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44 その花道は荊棘の道 【葬舞師と星の声を聴く楽師/連載小説】

連載小説『葬舞師そうまいしと星の声を聴く楽師がくし』です。
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前話

44 その花道は荊棘けいきょくの道


 アシュディンは悲痛な面持ちで姉を問いただした。
「姉さん、まさか全部知ってて……」
「……いいえ」
 ラファーニは首を横に振って、歴代正統舞師の肖像画が並ぶその部屋を一望した。
「何年もずっと、週に一度、ここでお祈りしていたのよ。皆が寝静まった時間に」
 突き当たりの壁にある絵と向かって、手を胸の前で組んで恭しく跪いた。
「ディ・シュアンさまの肖像に向かって《今週も団の舞が華やぎますように、アシュディンが一番輝きますように》って」
 アシュディンが幼い頃からずっと傍にあった柔らかい声だ。今聞くと聖母のようだ。姉の祈りなど何も知らなかった弟は、散々疑ってきた時間を後悔した。
「でも半年ほど前、この場所である声を聞いてしまったの。肖像画の横の窓が少しだけ開いていて。清掃係が閉め忘れたのかしらね」
 指し示された窓は今はしっかりと閉ざされていた。ラファーニはアシュディンに向き直って声の調子を落とした。
「外から聞こえてきたのは男ふたりの密談。そのひとりは紛れもなくワーグラムの声だった。でも、話の全ては聞きとれなかった」

〈女たちはいいよな……男舞師……は奴隷として強制……か……もしバレるような……即刻、皆殺しだ……〉

《男舞師……奴隷……ミナゴロシ!?》

「恐ろしくなって、蝋燭の火を消して身をひそめた。声が遠ざかるのを待ちながら、暗闇の中で必死にお祈りをしたわ。そうしていたら、ふと肖像画からシュアンさまの声が聞こえてきたの。〈伝統を守れ、我が末裔アシュディンを守ってくれ〉って。いま思えば、あの窓を開けておいてくれたのはシュアンさまだったのかもしれないわね」
 姉の告白をアシュディンは肩を震わせながら聞いた。
「どうして……どうして、ひと言も相談してくれなかったんだよ」
「だって、もしあなたに言ったら、すぐに飛び出してワーグラムを問いただしたでしょう? あなたは嘘をつけない、真っ直ぐで優しい男だから」
「それは……」
 アシュディンは否定できず、悔しさと情けなさに口籠った。
「悪意の標的は男舞師、間者は他にもいて誰にバレるわけにもいかない。それで必死に考えたわ。もしかしたら団を再編すれば、迫り来る何かを未然に防げるのではないか。女舞師だけの集団になれば、誰も奴隷にされず殺されずに済むんじゃないかって」
 その夜、生来より優しかった姉は鉄の仮面を被る決意を固めたのだった。
「それと、ワーグラムのことは目の届くところに置いておきたかった」
 アシュディンは正統決定のための演舞会の前夜のことを思い返した。ワーグラムと共謀しているかのように聞こえた言葉は、弟を嵌めるためのものではなかった。間者に権力の座をチラつかせながら牽制していたのだ。

 女正統は歯軋りをして悔しがった。
「でもあいつは最後までボロを出さなかった。まさか国を巻き込むこんな大事おおごとの密談だとは思ってもみなかったわ」
 お手上げだというふうに天を仰いで、むりやり明るい表情を作った。
「帝都が占拠されてからは女舞師たちと相談したの。これからどうしようかと。そうしたらみんなこう言ったのよ。〈どうせ死ぬなら敵の本拠地に乗り込んで舞を見せつけてから〉〈女の立場をとことん利用してやる〉〈男どもは足手まといだから外に出しちゃいましょうよ〉って」
 ラファーニの気丈さが乗り移ったかのような女舞師たちの言葉に、アシュディンの目に涙が込み上げてきた。
「でも結果的にあなたたちをここに置いて行くことになってしまった。わたしのしたことに、何の意味があったのかしら……」
「あるよ」
 アシュディンは強く言い切った。
「意味なんてあるに決まってるだろう! 姉さんは凄い。たった数ヶ月でたくさんの男舞師の人生を救った。女舞師だって、姉さんがいるから希望を失わないでいられるんだ。俺が正統だったら、こんなこと出来なかったよ……きっとオロオロするか……すぐ楯突いて……みんな殺されてたよ……」
 話しながら嗚咽を漏らした。姉への尊敬の念と己の至らなさに打ちひしがれ、アシュディンは地面に膝をついて項垂れた。
「姉さん、ごめん……信じてあげられなくて……ごめん」
「アシュディン。わたしにとっては〈あなた〉を守れなかったことだけで失敗なの。だってわたしはあなたの姉であり、それだけでなく亡き父と母の代わりでもあったから」
 ラファーニは言いながら父である第11代目正統舞師の肖像をいちど見やって、アシュディンの前に腰を下ろした。そして涙が流れ出るままにしている弟の体をぎゅっと抱きしめた。
「ごめんなさい、守ってあげられなくて。せめて私の最後の願いが届きますように」
 弟は首を横に振って「頑張る、生きるよ」と声を絞り出した。
 そして姉は最後に夢を語った。アシュディンたちが帰還してから密かに抱いていた、本来ありたかった正統としての夢を。

「あなたはダアルを続けなさい。あの楽師が大切な人ならば、ディ・シュアンさまの果たせなかった夢を今度こそ一緒に。今日からあなたが、新しく生まれ変わる伝統舞楽団の初代正統です!」

「……違うよ、正統は姉さんしかいない。これからもずっと、姉さんだけが正統だ!」

「アシュディン、さようなら、どうか生きて」

「姉さん、俺、姉さんのことがずっと大好きだよ」


 扉がキィと音を立てて開いた。
「正統、時間だそうです」
 老師長が憔悴した顔を浮かべながら、部屋の中へと足を進めてきた。ラファーニは涙を拭って立ち上がると、彼の前で深々と頭を垂れた。
「ジールカイン老師長。たびたびを貫き、私欲のために団を動かし、先達の守り抜いてきた伝統をないがしろにしてきた愚行、心よりお詫び申し上げます」
 老人は首を横に振って、弱々しく微笑んだ。
「ご立派でした。正統の大任、誠にお疲れさまでございます」
 ラファーニが頭を上げた時、その目にもう涙はなかった。彼女は扉の向こうを見据えながら、力強い一歩を踏み出した。
「いいえ、私の仕事はこれからです。あの娘たちが異国の地で辱めを受けることのないよう、今度こそ守ってみせます」
 こうして、ラファーニ・ドルベスク、帝国伝統ダアル・舞踏団ファーマール最初の女正統にして最後の正統は、その肩書きを下ろして宮廷を去った。彼女の背中を見送った初代から第11代までの男正統の、誰よりもずっと勇ましく。

 ──姉の行く末を案じるアシュディンの耳に、翌日こんな噂が届いた。女たちに縄をかけようとした兵隊らに、女代表の厳しい叱責が飛んだそうだ。
〈舞師の体に痣でもついたらどう責任を取るつもりですか? あなた方は、これから国の宝となるべき女人たちを傷物にして君主に捧げようとしているのですよ!〉と。
 彼女たちのその後のことは、要塞に残る誰にも知り得なかった。


 ラファーニと女舞師たちが連行されてから4日が経過した。男舞師の中には少ないながらも、自ら奴隷志願をして宮廷を後にした者や、逃げ出そうとして射殺された者もいた。
 残されたのはアシュディンとハーヴィドを含めて13人。多くは不安と孤独に耐え切れず、修練場で雑魚寝をして過ごした。食料は奪われ、後に一切の配給もなかった。わずかな水を分け合って過ごし、意識は朦朧とし、四肢に力が入らず、床や壁に身をもたれることが唯一の慰みとなった。
「あの……」
 ふと修練場にひとりの男舞師が入ってきたが、みな至極ゆっくりとしか振り返れなかった。男は虚ろな顔に精一杯の苦々しさを浮かべて口を開いた。
「その……ナドゥア老師が未明に息を引き取られました」
 修練場の床が抜けたかのように絶望に突き落とされた。これで残りは12人となった。
「持病の心臓発作を抑える薬が切れてしまったんです。こんな救いもない状況で、いったいどうやって生きられますか」
 報告した男はそのまま壁にもたれてずるりと崩れ落ちた。
 アシュディンは床に拳を叩きつけて、四つん這いになって涙を落とした。
「俺……俺……最後まで、ナドゥア老師と喧嘩して……うっ…………うっ……」
 咽び泣く青年に、ジールカイン老師長が寄り添ってその背を撫でた。
「アシュディン、自分を責めるな。若い者と喧嘩するのが老師の楽しみなんじゃ。あいつはお前のことちゃんと認めておったぞ」
 老師長は長くため息をついて天を仰いだ。
「しかし、もう沙汰など来ないのかもしれぬな」
 それは誰もが感じていることだった。ナドゥア老師の逝去を知って、口にしないようにと張っていた糸がぷつりと切れてしまった。

 そんな中でハーヴィドだけが周囲を奮い立たせようと足掻いた。
「諦めるな。いま俺たちがこの悪夢の渦に飲み込まれては、先立って行った者たちが浮かばれぬぞ」
 しかしその彼ですら頬はこけ、眼窩は窪み、声の張りも失われていた。
「……お主は強いの。さすがは不当な追放を受けても、生きて伝統を手放さなかった、エル・ハーヴィドさまのご末裔じゃ」
 ジールカインはほとんど死に際のような顔に弱々しく笑みを添えた。歴代老師長口伝の伝説を見届けられたことに、心底満足しているようだった。
 めいめいが朦朧としていく中で、ふといかめしい足音が耳に響いてきた。気付けばどんどん近づいてくる。
《冥府のお迎えまでが兵隊の行進のようとは、やはりこの世界には何の救いもなかったのだ》と、ひとりの舞師が世を儚んだ。

「お前たち」
 飛び込んできたのは冥府の使いではなく、西の国の兵だった。
「喜べ。離散ディアスポラだ。南門を開けてあるからとっとと出て行け。あの女正統とやらに感謝するのだな!」
 沙汰が、来た。


── to be continued──

残り3話

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