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とある塔の頂で


 遠く隔たっているようで、すぐ辿り着ける国の、離れているようで、傍にある塔の話。

 聞こえるか、摩擦で上げる雄々しい叫びが。見えるか、対比が示す猛々しい建造が。そうだ。上へ、上へ、上へと積み上げてきた塔だ。烈しさゆえに、物々しくも濃霧に隠された、輪郭と鋭角の象徴だ。

 こんな伝説がある。塔の最も高いところに剣を突き立てた瞬間のこと。稲妻が龍の如く天へと昇り、分厚い暗雲をつんざく、と。霧が晴れる一瞬は……そこに広がる眺望は……
 人間なら、そのあまりの美しさに魅入られ、その場を離れることも能わなくなくなり、永劫に、塔の天辺を構成する石になる。そうして塔は積み上げられて、今こうして屹立しているのだ、と。

 誰も彼もがその瞬間を希求する。そのために、ある者は人を薙ぎ払い、ある者は人を欺き、ある者たちは徒党を組んで……
 かつては俺もその頂を目指した一人だった。しかし幽閉されて幾日が経っただろうか。なぜここにいるのか? 今となってはもう分からない。押しのけられて足を踏み外したか、それとも信じていた者に騙されたのか。今となってはもう知り得ない。

 ここは暗がりだ。この手はどこまで届くだろうか。この足はどこまで運ぶのだろうか。もはや試そうとする気力すらない。俺は塔の敗北者なのだ。
 いま俺の、感覚器官に許されるのは、あの烈し過ぎる争いの、声の残骸を拾うくらいだ。切れ切れに耳が捉えるのは、人々の怒号、悲鳴、そして痛恨の奇声。壁にもたれかかる、背は今日も冷たい。

……

……

……

 喧騒の切れ間の閑寂に、遠い故郷を思い出したら、暗がりが青く明らんだ。ふと、暗闇と灯火の狭間から幼い声が聞こえ、目を凝らした。そこに小さな2つの人影を見つける。
〈ああ、いつか会ったね〉
 愛しみをもってそう伝える。ピティという名の妖精と、アデューという名の精霊だ。ピティは女の子の姿をしている。アデューは少年の格好をしている 。しばらく見つけられることがなかったのか、2人とも訝しがって、一瞬ひそひそして見せた。
〈君たちも……閉じ込められているのか?〉
 しかし、俺の問いかけは届いていないようだった。

 光のない世界で2人は祈りはじめた。それが何に対してかは気にならなかった。おそらく名も姿も持たぬものへの祈りなのだろう。俺は、その敬虔な姿にこそ、見入らされたのだ。


 突如、雷鳴轟き、ひとすじの光が塔を掠める。その衝撃は暗がりを大きく揺らし、壁も地面も激しく震動する。背中が壁と擦れ合い、痛みが走る。いつ終わるかも分からない地響きの恐怖の中で、なぜか俺には頂の状況が見えた。人が頂を積み上げるのに失敗し、不全の稲妻が愚者らを穿つところが。

 足元を見やる。ピティとアデューは、窪めた手を耳に当てがい、身を寄せ、庇い合っている。そうしてただひたすらに時が過ぎるのを待っている。精霊とて幽閉されれば為す術はない。当然俺にも何もできない。

 できない……いや?……何もできないわけではない。
 よく目を凝らすと、宙にに小さなヒビがあるのを見つけた。先の敗者たちの断末魔が、この暗闇に亀裂を与えていたのだ。
 俺はピティに手を伸ばした。怖がらせぬよう、ゆっくりと、ゆっくりと。ピティは首を傾げながら、俺の指に一度触れ、安堵した表情で掌に乗った。アデューがそれに続いた。
腕をもたげると、2人を乗せた手は亀裂の側まで届く。
〈君たちは翼を持っている、さあ行きなさい〉

 ピティは自信なさげに俯いている。
 アデューがその肩に手を添えた。

 いったいこうして何人の暗がりに明かりを灯し、その数だけ見守ってきたのだろうか。ややあって、2人は意を決して亀裂の先へ向かった。また別の暗がりへと。ここに、僅かな信仰の光を残して。

〈大丈夫、君たちのことを忘れはしない、二度と〉


 2人を見送って、すぐさまその日二度目の雷鳴がしたと思ったら、俺はベッドの上で目を覚ました。俺が生活する部屋だ。
 窓の先には見慣れた風景が広がる。城や、石畳の街並みや、色とりどりの屋根。今朝もその背後に塔が見えたが、どことなく頼りなさげで、ぼやけて見えた。愛しみに勇気が灯る。

すぐ辿り着ける国の、すぐ傍にある塔の話。


ピティとアデューのもう1つの物語
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とある泉のほとりで

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