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43 めいめいに魂を売れよ 【葬舞師と星の声を聴く楽師/連載小説】

連載小説『葬舞師そうまいしと星の声を聴く楽師がくし』です。
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前話

43 めいめいに魂を売れよ


「あ、あなたは!?」
 部屋の戸を叩いたのは、まさかの皇帝陛下だった。寝間着と思しき緩やかなローブを纏い、立ち尽くす君主。アシュディンは恐縮して直ちに跪いた。
「皇帝陛下、こんな時間にこんな所へ、いったいどうされたというのです?」
 何となく状況を察してか青年は忍び声で訊ねた。皇帝はおもむろに身を屈めて、アシュディンの腕をそっと掴んだ。
「立ちなさい、これは命令だ」
 皇帝の手引きで共に立ち上がる青年。こんな近くで、頭を同じ高さにして向き合うことなどありえなかった。
「悪いな、アシュディン。なんだか急に、お前の舞が見たくなってしまってな」
「…………」
「ダメか? 母の三回忌でやってくれたあの舞を、もう一度だけ見たいのだが」
 雄々しい見た目にそぐわない、気の抜けた声だった。アシュディンは敵の見張りもあるかもしれない宮廷内で、皇帝が深夜にお忍びでやってきたことの意味をよく考えた。
「今、神殿を使うには正統か老師長を呼ばなくてはなりません。しかし皇帝陛下を修練場などというむさ苦しい場所にお招きするわけにも……」
「かまわんよ、どこでも。お前が舞いやすい場所ならば」
 アシュディンはそれを聞くと、廊下をこそこそと見やりながら一国の主をその場所へと案内した。

 広い修練場に灯された一本の蝋燭の揺らめきの中で、皇帝は椅子に座して物思いに耽った。
「皇帝陛下」
 囁き声と共に闇に浮かんだ人影は、ついこの間、自身が入宮を許可した異国の楽師のものだった。
「おお、ハーヴィドか。お前もアシュディンと共に舞楽を披露してくれるのか?」
「僭越ながら今宵はご一緒させて頂きます」
 楽師は片膝をついて頭を垂れた。左右の手にはそれぞれ何かが握られていた。
「それと……」
 差し出されたのは酒瓶とグラスだ。
「くすねて参りました。陛下のお口に合うとは到底思えませんが」
「……お主は気が利く男だな。もっと早く会いたかったぞ」
「もったいなきお言葉にございます」
 皇帝はその蒸留酒を受け取って手酌で飲んだ。グラスを揺らすと、水面が灯りと戯れた。もはや味の違いなど気にもならなかった。皇帝は頬杖をして、舞台が整っていくのをぼうとして見た。

 四隅に蝋燭が立てられ、4つの灯りが宵闇の中心にまた別の闇を炙り出した。その仄暗い舞台に立つアシュディン。まるで冥府の使いのような荘重な雰囲気を醸していた。
 ヴィシラが小さく奏でられた。空気に沁み込むような繊細な音だ。舞師ははらりと身を翻し、情感豊かな舞を始めた。すっかり身に染み付いている皇族のための葬舞。
 小夜の唄。想い人を引き止めるように身と腕を投げ出しては、掴めずに己が懐を抱きしめる。再会を切に願って追いかけては、見つけられずに引き戻される。空から降りてくる幻影の、頬や髪を撫でようとして、触れられずに打ちひしがれる。五線譜を辿るように流れる優美な指先。
 たったひとつの特別席のために、渾身の舞楽が披露された。なぜ、威厳や凛々しさを尊ぶファーマール皇族を弔う舞が、こんなしとやかなものになったのか。数年前のアシュディンには不思議でならなかった。しかしこの夜、少しだけ理解できたような気がした。
 ──皇帝ムドファーマルⅡ世はいつからか眉間を手で覆い、舞台から顔を背けていた。舞師はそのさまを見て見ぬふりをしながら、ただひたすらに踊り続けた。
 楽師の奏でる哀愁を帯びた曲に、男の咽び泣く声が埋もれていった。


 翌朝、ファーマール帝国の無条件降伏が宣言された。帝国暦265年7月13日のことだった。


 降伏の当日には、皇帝陛下と皇族と要職たちが拘束され、西の国へと連行された。続く日には衛兵隊の幹部たちと学者たちが。
 帝都の民たちも順次、連行されて行った。鐘塔の遠隔破壊、銃器による蹂躙が彼らに与えた衝撃は計り知れず、抵抗を示す者はほとんどいなかった。武器といっても良くて手榴弾くらいしか知らない文明は、最新の軍事科学を前にしてあっけなく蹂躙された。

 そして帝都占拠から6日目。舞踏団の棟に西の国の兵たちが押し入ってきて、団員はひとり残らず神殿に集められた。
「ここは100人ほどか。報告通り女ばかりだな。よし、こいつらの連行先は南軍管区司令部のある都市だ。帰還するF部隊と共に連れて行け!」
 声を張っているのは西の国・東方侵攻部隊司令、通称ビャロンだ。宮廷に住む者たちの抑留や連行先はすべて彼自らが取り仕切っていた。
 場にいる全員が失意にうなだれていた。神殿の入り口付近にいた舞師たちが、なされるがままに兵たちに連れて行かれそうになったその時──

「待ちなさい!」

 女の気丈な声が飛んだ。一歩前に出たのは、ラファーニ・ドルベスク。帝国伝統舞踏団ダアル・ファーマールの現正統にして代表責任者だ。
 ビャロンは首を捻ってその女の顔を見据えた。ラファーニは侵略者の長に対して一歩ずつ近寄りながら言った。
「この舞踏団はファーマール建国に先立つ伝統を持ちます。帝国が降伏したからといって、我々の〈精神〉が服従したことにはなりません」
 その言葉に舞師たちからどよめきが起こった。アシュディンが「姉さん、いったい何を、やめろ」と言って制止しようとしたが「あなたは黙っていなさい!」と、きつく睨み返された。
 女正統が近づいてくると、ビャロンは下卑た顔で見下ろして言った。
「ほぉ、では、お前たちはいったいどうするというのだ? 我々に抗い戦うのか?」
「いいえ、交渉です」
 ラファーニは目を閉じていちど深く息を吐いた。近くにいた女舞師が、彼女の足が震えていることに気づいた。
 女正統は己を奮い立たせて声を張り、
「女舞師をひとり残らず、あなた方の国都へと連行し、そこで保護しなさい」と命令口調で言い放った。
「ははっ、なんだ、気の強い女だな。なぜ連行先に国都を望む?」
 ビャロンは弱者を散々いなしてきたような口ぶりで訊ねた。ラファーニは首から上に一切の動揺を見せまいといった気概で、話を続けた。
「もしこの条件が呑まれるのなら、我々女舞師はこの故郷ファーマールを心の内から完全に捨て去り、生涯、いえ未来永劫、あなた方の国の勝利を願い、祝い、栄華を讃えるために、舞を披露し続けると約束します」
 ラファーニの交渉は、侵略国に魂を売る代わりに舞を続けさせろというものだ。男舞師の何人かが「おい、俺たちは?」と言って眉を顰めた。
「国都は国の象徴。伝統舞踊も象徴です。連れて行かれる先が国都以外では、舞師の持つ役目を充分に果たせません。存在価値は薄れ、いてもいないのと同然になるでしょう。それは舞師ではなく慰安婦。我々舞師には、用のない一都市に寄り道する時間も、古巣の要塞に居残っている暇もないのです 」

 ビャロンは下卑た顔のまま女正統の突きつける条件を聞いていたが、話を聞き終えると急に高笑いを始めた。
「はっはっはっはっ、随分と強引な交渉だ。面白い女だな。美人な上に気丈で聡明ときたか。兵どもの慰みものにするにはあまりに勿体ない。今の言葉を聞けば我が君主もたいそうお喜びになるだろう。私としても女どもを一時の享楽として浪費するより、栄達の種になってもらった方がありがたい」
 ビャロンは一転してラファーニに興味を示し、美人の顎を掴んでくっと持ち上げた。女正統は俄に手で打ち払った。
「しかしお前の一存でそんな大それた宣言をしてよいのか? 部下の女たちが可哀想だとは思わないのか?」
 そう言ってラファーニを取り巻く団員たちをぐるりと見渡す。ビャロンは小さく目を見張った。女舞師たちは全員がラファーニと同じ表情を浮かべ、睨み返していた。
「一存ではありません女たちの総意です」
「わたしから舞を取ったら何も残りません」
「正統についていきます!」
 ラファーニは女舞師たちの想いも背負っていたのだ。
「そして……」ラファーニは言い淀んでほんの一瞬だけアシュディンの顔を見やった。
《姉さん?》アシュディンはふと何か懐かしい感覚にとらわれた。

「そして男舞師は連行ではなく、この都から離散ディアスポラさせなさい。老人を含むたかだか20人ほど。何の武力も持たぬ者たちです。奴隷にしたところで役にも立たないでしょう。死体処理の手間が増えるだけです」
 ふたつ目の条件が提示されるや否や、男舞師のひとりが「ま、まさか正統、俺たちの身代わりに?」と声を漏らした。アシュディンは言葉を失い、ハーヴィドは《そういうことだったか》と眉を曇らせた。老師団と男舞師たちはこの数ヶ月のラファーニの横暴な振る舞いを思い返して、込み上げる涙を必死に堪えた。
「ふんっ、なんだそれは。正直、男舞師などどうでもいいわ。しかし離散ディアスポラにはさすがに上の許可が必要だ。その希望は〈一応〉司令部に伝えておく。男どもはここで勝手に沙汰を待っているがいい」
 ビャロンは男舞師にはまったく興味を示さず、ラファーニを舐めるように見ながら周囲を一周した。
「では、女舞師たちはこれからは我々の勝利を願い、侵略を賞賛する立場ということで、本当に良いのだな? 慰安を担わせない保証もないぞ」
 悪魔の囁きだ。女正統はこれから一生涯、鉄仮面を被り続ける覚悟を決め、敢然と頷いてみせた。
「命と舞さえあれば」
 それを聞いた老師団の面々がやるせなさに顔を背けた。

 ビャロンの加虐趣味はこれで終わらなかった。
「さぁ、ここもひとまずは片付いたか。色々とご苦労だったな……ワーグラム」
 集団とは少し離れた場所で、壁に背を預けていた男舞師の眉がぴくりと動いた。
「……さすがでございます。ビャロン様……で、よろしいんですよね?」
《え?……》
 アシュディンは自分の耳が何を聞き取ったのか分からず、ただ目を見開いた。
 ワーグラムが虚ろな顔をして西の兵の集団へと歩みを進めて行く。彼が横を通り過ぎると、舞踏団員たちは戸惑いと恐れに身を引っ込めて道を開けた。やがて事情を察した舞師たちから罵声が飛んだ。
「ま、まさかっ!」「お前も間者だったのか?」
「裏切ったな!」
 侵攻部隊の長の元に辿り着いた裏切り者の正統補佐は。立場の逆転を面白がるようにラファーニをせせら笑った。
「正統が舞師たちを必死に逃そうとしていた時はどうしようかと思いましたが、我々へのご所望は女舞師とのことでしたので、捨てておいた次第です」
「あなたのことは末代まで怨みます。もし国都あちらで鉢合わせることがあっても、二度とその汚い顔を目に入れることはないでしょう」
「残念です。これで私は、正統の姉弟の両方に嫌われてしまったというわけですね」
 裏切り者はそう言って、ふたりの顔に交互に視線を送った。
「ワーグラム……嘘だろ?……」
 悪意の目を向けられても、まったく状況を飲み込めないでいるアシュディン。
《悪者のフリをしてるんだろ?》
《誰かを人質にでも取られているのか?》
 色んな思案が頭の中を駆け巡ったが、言葉にするより先にワーグラムの残酷な声が飛んできた。
「ふんっ、のこのこと帰って来やがって。そんな楽師に惚れたのが運の尽きだったな。俺を選んでいれば命くらいは助かったものの」
 アシュディンはたまらなくなり「嘘だ!」と叫んだ。どうしても受け入れられなかった。その横でハーヴィドは「下衆が……」と呟き、爪が皮膚にめり込むほど拳を硬く握った。

 身内の諍いに飽きはじめたビャロンが手を挙げて声を張る。
「さ、撤収だ。先ほどの命令は変更、女舞師たちはC部隊と共に〈国都〉に連行しろ。ひとり残らず──」
「待って! 最後に家族と話をさせて!」
 ラファーニが遮って縋るように訴えた。
「……10分だけやろう。女よ、お前は特別だからな」
 ラファーニは身を返して集団の中を駆け抜け、呆然と立ち尽くす弟の手を引いて神殿裏の部屋へと向かった。歴代正統の肖像画が飾られているあの部屋へと。それは彼女が仮面を脱げる、最後の機会チャンスだった。


── to be continued──

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