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心の整形をしてまで打ち勝ちたい恐怖なのか

「自己啓発とか心理学とか、あまり色々手を出し過ぎると心をつぎはぎに整形をしているような気がして……」

自分よりも10歳以上年下の男のことばにハッとさせられた。もう4年近く前のことだ。

確かに私たちは脳にあらゆるものをインストールして生きている。
成功哲学やビジネス英語や、生きやすくなるための思考法。元々持ち合わせていないものを得たり、手持ちの少ないものを増やそうとすることに必死だ。「手放す技術」だって、アンインストーラーをインストールしてるだけのこと。
供給の質も形も目まぐるしく変化する中で、みんな損をしないように、損をしないように、とあくせく情報を仕入れている。

「あそこの美容外科がコスパいいらしい」
「腕が良ければいくらでも出す」
「そっちの先生の出来は流行と違う」
自身が価値を持っていなければ安心できない。自身の価値を求めて行動することがフツウで、きっとみんなこれくらいはやってる。
えー、やってないの?よく不安にならないねー、すごーい。

なんだか息苦しいよな。。。

noteでお付き合いさせてもらってる方々は「不易流行」をよく知る人ばかりなので、興味ない話題かもしれない。
ついでに、こんな話を神話部で!?というツッコミもちゃんと正座して待ってます。
大丈夫、ここから信仰とか神様の話へ。

2018年11月、つまり1年ちょっと前、僕は古代中国の青銅器の展示を見てきたらしい。その時の記録が出てきた。

展示の目玉は「虎卣(こゆう) 」という酒を入れるための器だった。口を大きく開けた虎に、人がしがみつくような状態を表現した器。
虎の後頭部には鹿、腰から足にかけては蛇、胴体に龍、背中には牛と羊の角を持った饕餮(*とうてつ:想像上の獣)が描かれている。
商時代(紀元前13世紀頃)のものと推定されていて、世界に2例しか確認されていないそうだ。

実物を見てもらうのが早い。

画像はパブリックドメインのものを使用しています

キメラとかフランケンシュタインとか……そういった類のもの……だよね。

美術史については詳しくないけれど、どうやら祭壇で用いられたものらしい。
つまり呪術の道具。
人知の及ばない脅威に直面した時、自然界にまったくない架空の世界を構築して対抗するために作られたと推測されている。
虎よりも強く、鹿よりも速く、蛇よりも狡猾に、龍よりも硬く……ってことなのだろうか?
死角を作らない、恐怖に打ち勝つため、あらゆる場所に文様や絵を書いて埋める。
耳なし法一みたい。

さきほどの後輩くんの話とこの虎卣とが、ふとした瞬間に繋がった。
これらは整形の概念に近い。
ちなみに僕は美容整形に対して否定的なわけではない。
機会があるならしてみたいけど、正直リスクやコストのことだって考える。
うまく行くとして、自分の原型をあまりに逸脱してしまう場合はどうだろうか、とも考える。
自分じゃないものになろうとするのは大変だ。
アレを得ようとしたり、ソレを欲しがったりして、いったいどんな化け物になろうとしてるんだろうか?
そうまでしないと乗り越えられないような恐怖……果たして抱えてるのだろうか?

こうしたおどろおどろしい像に始まった銅器の歴史。ここから麒麟、鳳凰、龍と、聞き慣れた名の聖獣が長い年月をかけて形を変えながら登場してくる。
有名な四神(青龍、白虎、朱雀、玄武)が美術にその姿を現すのは漢の時代(紀元前後頃)になってからで、比較的新しい。

僕はこの方位を司る聖獣とか、対やグループになっている神とか、いわゆる多神教的世界が好きだ。
役割が分かれていた方がよい。クラスターの特技をいかんなく発揮している神様たちは美しい。
それぞれがそれぞれの方法で世界を守っていけばいいと思う。
守る世界も自分に与えられた場所だけでいい。
別にわざわざ合体して戦う必要などないんだ。
ましてやキメラ同士で争う必要などもっとない。

文字資料の少ない時代の遺産は面白い。
人間って古来からあまり変わらないのかもね。

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