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〈最終回〉 47 狭間の葬舞 〜 エピローグ 【葬舞師と星の声を聴く楽師】

連載小説『葬舞師そうまいしと星の声を聴く楽師がくし』です。
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前話

47 狭間はざまの葬舞 〜 エピローグ


 深い霧の中で目を覚ました。幾重ものヴェールが水平に過ぎてゆく。間断なく流れる白に包まれている。ここは、どこだ?
 ハーヴィドは身を起こして胡座をかいた。
 霧の向こう側で小さな人影が揺れた。あれはもしかして……舞か?
 見紛うはずがない。あれはアシュディンの舞だ。良かった、生きてた。

《おいアシュディン、何をしているんだ?》

 舞師はこちらに気付いたような素振りを見せながら、おかまいなしに舞い続けた。背はしなやかに反り返り、両脚が宙で水平に開いた。回転する前に首がほんの少し内側に入る。何度も見てきた、アシュディンの舞だ。

《何って見りゃ分かるだろ、舞ってるんだよ》

 音のない不思議な場所で、ふたりは離れて声を届け合った。なぜか深い残響を伴っていた。
 突然、冷たくもない、温かくもない風が吹き込んで、靄を少しさらっていった。
 仄かに明るくなった白の向こう側で、舞っていたのはやはりアシュディンだった。おのずと目に飛び込んできたのは、紅く染まった左脚だ。

《おい、脚から血が出てるぞ、やめろ》

 ハーヴィドは腰を上げようとしたが、上半身が弾むだけでうまくいかなかった。体の使い方がよく分からない。臍から下は濃い霧に覆われて目視できなかった。
 アシュディンは左脚に歩けないほどの怪我を負っていたはずだ。今なぜあんなに悠然としていられるのか、なぜあれほど流麗に舞えているのか、不思議でならない。

《なんでめるんだよ、ハーヴィド。俺は葬舞師なんだぜ!》

 舞師は高らかに宣言して、軽やかにターンをしてみせた。風が呼応して渦を巻くと、アシュディンの周りだけ霧が晴れていった。
 そこは雲海のような場所だ。青年の立つ舞台はごつごつとした黒い岩肌で、中央に向かって隆起している。

《あれは、まさか隕石? ……いや、まさかな》

 ハーヴィドの脳裏に帝都包囲からの日々が甦った。

《いったい誰のために祈るというのだ? ここに横たわるのは、お前の仲間たちを散々蹂躙した連中だぞ!》

 ハーヴィドは腕を開いて切に問いただした。己の身を削ってまで、侵略者たちに葬舞を手向ける必要がどこにあるのかと。
 しかしアシュディンは舞を止めようとしない。回旋のたびに足裏の皮膚が擦れて、そこからも血が滲んでいるように見えた。

《俺の好きにさせてくれよ。敵も味方も裏切り者も、みんな命だ。死んじまったら、もっと命だ》

 ハーヴィドは目をまん丸にして、何度か瞬きをした。幻想的な舞台でめちゃくちゃなことを言いながら舞うアシュディン。この現実感のなさはいったい。みんな命? 敵も味方も裏切り者も?

《……そうか、俺は死んだのか。それでお前が舞ってくれているのだな》

 楽師は短くため息をついた。

 ふと斜め上から陽光が差してきた。霧の一粒一粒が煌めいて青年の舞を祝福している。小さな雫が虹色に輝き、天まで昇っていくようだ。
 青年の美しい顔の内で、頬が燦々と照らされている。鼻が反対側の顔に奥ゆかしい影を落とした。儚げな顔がますます愛おしくなっていく。

 ハーヴィドは制止するのを諦めて、ぼんやりとその姿に見入った。
 流れる雲と戯れる躯体。脚は天を翔ける鳥の翼のようだ。腕が螺旋を描いて光の粒子を招き入れている。

《きれいだ、アシュディン。手向けられる葬舞がこんなにも心地よいものだったなんて。しかし無念だ、アシュディン。なぜ俺はこんな時に楽器ヴィシラを持っていない。お前の美しい舞に音を当てたい、アシュディン》












「……アシュディン」












「……アシュディン」












「アシュディン!!」

 テーブルに突っ伏していた青年は呼び声に目を覚ました。寝ぼけ眼を擦りながら見上げると、そこには頑強な肉体と居丈高な強面が迫っていた。
「アシュディン、お前、日記に落書きをしたな!?」
 面前に突き付けられた書冊。その紙の上で、昨日自分が描いた楽師の絵が喧々けんけんと怒っていた。
「は? 落書きじゃねぇよ! ハーヴィド様の肖像画だ。俺が描いてやったんだからありがたく思えよ!」
「俺はこんな三頭身のゆるキャラではない。それに、この日記は新しい舞楽ダアルの真髄を残そうとふたりで始めたものじゃないか」

 ハーヴィドは不服そうな顔をして向かいの椅子に座した。わずかにぎこちない動作で。
「だって俺、舞の所作や思想を文章にするの苦手だもん。それに……」
 アシュディンは書のページをパラパラとめくって楽師に突き返した。
「お前だって散々変なポエム書いてるじゃん!〈親愛なる〜〉とかいって、恥ずかしいったらありゃしない」
「だ、黙れっ。この卓越した韻律が分からないとは、お前もまだ──っ!? ん……」

 ふいに口を塞がれて言葉が途絶えた。重なり合う唇。その柔らかさに言いくるめられ、ハーヴィドの怒り顔はすっかり緩んでしまった。
 ふたりはゆっくり目を閉じていった。感触ひとつでこんなにも高まる相手の存在感。甘美な陶酔にそれぞれが心を委ねた。

「誤魔化すな……」「へへっ」

 愛しい時間は帰ってきていた。

「お前とまた、こんな風に馬鹿やり合えるなんてなぁ」
 アシュディンが感慨深く言った。
「修練不足も、たまには役に立つものだな」
 ハーヴィドはそう言って、テーブルの下から右脚を外に出した。包帯でぐるぐる巻きにされた脚は、くるぶしから先が無くなっていた。
 6つ目の隕石落下はハーヴィドが予見したよりずっと後方に落ちた。命こそは助かったものの、飛び散った隕石に押し挟まれて体の一部が帰らぬものとなった。

「お前、本当にいいのか?」
「ん、何が?」
 ハーヴィドの唐突な問いかけにアシュディンは首を傾げた。
「ラウダナに戻ることだって出来た。離散した団員も探したいだろうし、姉の行く末も気になるのではないか?」
 惨状から生き延び、それぞれ怪我の処置を済ませたふたりは、すでに次の旅路についていた。

「ああ……でももし再会できたとしても、きっと皆こう言うさ。お前はなんでまた戻ってきたんだ?って。この命も、行く先を選べる自由も、皆にもらった大切なものだ。だから俺たちは──」
 アシュディンは机の上に投げ出されたハーヴィドの手をぎゅっと握った。
「義足の名工、探しに行こうぜ!」
 花が開いたような煌びやかな笑顔を前に、ハーヴィドは直視できずに「……悪いな」と頬を赤らめた。

 アシュディンはふたりの足元に置かれた粗末な義足を持ち上げ、口を尖らせた。

「こ〜んな下手っぴ職人の義足じゃ不便で仕方ないだろ? 満足に旅もできなければ、夜中ひとりで星の声を聴きにもいけないぞ」

 旅の楽師は壁に立てかけられたヴィシラを見やって、心底うんざりした顔で答えた。

「星の声はもう懲り懲りだ。良い義足を見つけたら今度こそ何処かに定住したい……その……お前とな」

「え〜、俺はお前と旅を続けたいよ!!」


 葬舞師と星の声を聴く楽師。ふたりの一致と不一致が新たな伝統を築いていく。




『葬舞師と星の声を聴く楽師』

──  Fin. ──




最後までお付き合いいただきまことにありがとうございましたm(_ _)m
168年の愛の記憶と宿命が解けても、ふたりの継統の旅は始まったばかり。次回作を是非とも楽しみにお待ちください!

2022年7月26日

矢口れんと

今後の予定は以下の通りです。最後の最後までお楽しみください!

7/28(木)第4章、振り返り記事
7/31(日)お礼・あとがき・裏話

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