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【エッセイ】セーラーマーズ考

パズルのラストピースを見つけたような感覚を得たときの独特な喜びがある。過去の体験や蓄積のなかで解決しなかったモヤモヤした領域、そこにピッタリとハマる、他の新体験や未知の知見を得たとき、全ての図柄が揃って積年の霧が晴れていくことがあるだろう。本日はそのようなお話で、お分かりの通りテンションが少し前のめりである。暴れ馬の手綱を引くような気持ちでこの文章を書いている。僕がどこかへ飛んでいってしまってもどうか探さないでください。たぶん妄想の向こう側で楽しくやっているから。読者を置き去りにしてしまうことを想定して、概要だけは先に示しておく。①あるアニメの推しキャラについての論争、②推しキャラの異色すぎる必殺技・発動バンク、③密教曼荼羅とその技の特徴の考察、④霊界を見る者に課せられた義務。既に諸々のことにお気づきの方もおられるだろうが、どうぞゆっくりご笑覧いただければ幸いです。長文です。

オタク兼芸能人として非常に名高いヒャダインさんと中川翔子さん。彼らは知識が幅広く深いだけでなく、小ネタへの引っかかり具合が尋常でないのだ。ヲタらしさとは何かと考えた時に、制作陣の用意したコンテンツの中から何かを拾い上げてヲタ間で1つの文化的大ムーブメントを創り上げることじゃないかと僕は考える。彼らは小ネタや偶然性さえも取り上げ、とことん膨らませた上でしゃぶり尽くすのだ。

この動画の中で、セーラーマーキュリーこと水野亜美が過去にアニメ雑誌の単独表紙を飾ったことが語られている。本来セーラーマーキュリーは5戦士の1人に過ぎず、順番で表紙になるならまだしも、単独表紙というのはあり得ない。それを成し遂げたのは、水野亜美が「男性オタ間での圧倒的人気No.1」という、女性アニメとしての本筋からは少し離れたムーブメントの結果であろう。その後、映画で初のスピンオフが製作されたことも含めて、極めてヲタらしい現象だと思う。

さて、この動画の冒頭で2人はこんなことを話している。

ヒャダ「自分のメンタルコンディションとかにも依るよね」
しょこ「セーラー戦士の推しが決められない問題って、季節とか体調とか自分のメンタルとか空気の風の感じで変わるってことを思っていたんだけど……」

そうなのだ。「セーラー戦士の推しが決められない問題」というのがあり、その理由はしょこたんが言い尽くしてくれている。男子は漏れなく水野亜美が好き、確かに僕もその1人だが、推しかと聞かれると口籠ってしまう。マーキュリーの任天堂3DSで敵を殴るシーンも好きだし、ジュピターの嵐を呼ぶ詠唱もカッコ良いし、ヴィーナスとアルテミスの愛情も美しく捨てがたい、ムーンは敵を含めた全生命全存在の幸福を背負っていて、外部戦士だって……(こんなん紙面がいくらあっても足りん)
しかし僕には、アニメセーラームーン作中でどうしても気になって仕方のないシーンがある。それに関わる戦士が推しかと訊かれたら、たぶんそうなのだと思う。何か自身の本質を突っつかれているような気になるのだ。

件の場面とはセーラーマーズの必殺技「バーニングマンダラー」を放つ必殺技バンク(見せ場として使い回されるシーン)である。百聞は一見に如かず、まずは画像でお見せしよう。

©️東映動画

左の人差し指で円陣を描き、そこに梵字による曼荼羅図(まんだらず)が顕れる、炎の力を掌に込め、背景に宇宙が浮かんだ刹那、8つの凄まじいエネルギーリングが一挙に放たれる。攻撃力の高いマーズを象徴する必殺技の1つである。

さて、セーラーマーズこと火野レイは神社の巫女だ。曼荼羅とは仏教の、中でも密教経典の思想を表した種々の絵図の総称である。主尊を中心に諸仏諸尊の集会を模式的に示している。巫女が密教の力の加護を得て技を使うことに違和感がないわけではないが、ネット民の間では「レイちゃんが務めているのは神仏分離を免れた神社」という結論で落ち着いているようだ。ちなみにマーズはしばしば九字(臨兵闘者……)も切っており、陰陽道にも通じていることが分かる。

霊感少女であるレイちゃん、巫女でありながら密教にも陰陽道にも精通しており、他の戦士には見えないものが見えたり、感じられないものを感じたりする。つまり霊界と通じることができる人である。アニメの中の話なのでそのままオカルティズムと受け取って良いのだが、せっかくなので、この霊感少女のことをもう少し現実的な角度から掘り下げてみたいと思う。

バーニングマンダラーを放つ前に浮かび上がる梵字は、数ある曼荼羅の内でも胎蔵界曼荼羅の中台八葉院を表しているものと思われる。

下の図像はパブリックドメイン。
蓮華の中央に大日如来が位置し、周囲の八蓮弁には四如来と四菩薩が座す。大日如来は万物の慈母であるとともに宇宙の中心であり、宇宙の真理そのものとされる。
バーニングマンダラーが、胎蔵界曼荼羅の力を借りて繰り出す技であれば、中心にいるセーラーマーズは大日如来の加護を受けているはずである。

バンクの途中で宇宙の中心に浮かぶマーズ、

大日如来が背に負っている日輪を思わせるエネルギーリング

など、この技が大日如来を象徴している、というのは決して言い過ぎではないと思う。大日如来は憤怒や慈愛など様々な様相をとって人々を救済する。その視点で見ると、技に入る前のこれらの表情はどうだろうか? 少し違って見えてこないだろうか?

敵を倒そうと勇み立った直後、一瞬、衆生を慈しむかのような切ない顔を浮かべているではないか。あたかも大日如来の精神が乗り移っているようである(真理そのものである如来が憑依するなどありえないので、あくまで創作物に対する個人的な所感としてご容赦ください)

先に書いた、モヤモヤしていたこと、気になって仕方なかったことは、マーズのこの表情であった。これから敵に必殺技を放とうとしている戦士が、憂いを帯びた表情を浮かべるとは何事だろう?とずっと疑問だったのだ。そして戸惑うと同時に魅せられていた。この問題が解決しない限り推しは決められない、と思わせるくらいに。

ところで、ここに来て1つの問題が浮かび上がる。大日如来は遍く存在を照らす真理である。それが個人の(しかも気性の荒い女子中高生の)意志を助けるなんてことがあって良いのだろうか? これは善悪の問題に繋がる。主人公だから善、というのは視聴者の言い分でしかない。悪役にしたら自分たちは善でしかないのだ。特にアニメ・セーラームーンは悪役の事情や物語まで繊細に描かれる作品で、地球を侵略してくるのは悪であり懲らされるべきだ、というような単純な話ではない。

善とは何か、悪とは何か、ということを(個人が)考えていく上で、北村透谷「内部生命論」は重要な示唆をくれる論文である。セーラームーンから離れ、かつ少し長くなるが二箇所引用しよう。

彼等は忠孝を説けり、然れども彼等の忠孝は、寧ろ忠孝の教理あるが故に忠孝あるを説きしのみ、今日の僻論家が勅語あるが故に忠孝を説かんとすると大差なきなり、彼等は人間の根本の生命よりして忠孝を説くこと能はざりしなり。彼等は節義を説けり、善悪を説けり、然れども彼等の節義も、彼等の善悪も、寧ろ人形を并(なら)べたるものにして、人間の根本の生命の弦に触れたる者にあらざるなり。謂ふ所の勧善懲悪なるものも、斯る者が善なり、斯る者が悪なりと定めて、これに対して勧懲を加へんとしたる者にして、未だ以て真正の勧懲なりと云ふ可からず。真正の勧懲は心の経験の上に立たざるべからず、即ち内部の生命(インナーライフ)の上に立たざるべからず、故に内部の生命を認めざる勧懲主義は到底真正の勧懲なりと云ふべからずなり。
〔北村透谷「内部生命論」(青空文庫)より〕

形骸化した道徳を述べる者の言う善悪は真のものではない。心の経験、内部の生命の上に立たない勧善懲悪は意味がない、と言うのである。内部の生命とは若干難しい概念だが、

人性に上下なく、人情に古今なし、とは「観察論」の著者の名言なり。実にや詩人哲学者の言ふところは、人情が自ら筆を執つて万人の心に描きたるものに外ならざるなり。善と言ひ、悪と言ふも元より道徳学上の製作物にあらざること明らかなり。究竟するに善悪正邪の区別は人間の内部の生命を離れて立つこと能はず、内部の自覚と言ひ、内部の経験と言ひ、一々其名を異にすると雖、要するに根本の生命を指して言ふに外ならざるなり。詩人哲学者の高上なる事業は、実に此の内部の生命を語るより外に、出づること能はざるなり。内部の生命は千古一様にして、神の外は之を動かすこと能はざるなり
〔同上〕

永遠に変わらない人間の本性、人為によって変えることのできない人間の本性。それが内部の生命であり、詩人哲学者によって観察され語られうる、と。

内部の生命についてどんなことを思い浮かべただろうか? 僕はまず「自然法」のことを考えたのだが、あまりに卑近かと思い、まだ頭を捻ったままでいる。ただ少なくとも、セーラームーン世界における内部の生命が「愛」であることは間違いないと思う。全戦士が「愛と◯◯のセーラー服美少女戦士」と高らかに謳っているのだから。

存在の霊的諸領域について語る義務を感じている者に、限りない責任感を呼び起す。それは彼に謙遜と慎しみ深さを義務として課する。
〔ルドルフ・シュタイナー『神智学』(ちくま学芸文庫)より〕

愛と情熱のセーラー服美少女戦士セーラーマーズは敵を倒す直前の刹那に、慈愛、謙遜、慎しみ深さを噛み締めているのだろうか。衆生の「内部の生命」を守る戦士、中でも霊的諸領域と交信する彼女はその義務をどの戦士よりも重く重く受け止めているのかもしれない。それこそ正義の証、大日如来も彼女にご加護を与えることを躊躇わないだろう。

こうして僕は積年のモヤモヤを晴らせたのだ。これで推しはマーズだと胸を張って公言できる!……などと簡単に行くとお思いか?
慈愛ならムーンにも、謙遜ならマーキュリーにも、慎しみ深さならプルートにも、、、あれ、結局推しが決まらない!?
バーニングマンダラーの表情はパズルのラストピースではなかった。完成はまだまだ遠く、セラムン世界は深い沼だ。
長文・乱文失礼しましたm(_ _)m

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