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〈ラスト3話〉 45 未知は山路に吹き荒ぶ 【葬舞師と星の声を聴く楽師】

連載小説『葬舞師そうまいしと星の声を聴く楽師がくし』です。
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45 未知は山路に吹き荒ぶ


 帝国伝統舞踏団ダアル・ファーマールの残党12名は帝都から南南西の方角へと進路を取った。そこは穏やかでない山路を含む未開の地だったが、ハーヴィドの旅の経験によればその先に穏健な小民族が隠れ住んでいるとのことだ。西の国の息がかかっていない地が望まれ、一行は他諸国への連絡路を避けて進んだ。
 瀕死と思われた舞師たちは、離散ディアスポラの沙汰ひとつで息を吹き返した。それはもっとも高齢なジールカイン老師長も例外ではなかった。
「緑が気持ちいいの。宮廷の庭園も素晴らしいが、やっぱり野生には遠く及ばんわ」
 むしろ老人の脚はぴんぴんしていた。若い男舞師の方が遅れを取っており、たびたび叱咤の声が飛んだ。まるで修練場の構図そのままだった。

「……ジールカイン老師長。俺、やっぱり悲しいよ」
 ふと、横を歩くアシュディンが老師長に声をかけた。その右手には髪の毛の束が握られている。ナドゥア老師のものだ。離散ディアスポラが宣告されてから、まずアシュディンが向かったのは彼の元だった。急に遺体を背負い出す青年を舞師たちが必死に止めた。挙句の果てに、青年の方がハーヴィドに担がれてようやく宮廷を出るに至った。髪はジールカイン老師長が切り取って、後から手渡したものだった。
「……お前はそれでいいと思うぞ。人にはそれぞれ役割がある。だからこうして手を取り合ってるんじゃ」
「……みんな、俺に厳しいんだか甘いんだかよく分からない」
「そんなもん、どっちもに決まっとる」
 アシュディンは分かったような分からないような気になって押し黙った。自分にずっと厳しい声をかけてきたナドゥア老師の顔を思い浮かべた。
「この山の一番綺麗な場所に墓を作って、みんなで舞を披露してやろう。葬舞師がこんなにおるんじゃ。ナドゥアもきっと、それで思い残すことはなくなるじゃろう」
 老師長の提案に直ちに「うん」と頷いたアシュディン。彼はその時、自分の中にすぐに動く心とすぐには動かない心があることに気づいた。背反するものではなくどちらも同じくものだ。なぜこれほどまでに〈死と舞〉に拘るのか。なぜそれを衝動で掴み、頑なに離さないのか。山路を登りながら考えても、答えは出てこなかった。

「おーい、沢だぞ!」
 先を行くハーヴィドの声が木々をすり抜けて響いた。耳を澄ますと確かに水音がしている。一行は歓喜の声を上げ、脚も軽やかに声の方へと進んだ。
「ここの水は飲めるはずだ」
 野外ではとことん頼りになる楽師。舞師たちは彼が団を訪れ、団が彼を受け入れたことに心から感謝した。
 それからハーヴィドは若い舞師たちに魚の取り方を教えた。宮廷では散々舞しかしてこなかった男たちに最初からうまく取れるはずもなく、互いの失敗を笑う中にあたたかい空気が生まれた。活気を取り戻してきた団員たち。ハーヴィドを加えて、新しい輪が出来つつあった。
 その光景を岸の少し離れた場所から眺めていたアシュディン。ふと姉の最後の言葉が脳裏に響いてきた。

〈今日からあなたが、新しく生まれ変わる伝統舞楽団の初代正統です〉

 もしかしたらこういった何気ない輪から新しい団が生まれていくのかもしれない。血統が何の意味もなさなくなった今、俺に出来ることがあるだろうか……俺の役割って?
《姉さん、俺、自分に出来ることからやってみるよ。どんな小さなことでも》
 アシュディンは立ち上がると、まず目を凝らして辺りを見回した。道を外れて斜面を上り、草木を掻き分けて、沢を取り囲む様々な場所を具に探った。
「アシュディン、あんまり遠くに行くなよ!」心配する楽師の声が飛んだ。
「大丈夫! もうちょっとだけ!!」
 アシュディンが応答しながら一歩踏み出すと、草むらの先に棚状の大地が現れた。陽がよく当たり、雑草の緑が埋め尽くし、ぽつぽつと野花が顔を出していた。視線を遠くに向けると、今は城塞となってしまったファーマールの帝都が、山の稜線から半分顔を出していた。
「ここだ!」
 アシュディンはその場で小躍りをした。


 落枝を集めて蔓で結った墓が立てられた。その前には名も知らない小さな花の束。団員12名が揃って立ち、故人の冥福を祈った。それぞれの手には分け合ったナドゥア老師の髪が握られ、ひとりずつ墓に添えながら最後の別れの挨拶をした。
 アシュディンが祈祷を終えると、ジールカインが一歩前に出て、葬舞を始める前に場を取りまとめた。
「ナドゥア殿、長年のお勤めご苦労であった。あなたの厳しい指導のおかげで、ラファーニもアシュディンも、全ての舞師たちが立派に育ちました」
 老師長の言葉に合わせて、全員が厳かな面持ちで首を垂れた。
「どうぞ常世とこよで誇ってください。あなたが手塩にかけたふたりが団を守ったのです。ラファーニは団員たちの命を、そしてこのアシュディンは我々の城とも言うべき宮廷を──」

「──え!?」
 突然アシュディンがすっとんきょうな声を上げた。

「どうした? アシュディン」
「老師長、今、何て?」
「は? お前が宮廷を守ったと」
「なんで、なんで俺が宮廷を守ったことになるんだよ!?」
 ちぐはぐな問答に、葬儀の雰囲気が一気に台無しになった。舞師たちが困惑の色を浮かべた。ジールカインが渋い顔をして言った。
「アシュディン、忘れたのか? お前とハーヴィド殿が占断した災禍の到来は〈今日〉じゃ。ほれ帝都を見てみい。しぃーんとしておるじゃろう。一斉砲撃は免れた。予期した災禍は未然に防がれたのじゃ。そりゃあ、お前自身が何か手を下したわけではないが──」

 その瞬間、岩棚に強風が舞い込んできた。身を堪えるほどの風で、墓に手向けられた髪と花の一部が吹き飛ばされて舞い上がった。アシュディンは茫として、はらはらと落ちる髪に手を伸ばした。
「……知らない」
 青年がぽつりと呟いた。ハーヴィドは訝しんで「アシュディン?」とその顔を覗き込んだ。
「俺は風のこんな感触を知らない」
 立ち尽くしながら、手の所作で髪の落ち方を模倣した。
「俺は風が連れてきたこの匂いを知らない」
 花の匂いを嗅ぐように両手を顔の前でやんわりと重ねた。
 青年の眼つきはまるで現実とは違う世界を〈見て〉いるようだ。そして突として身を震わせた。
「俺は、風がこんなに怯えた声で泣くのを聞いたことがない!」
「アシュディン、まさか、お前──」
 ハーヴィドは嫌な予感がして青年の腕を掴もうとした。途端、アシュディンは弾かれたように駆け出し、ハーヴィドの手は空を切った。突然のことに狼狽する舞踏団員たち。彼らをすり抜けてアシュディンは岩棚を走り去った。
「行くなっ、アシュディン! 行くんじゃないっ!」
 楽師が叫声を上げた時、アシュディンはすでに斜面を降りきっていた。そして登ってきた山路を降りる方向へと消えていった。


「はあっ、はあっ」
 数時間かけて来た道をアシュディンはわずか1時間足らずで駆け抜けた。疲労を感じる余地はなかった。舞師の頭は〈見た〉もので埋め尽くされ、離散した仲間のことも、ハーヴィドのことさえもすっかり抜け落ちていた。

《災禍は……これからだ!》

 帝都に舞い戻ったアシュディン。その目にまず飛び込んできたのは、ぐるりと囲む大砲と、周りで作業をしている砲隊たちだ。
「逃げろーーーっ! 隕石が来るぞ!!」
 アシュディンは駆けながら必死に叫んだ。
「なんだ? あいつ」「さっき離散ディアスポラした中にいた奴か」「何言ってるんだ?」「隕石だ? 馬鹿馬鹿しい」
 砲兵たちはまともに取り合わずに作業に戻った。その横をすり抜けるとアシュディンはさらに足を早めた。
「隕石が来るぞ! 逃げろーーーっ!!」
 次に警鐘を鳴らした先は帝都の石垣を守る見張り兵たちだ。
「何だよあれ?」「狼少年かよ?」「ついに気が触れちまったか」「放っておけ、放っておけ」
 アシュディンは嘲笑を受けても叫ぶのをやめなかった。そのまま石垣を軽やかに飛び越えると、一目散に帝都の中心へ駆けていった。

「隕石だ! 隕石が来るぞ!! みんな、逃げてくれーーーっ!!」
 帝都広場、住宅街、大通り、倒された鐘塔の前、あらゆる場所でアシュディンは声を張り上げた。しかし閑散とした帝都からは何の反応はなかった。たまに遭遇した西の兵たちの誰も彼を相手にしなかった。
 青年は当惑してぐるりと帝都を見渡した。ほんの一度回っただけなのに、何十周もしたかのような目眩に襲われた。恐怖に廻る視界が、恐怖をさらに加速する。アシュディンは吐き気を催してその場にうずくまった。
 ややあって息が整ってくると、次第に平衡感覚も戻ってきて、アシュディンはクッと顔を上げた。その視線の先には、生まれついてからずっと暮らしてきた大きな建造物があった。
「宮廷……アイツが……アイツがまだいるかもしれない!」
 青年はつっと立ち上がり、吸い寄せられるように宮廷へと足を進めた。

 大宮殿と4つの棟に取り囲まれる宮廷庭園。ある男が、その中央に小高い物見の席を設けて座していた。裏切りの報酬として立場を得て、宮廷を占拠した兵たち相手に威張り散らし、優越感をすっかり満喫していた。
「ワーグラム!!」
「アシュディン! お前、離散ディアスポラしたのではなかったのか?」
 突然の青年の登場に元恋人は目を見張った。やや離れて斜めに対峙するふたり。
「ワーグラム、もうすぐこの帝都は隕石に襲われる。一緒に逃げよう!」
「……お前、自分が何を言ってるのか分かってるのか? 抑留と空腹でついに頭がイカれてしまったか?」
 アシュディンは両手を広げて訴えた。
「俺は正気だ! 見たんだ。この帝都が崩れ落ちるのを、見たんだよ!!」
「……正統の血が聞いて呆れるな。私はこんな愚かな奴と付き合っていたのか」
「信じて……くれないのかよ」
 ワーグラムは顔を背けて、蔑むように言った。
「私はもう、お前にかまけている暇なんてないんだ」
「話も聞いてもくれないのかよ!」
 アシュディンは握った拳を震わせ、散々な裏切りを見せてきた男を初めてきつと睨んだ。
「それは皇帝陛下の椅子だろう? そんな下らないことして楽しいのかよ!」
「別に楽しいとか楽しくないではない。どこまで階段を上れるか、確かめているだけだ」
「……階段?」
「そうだ。お前みたいに生まれついた瞬間から何段も上にいる奴もいる。私みたいな0や1から上りはじめた男でも、それを越えられるってことを確認しているだけだ」

 アシュディンは俯きながら首を振った。
「階段とか確認とか、俺、お前の言っていることがまったく分からないよ。だって上とか下とかじゃなく、ずっと隣りにいただろう? 好き合っていた3年間も、その前も、生まれた時からずっと!」
 ふたりの喧嘩を窘めるように、庭園を一瞬の風が吹き抜けていった。
「……そう思っていたのは、お前だけだよ、アシュディン」
「俺……だけ……?」
 青年の瞳孔がわずかに開いた。
「生まれつき上にいる者には見えてない世界もあるんだ。これ以上、私に惨めな想いをさせないでくれ。今すぐここを立ち去るなら、見逃してやるから」
 その言葉になりふり構わず地団駄を踏むアシュディン。空と大地に向けて喚き散らした。
「嫌だ、嫌だ! わけが分からないよ! 一緒に団に帰ろう? みんなすぐそこの山に避難しているんだ。落ち着いた場所で話せばきっと── 」
「くどいっ!」
 ワーグラムは懐から手銃を取り出し、ろくに狙いも定めないで発砲した。銃声がアシュディンの動きを止めたが、弾は虚しくあさっての方向へ飛んでいった。
 その行為にアシュディンは熱り立った。
「……何だよそれ。なんでそんな物、持ってるんだよ。お前は舞師だろう? 舞師なんだよな? 舞師はそんな物を持ったりしない! ムカついてるなら、正々堂々、舞で勝負しろよ!」
「うるさいっ!!」
 2発目の銃弾も遠くの地面に刺さった。

 アシュディンの心の波は、また同情の色に変わって打ち寄せてきた。
「……ワーグラム、やっぱり帰ろう? ここはもうすぐ隕石に潰されるんだ。宮廷もこの庭園もなくなっちゃうんだよ。そんな椅子に座ってたって、何の意味もないんだ」
「馬鹿馬鹿しい。その戯言もあの楽師に誑かされて言っているのか?」
「そんなんじゃないよ。本当に隕石は来るんだ。分かってよ、聞いてよ、ワーグラム……」
 遂に地面にへたり込んで泣きじゃくるアシュディン。その姿にワーグラムの心の蓋が跳ねて開いた。少年時代の一場面ワンシーンが勢いよく流れ出てくる。

〈アシュディン、泣くなよ。お前はいずれ正統になるのだろう? そうしたらきっと私は教育係から正統補佐に格上げになる。大出世なんだ。ふたりで団を支えていこう。なっ?〉

 ワーグラムはその蓋を必死に閉じようとした。
「……アシュディン、なぜ団に戻ってきた? あの楽師を、新しい恋人を俺に見せつけたかったのか? 俺は、お前がいなくなってせいせいしてたというのに。お前が……」
 その目にひと雫の涙が煌めいた。
「お前が勝手にどこかで生きて、せめてお前の中の俺だけは綺麗なままでいられたら、どれほど良かったことか──」
 その瞬間、銃声が耳をつんざいた。けたたましい音が庭園を取り囲む壁にツーンと反響している。アシュディンは反射的に目を瞑ったが、なぜか銃の衝撃は感じられなかった。
 おそるおそる見上げると、かつての恋人の体が宙に投げ出されていた。


── to be continued──

残り2話

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