の末、18時にスリランカに到着した。しかし、そこで事件は起こった。

なんと、そのフライトが航空会社の都合で1時間半遅れた為、乗り継ぎのスリランカ発サウジ着の便を逃したのだ。意外にも人生でフライトを逃した事のなかった私は途方に暮れた。すぐさま空港のTransfer Serviceに駆け込んで新たな航空券の予約や補償を要求したものの、一切取り合ってもらえなかった。(全て航空会社の責任だが、LCCだとこういう事がよく起こる。)私は絶望し、生まれてきた事を後悔した。

そして、彼女との旅行を諦め、東京に引き返すか、せめてスリランカ旅行でもするかマックで長時間迷っていたところ、スリランカ人の女の子に「You're so cute.」と話しかけられた。その一言で完全に機嫌が治った私は、ローマ行きを再び決意した。近年、BTSが活躍したお陰で、何もしなくてもアジア人男性の地位が上がっている事を実感する。(有難うBTS。)結局、翌朝の便を自腹(55000円)で取り直し、空港で11時間待機する事になった。そうして、長く苦しい夜が明け、朝が来ると私は再びフライトの時間を迎えた。。。

翌朝、スリランカ空港のスタッフが代わりにチェックインしてきてくれると言うのでパスポートを渡して待つ事20分。戻って来ると彼はこう言い放った。「そのフライトキャンセルされたよ。」

フライトはキャンセルされた。理由は不明だがとにかくキャンセルされたのだ。まさに青天の霹靂。さらなる絶望の淵に突き落とされた私は、スリランカ空港に丸一日泊まり、ターミナルのトムハンクスと化した。空港のカートを集めて稼いだ金でハンバーガー食ったり、水飲み場を改造して噴水をつくったりこそしてないが、実際警備員とはめっちゃ仲良くなった。

*次回に続く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?